14 「預かったお金、全て盗られてしまいました」


 表情はまだ拗ねていたが、口調には冗談が滲んでいた。話がついた、と判断したのかハイディの後ろに控えていたメイド達が馬車の準備を始める。


「ゲール様、申し訳ありませんでした。お気遣い有り難うございます」

「気にしないで、リタちゃん。その代わり、ゲネプロではウェズをうんと良い男に仕立てて来てね?」


 話している内に馬車への搭乗準備が終わったらしい支配人が、やっぱりまだ悔しさを滲ませながら言う。はい、と笑って頷くと、一流レストランの給仕が飲み物を注ぎ足してくれるようなタイミングで、黒塗りの馬車が道路に止まった。


「ジェシカ、お前はどうする? 乗って行くか?」


 メイドに支えられながら馬車に乗っていると、ハイディがこちらをじっと見ていた茶髪の女性に声を掛ける。


「いえ、私まだ買物途中ですので大丈夫です。伯爵、リタさんをちゃんと送ってってあげて下さいねっ?」


 メイドの手伝いの元座席に落ち着く。朗らかな声でハイディと話しているこの女性にも大分迷惑を掛けてしまった。身を乗り出すように馬車の向こうに立っているジェシカに声を掛ける。


「ジェシカ様、今日はどうも有り難うございました。引ったくりを追い掛けて下さって、とても嬉しかったです」

「気にしないで。それよりヴェルニコ、楽しみにしてて! じゃあまたね、伯爵もまた今度会いましょう?」


 ジェシカと話していると「よっと」と声を出しながらハイディが馬車に乗ってきた。ハイディに次いで従僕やメイドも乗った馬車は些か窮屈で、リタは再び申し訳なさを覚える。


「ああ、また週末にな」


 ハイディはジェシカに声をかけ、ぴしゃりと馬車の扉を閉めてしまった。


「そう言えば、お前はムソヒの人間だと言っていたな」

「はい、去年ムソヒからルミリエに出てきました。ジェシカ様もムソヒの方のようで週末ヴェルニコを一つ頂く約束をしました」


 首を縦に振って頷く。故郷の話は嬉しい反面、少し複雑な気持ちになる。


「……故郷の味を楽しむのは良いが、周囲に迷惑をかけるなよ」

「心得ております。あれは水の中で開封するものだと身に沁みておりますので」


 ならばいい、とハイディは呟き、以降馬車の中は沈黙が支配する事になった。傍に控えているメイドや従僕は慣れた様子なので、この老人は何時もこうなのだろう。ハイディの御者はウェズリーの住所を把握しているようで、リタも口を閉じ馬車の心地良い揺れに体を委ねていた。


 ガタ、ゴトと揺れる静かな馬車の中、考えるのは引ったくり犯の事だった。人通りがある青果店の前に居る人間の荷物を盗るのは、リスクが高いのではないだろうか。

 それなのに何故、あの引ったくり犯は自分を狙ったのだろう。考えたくはないが、まさかデヴィッド関係なのだろうか。首にぶら下がっている鍵は、デヴィッドを殺害した犯人が血眼で探していたっておかしくない出自だ。


「…………」


 無意識に己の腕を手で擦っていたら、窓の外に海が見えて来るのが分かった。




 ヒヒンッ! とすぐ外から馬の鳴き声が響き、同時に馬車の動きが止まった。海岸通りの中でも一際黒い家の前に到着した事が分かる。

 馬車の中に居た従僕やメイドが、歴戦の狩人のように手慣れた動きで降車準備を始めている。


「伯爵、送って下さり有り難うございます。……ウェズリー様はきっと仕事中ですので、もうここで大丈夫です」

「なに、止めさせれば良いだけだ。あいつにも話はしておくべきだろう」


 すぐ近くに居るハイディに耳打ちをすると、ハイディは揺るぎない力強さで答え、「よっと」と声を出して馬車を降りていく。ハイディは従僕に何か命じた後、こちらに向かって来たメイドとは反対に屋敷の門を開けた。メイドに手伝われながら馬車を降りた時、扉を開けたハイディが大きな声を上げるのが聞こえてきた。


「ウェズリー・キングッ! 私だ、ジャスパー・ハイディだ! 話がある、出てこい!」


 この人にしては大きな声で、海岸通りに居た人がビクッと肩を跳ねさせて反応するのが分かるくらいだった。地面に足を着け終えた頃、ハイディが繰り返し同じ事を言うのが聞こえてきた。少しして、舌打ちのように短い唸り声が耳に届いた。


「……なに?」


 声だけで分かる不機嫌さ。反射的にハイディに向かって頭を下げていた。


「申し訳ありません!」

「お前のメイドが物取りに遭って足を挫いて歩けないのだ。王立劇場の前で偶然会ったから送ってきたぞ」


 ハイディは自分の謝罪もウェズリーの態度すらも気にした素振りなく状況を説明していた。やっぱりこの人は大物だ。


「ふーん。…………えっ?」


 不機嫌さを露わにしていたウェズリーの気のない返事が、数秒後年相応に驚きに満ちた物に変わる。すぐに慌てた表情のウェズリーが扉から顔を出し、メイドに支えられて歩いていた自分と目が合った。


「どうしたの?」

「……伯爵が説明して下さった通りです。本当はゲール様が馬車に乗せてくれるとの事でしたが、ゲール様は仕事があるので伯爵の馬車に乗せて頂きました。申し訳ありません……預かったお金、全て盗られてしまいました」

「それは別に良いけど。あー……伯爵、有り難う御座います」


 あっさりとお金の事を受け流した主人が、先程よりかは頭が冴えた表情でハイディに言い慣れていなさそうに礼を言う。


「何、構わん。彼女もルミリエの民なのだからな。ところでウェズリー、海岸通りとは言え鍵は閉めとけ」


 孫を窘める祖父のようなハイディの物言いに、ウェズリーは露骨に眉を潜めながら面倒臭そうに頷いたので、リタは自分の仕事に戸締まりが加わった事を悟った。


「リタの足で買い物には行けぬだろうから、今従僕に命じて適当な食材を買いに行かせている。私はこれで帰るが後で受け取っておけ」

「あっ、お気遣い有り難うございます! それは凄い嬉しいです。伯爵、本当に有り難うございました!」


 馬車を降りた際、従僕に何やら命じていたのはこれだったのだろう。二食、もしかして三食連続オートミールの可能性を密かに覚悟していたので思わぬ気遣いが嬉しく、自然と頬が持ち上がる。自分の笑顔を見たハイディの目元が和らぐのが分かった。


「では私は失礼しよう。午後の部もあるのでな」


 ハイディはどこか嬉しそうに言い、メイド達に短い言葉を掛け再び馬車へ乗り、早々と出発していった。


「……歩ける?」

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