美味との遭遇!?

 今日は平日、金曜日である。

 狼流ロウルは停学中だが、アイネと蘭緋ランフェイは完璧にエスケープ、ようするにサボりだ。

 居間のちゃぶ台でテレビを見ながら、狼流はまんじりともせず落ち着かない。

 その理由が今、自分の左右に座っている。

 そして、一方通行で鋭い視線が目の前を通過しているのだ。


「えっと、真心マコロ先輩。先輩、ッスよね? うん、多分先輩……何か用スか? 狼流先輩に」


 蘭緋は今日、何故なぜか妙に刺々しい。

 そして、うなる子犬のように真心をにらんでいる。

 お前、そういうキャラだったか? と思うくらいに、一人で険悪なムードを発散していた。そのせいで、さわやかな朝のお茶の間が、酷く雰囲気が沈んでしまっている。

 真心はそんな蘭緋の視線も気にせず、じっとテレビを見詰めていた。

 雨合羽あまがっぱを脱いで、今日もインナーだけの下着姿? 水着姿? みたいな状態だ。なんでいつも、半裸なのか……恐らく、いつでもメイデンハートの外装を装着できるように、という配慮なのかもしれない。

 とにかく、場の空気が悪い、悪過ぎる。

 助けを求めるように、そっと狼流は台所の方を振り返った。


「おお、そうでしたか……とんだ失礼を。ボクはてっきり、妹君いもうとぎみかと」

「はっはっはー! 気にすんなって。おし、そっちの皿を取ってくれ」

「これを五枚で?」

「ん! それと、コーヒーを先に出さないとな。お客さんなんて珍しいからさ!」

「では、ボクが運びましょう」


 アイネは先程「少年、君より小さい女性を初めて見たぞ」などと笑っていた。その彼女が、コーヒーを持ってやってくる。

 だが、情けない顔の狼流を見て、ムフフと口元をゆがめた。

 そして、三人分のマグカップを置くなり、台所へ戻ってしまう。

 どうやら孤立無援で、狼流は大きな溜息を一つ。


「え、えと……とりあえず、蘭緋?」

「あ! そういえば! 先輩っ、めーっ! ですよ! 英雄号の手、どうしてくれるんスか! 完全にイッちゃってる指もあるッス!」

「ゴ、ゴメン……あ、でも、ロケットハンドの使い勝手、よかったぜ?」

「それは、自分が嫌がったのに先輩が無理矢理実装した機能ッス! 重くなるから嫌だったのに」


 すぐに蘭緋が、自分のオプホオプティフォンを取り出す。

 あっという間に、ちゃぶ台の上に3D映像の設計図が広がった。

 英雄号の全身が、立体的に浮き上がる。

 蘭緋は直接映像に触れて、手の部分を拡大した。


「でもでも、先輩っ! ここ! ここ見てほしいッス!」

「ん? 骨格フレームか」

「英雄号のマニュピレーターは、魔改造なモーターの出力がありすぎて、全力全開で握ると……フレーム自体が耐えきれないことがわかったッス」

「あー、昨日は本当にパワー勝負になったからなあ。スマン!」


 先程まで真心だけをねちっこく見ていた蘭緋だが、ローダボットの話、取り分けマニュピレーターの話になると顔つきが変わる。

 ツリ目がチャームポイントの後輩は、真剣な眼差まなざしで設計図の角度や大きさを変えつつ話した。


「ワンサイズ、手を大きくするッスよ。この辺、ロダ研にとりあえず保管モスボールされてるパーツでいけるスね。重量増加も最低限に……先輩? 聞いてるッスか、先輩っ!」

「あ、ああ……お前さ、蘭緋。ロボット部の方はいいのか?」

「……べーつにぃぃぃぃ? 先輩には関係ない話ッスよー?」


 露骨ろこつに嫌そうな顔をして、プイと蘭緋はそっぽを向いてしまった。

 そして、ブツブツと不満を口にする。


「なんスかねぇ、あの『男の子ってこういうのが好きなんでしょ』の見本市みほんいちみたいな……こう、先輩! 自分、夢だ浪漫ロマンだはいいスけど」

「いいスけど?」

「どうして腕にドリルとか鉤爪カギヅメとか、あとハンマーとか付けたがるんスか! 男子は!」

「いやそれ、浪漫だし。夢があるだろ! 特にドリルとか!」

「いーえっ! 断じて認められないッス! 何故なぜ、この人間が持つ素晴らしい手を、五本の指を! 再現しようと思わないんスか」


 蘭緋のマニュピレーターに対する情熱は、普通じゃない。

 そして、そんなところを心の中で狼流は尊敬していた。

 こんなに真っ直ぐ熱くなれる蘭緋が、とてもまぶしい。

 だが、時にはその熱意にかれてタジタジとなる。


「そ、そんなこと言ってもなあ……な? 真心もそう思うよな? って、真心?」


 助け舟を求めて、狼流は逆隣の真心へと振り向いた。

 彼女はやけに姿勢良く正座して、膝の上のベコを撫でている。

 そして、じっとテレビを見ている。無表情で凝視している。

 ニュース番組では丁度、昨日狼流がやらかした事件のことが報道されていた。


「真心、さ」

「はい」

「テレビ……珍しいのか? まあ、うちのは古いからな……立体映像機能のないタイプだし」

「ああ、これがテレビというものですか」

「……は?」

「いえ、存在は知っていましたが、実物は初めて見ます」

「な、なんで?」


 少し考え込む仕草をしてから、真っ直ぐ真顔で真心は狼流を見詰めてくる。


「何故でしょう。私にはわかりません」

「そ、そか。チャンネル、変えるか? 他の番組も見れるけど」

「いいのですか?」

「いいよいいよ、ほら、コーヒーも飲みなって」

「はい、飲みます。いただきます! ――熱ッ!?」


 やばい、真心がトンチキすぎて面白い。

 流石さすがの蘭緋も、常識の埒外にいる真心に驚いていた。

 ベコだけがハッハハッハと楽しそうに舌を出している。


「だ、大丈夫スか? 真心先輩」

「え、ええ……問題ありません。これが、コーヒー」

「あ、砂糖とかミルクは」

「ええ、知ってます」

「いや、そうじゃなくて……入れないんスか?」

「コーヒーにですか? ああ、そういうものなのですね」

「……ちょ、ちょっと! ちょっと、狼流先輩っ!」


 砂糖のポットを受け取り、真心はそれをコーヒーにスプーンで入れる。入れる、入れる、まだ入れる。それを横目に、蘭緋は声をひそめた。

 小声でそっと囁く彼女が、ぐっと身を乗り出して密着してくる。


「先輩、この人……変スよ。やっぱ、人間じゃないんじゃ」

「……やっぱ、中の人というより……本体? 戦闘形態じゃないロボ、ってことか?」

「でも、そこがわかんないんス。あの手、見てください……あのサイズのアンドロイドで、あんなになめらかに動く手って、かなり高度な技術ッスよ」

「超人が造ったとしたら?」

「そこなんスよねー、自分も凡人なんで、そのへんがどーも」


 狼流が蘭緋との話を打ち切り、真心を止める。

 なんだか粘度の高い液体になってしまったコーヒーを、よくかき混ぜてから彼女は再度口にした。


「! あ、甘いですね!」

「そ、そりゃな。あんだけ砂糖を入れりゃ」

「これが、コーヒー……そして、砂糖。では、もしやこれは!」

「ミルクだよ。入れてみろって……あっ、一つだけだぞ? そうガバガバ入れるもんじゃないからな!」

「はい、やってみます」


 いったい、普段の真心はどんな生活をしているのだろう。

 そういえば、彼女のことを狼流はまだなにも知らない。

 そうこうしていると、いい匂いがして麗流レイルたちが朝食を運んできた。ちゃっかりアイネや蘭緋もご相伴しょうばんに預かるらしく、真心の分も含めて五人分だ。

 姉のお手製フレンチトーストは、狼流の大好物の一つだった。


「さあさあ、我が弟の友人? 友達、だよね? そこまでだよね? うんうん、とにかく食べなさーい! わはは!」


 麗流は朝から機嫌が良さそうだ。

 さっきまで、狼流の妹だと間違えられてて、今にも乱闘騒ぎを起こしそうだったが……アイネの口の上手さにコロコロと転がされて、気付けば有頂天うちょうてん状態である。

 麗流は単純でチョロい、よく言えば素直で純情な女性なのだった。

 できたてのフレンチトーストに、サラダ、そしてコーヒーのおかわり。アイネが買ってきてくれたドーナッツも美味おいしそうだ。

 それらが目の前に並ぶ中で、真心だけがまばたきを繰り返していた。


「狼流君、これは」

「ん、朝飯は食ってきちゃったか?」

「はい。朝の栄養分は補給済みですが……こ、これは」

姉貴あねきのフレンチトースト、美味いんだよ。よかったら食ってみ?」

「はい、いただきます。――はむっ! む、むむ……こ、これは!」


 大げさなリアクションで、真心が立ち上がるなり飛び退いた。

 その端正な無表情は、大きな瞳だけがキラキラと輝いていた。


「お、美味しいです!」

「わはは、だろだろー? 狼流の友達は面白いなあ、ってか友達だよな?」

「いえ、違います」

「……ほんで? まさか、彼女とかじゃないよねー? それ、お姉ちゃん困るなあ」

「彼女? 女性の恋人のことですか? それも違います」

「そう? ならいいんだけどさあ、まあ座りなよー」


 一瞬、狼流の目の前を危機が通り過ぎた。

 昔から姉の麗流は、過保護かほご過ぎて怖い時がある。

 でも、いつでも真っ直ぐで雄々しく男らしい、とっても頼りになる姉である。

 そして、おずおずと座りつつ真心は目を輝かせていた。


「これはなんというタイプの薬品ですか? こうした形状のものは、初めて摂取します」

「いやー、料理だってば。めしだよ、ごはん……パンだけどさ。フレンチトースト」

「フレンチトースト……」

「ほい、メープルシロップ。これをかけなー?」

「はい、かけます。――っ、甘いです!」


 にへらっと麗流は笑っているが、狼流はいぶかしんだ。

 やはり、言動の節々がかなりおかしい。

 真心が人間かアンドロイドか以前に、どっちにしろおおよそ人間らしくない暮らしをしているように思えた。

 夢中でフレンチトーストを頬張る真心は、まるで無邪気な子供だ。

 その姿が、怜悧れいり美貌びぼうと妙にミスマッチで、なんだかとてもかわいらしく見えるのだった。

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