アヴァター・ボット

石燈 梓

アヴァター・ボット(1)



 宇宙ほど静かなところはない。

 ミッキー(安藤幹男)は月面を眺められる窓辺に座り、コーヒーを飲んでいた。一ヶ月に一度まわってくる、銀河連合スペースセンターの宇宙港管理業務だ。事故や予定外の出来事はなく、夜勤は無事に終わろうとしていた。

 灰色の荒野の向こうに漆黒の闇がひろがっている。大気の層がないため星ぼしは瞬くことなく、こちらを見詰めている。そのまなざしの中に、濃紺と白のまだらの地球が浮かんでいた。表面が淡いブルーに輝いている。基地が夜に入っている期間しかこの光景は望めない。昼の間は厳しい太陽光からか弱い生命を守るため、ドームの窓は塞がれる。

 ミッキーは地球で生まれ育ったわけではないので、あの惑星に郷愁をおぼえることはない(いや、少しはあるか。《ウィル》 の記憶かもしれない(注①))。月都市で暮らす地球人テランの殆どがそうだろう。ただこの星系に満ちる数億の生命の故郷であり、ドームなしで生物が生存できる唯一の環境なのだ。

 茫漠たる無彩色な空間のなかで、地球はみずみずしく美しい。その青い光を眺め、絶対的な静寂に身を浸していると、古代から人類が問うて来た理由が解るように思った。


 われわれは何か。何処から来たのか、何処へ行くのか。


 宇宙時代の回答はこうだ。――生物の素たる元素は、何代か前の太陽が遺した。われわれは 《星くず》 で出来ている。祖先は四十六億年前に原始の海で発生したアミノ酸粒子に過ぎなかった。現代の人類は、系外宇宙からやって来た別系統の生命体とよしみをむすび、行動範囲を数光年先へ拡げている。


(……今頃、どうしているだろう?)

 ミッキーの思考は太陽系を離れ、銀河の中心へと旅立った親友ラグを追いかけた。友は 《古老》 としての長い人生のあいだ、人類の能力に期待し愛すると同時に、己を含む彼等のどうしようもない愚かさを厭うていた。祖先の記憶を封じ個として生きることを選んだウィル=ミッキーと違い、膨大な記録をそのまま持って行った彼は、今も同じ宇宙そらを眺めながら相反する気持ちを抱いているのだろうか。

 友とともに宇宙船ふねに乗った仲間たちを想い、ミッキーはひとり微笑んだ。永遠にちかい時間も、光速に匹敵する距離も、彼等ならきっと賑やかに渡っていけるだろう。大丈夫だ……。



「安藤、これどう思う?」

 同僚のケヴィンの声に振りむくと、白くまるいものが眼前にあった。

「クマ……だな」

 つぶらな瞳と眼が合い、戸惑いながら答える。金髪の男が顔を出した。

「クマ? 俺はパンダかと思った。熊猫シャンマオ

「パンダは眼の周りが黒いからね。これは白い……クマにしては耳が丸いし、鼻も大きいな。ひょっとして、コアラ?」

「コアラ? ポケットがある奴?」


 ミッキーは、ケヴィンの抱えるそれの腹部を指さした。つるんとした強化プラスティック製(と思われる)ボディの中心に、半月型のラバーがついている。ポケットに観えなくはない。

 ヨーロッパ系移民のケヴィンは、澄んだ碧眼をくわっとみひらいた。


「ネコか!」

「何故、ネコ?」

「腹にポケットがついているのは、ネコ型ロボットの定石だぞ」

「……お前がサブカルチャー史に詳しいことは知っているが、今はこんなものが宇宙軍の基地にあることの方が問題だろ」

「整備ロボットがドームの外で回収してきたんだよ。砂に埋まっていたらしい」


 相棒がのってこないので、ケヴィンは肩をすくめた。小型ロボットを投げてよこす――否、ロボットの残骸だ。片方の足は失われ、片腕もとれかけている。小さいわりにズシリとした重みがミッキーの腕に伝わった。

 ミッキーは、コアラ型(と思っておく)ロボットを裏返し、登録票を探した。体の表面は細かい傷でおおわれ、電源は入らない。


「ずいぶん古いな。何世紀のものだろう?」

「あの辺は、むかし観測施設のあった場所だ。当時の誰かが持ち込んだんだろう」

「危険なものじゃなさそうだ。メモリーが残っているかな……」


 登録票はなく、ポケットは四次元に通じていない。ミッキーは、どこかに開く扉はないか、文字や記号はないかと調べつづけた。

 ケヴィンは欠伸をかみころし、バックパックを手にとった。


「お前に任せるよ。何か分かったら教えてくれ。俺は先にあがらせてもらう」

「ああ、お疲れさま。おやすみ」


 肩越しに手を振って部屋を出るケヴィン。ミッキーは彼を見送ったのちもロボットを調べていたが、古いことしか分からなかった。コーヒーを飲み干し、思案しているうちに眠くなってきた。

(持って帰ろう。リサに見せたいし……)

 ミッキーは保護シートでロボットを包み、帰り支度をはじめた。


               ◇


 ミッキーはセンター内で一時間ほど仮眠をとり、SCM(超電導リニア)トレインでダイアナ市へ向かった。ホテル『月うさぎ』に着いたのは昼過ぎで、ちょうどチェックアウトの客の流れが終わる頃だった。

(夕食の仕込みに間に合うな。昨日は自動調理器オート・クッカーでレモンパイを焼いたから、今日はどうしよう。中華……饅頭マントウか、ちまきもいいな)

 ポロシャツにジーンズを穿き小型のバックパックを背負ったミッキーは、学生にしか見えない。子ども達(義弟妹たち)に食べさせるおやつについて考えながらロビーに入ると、


「おかえり、ミッキ」

「おかえりなさい、ミッキー」


 フロントのカウンターごしにアンソニーが、エレベーター前からリサ(ミッキーの配偶者)が、それぞれ声をかけてきた。機嫌よく返事をして通りすぎようとしたところで、ミッキーはロビーに佇む人影に気づいた。

(今日は、ロボットによく会うな)

 下の妹・美弥みやと並んで立つ細身のロボットは、卵型の顔を彼に向け、首をかしげた。





~(2)へ~

(注①)ウィル:《古老》としてのミッキーの名前。約1500年前から歴代の記憶と能力を受け継いできた複数の人格の総称。ミッキーはその人格を封じていますが、彼の仲間のラグは、五十四人分の祖先の記憶を持っています(本編参照)。


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