養護教諭は今代聖女の相談役

黒木メイ

養護教諭は今代聖女の相談役(前編)

 頬を染め上機嫌に笑うジュリアを見てフィアは内心首を傾げた。先週までは憂鬱そうな表情をしていたというのに……一体この一週間の間に何があったのだろうか。


 聞いてほしそうな眼差しを向けられたフィアは、期待に応えるべく尋ねた。


「で? どうしたのかしら。とうとうサルヴァトーレ王太子殿下との婚約が破棄されたの?」

「う、いえ。残念ながらまだです。でも、必ず近いうちに破棄してみせますから!」


 今までにも不敬罪になりそうな発言を多々零していたジュリアだが、それはあくまでただの願望だった。しかし、今回はどうも本気のようだ。


 市井で暮らしていたジュリアをとりまく環境は、聖女の力に目覚めてから激変した。目まぐるしい変化についていけず体調を崩してしまったジュリアは、その時初めて養護教諭フィアと出会った。弱り切っていたジュリアが零した愚痴をフィアは黙って聞いてくれた。そのおかげか、不思議とジュリアの体調はみるみる回復した。ジュリアがフィアを慕うようになるのも自然の成り行きだった。今では用事がなくとも保健室へ顔を出している。


 ジュリアにとって一番のストレスは、婚約者の王太子サルヴァトーレだった。サルヴァトーレから酷い仕打ちを受けて……というわけではない。むしろ、丁重にくれている。ただ、ジュリアにとってはそれが嫌だった。サルヴァトーレはジュリアを『聖女』としてしか見ていない。うわべだけの笑顔と言葉を真に受ける程、ジュリアは純粋ではなかった。早々に完璧な王太子を演じる彼に違和感を覚えた。それからというもの苦手意識が根付いてしまってどうにも生理的に受け付けなくなってしまった。多くの聖女達が甘受してきた『勇者との政略結婚』からどうにか逃げ出したいと思う程に。


 養護教諭のフィアからしてみればいくら生徒(しかも聖女)からの相談だとはいえ、今代の勇者で、王太子という立場のサルヴァトーレを擁護した方がいいのはわかっている。だが、フィアにはジュリアの気持ちも理解できた。だからこうして、保健室に入り浸っている彼女を追い出さずに話を聞いているのだ。


「あの……フィア先生は先代勇者を見たことがありますか?」

「先代勇者というと……ディエゴ様のことですか?」

「そう! その方です!」

「見たことはありますが、それがどうかしましたか?」


 嫌な予感がした。ジュリアの表情はとても見覚えのあるものだった。恥ずかしそうに目を伏せ、薄茶色のウェーブがかった己の髪を指に巻き付けながら話し始める。


「実は……その、ディエゴ様とお会いする機会があったんですけど……想像以上に、すごく素敵な方、だったんです」

「……そうですか」

「感想それだけですか?! もー……相変わらずフィア先生は冷めてますね。歴代最強と謳われた先代勇者様ですよ。興味ないんですか? 未だに結婚をしていない型破りな方ですが、そこがイイというか……とにかく、まさに狙い目の方なんですよ!?」

「特段興味は湧きませんね。それよりも、最後の言葉がジュリアさんの本音ですか?」

「う……でも、さすがに私ではディエゴ様と歳が離れていますし……」

「いいんじゃないですか?」

「え?」

「ジュリアさんは今代聖女ですし、大変可愛いらしい方ですから……お似合いだと思いますよ」

「……フィア先生がデレた?! え、ちょ、もう一回言ってください! って、どこに行くんですか?!」

「ちょっと、出てきます。いつもどおり、そこのベッド使っていいですから」


 後ろで喚いているジュリアを置いてフィアは保健室を出た。外出中の札をかけて魔法棟へと向かう。頭の中はぐちゃぐちゃで思考が定まらない。けれど、今すぐ確認しないといけないことがあった。

 準備室へとノック無しで入る。室内は相変わらず備品が散乱していた。管理している担当講師曰く、「どこに何があるのかは僕がわかるから問題ない。薬剤は厳重にしまっているのでその点も問題無い」らしい。

 黒の皮張りのソファーから長い足が飛び出している。覗き込めば、案の定、白衣で顔を覆って眠っていた。

 先代聖女が引退する際に、『飽きた』の一言で魔法騎士団団長の座を降りた歴代最凶と謳われた問題児。彼がその人だとはこの学園の生徒も教師も気づいていないだろう。知っているのは学園長と国王のみ。


「起きなさいエル」


 白衣の上から、鼻らしき部分を摘まんでしばらく待つとエルが飛び起きた。黒い長い髪の隙間から同じく黒の瞳がのぞいている。フィアはエルを冷めた目で見つめた。フィアを視認した途端、前髪をかきあげ、頬を膨らませるエルだが、全く可愛いとは思えない。むしろ、イラっとした。


「聞いてないんだけど?」

「……情報回るの早くない?」


 不機嫌そうに溜息を吐いたエルは起き上がり、隣のスペースを手で払うとそこにフィアに座るよう促した。断る理由もないので黙って従う。


「アイツが帰ってきたのは先週だよ。どうやら、国王が呼び戻したみたいだね」

「なぜ?」

「……ここだけの話。今代の聖女も勇者も実力不足なんだって……二人とも頑張ってはいるけど、比較対象が悪すぎだよね。歴代最強の聖女や勇者と比べるなんて……今更気付いても遅いのにね」


 エルの言葉にフィアが気まずげに視線を逸らした。横から様子を伺うような視線を感じる。そう言われてもフィアにはどうしようもない。今代聖女が現れた途端、追い出されるように隠居を勧められた先代聖女。今代聖女も同じ平民ではあったが、決定的な違いがあった。ジュリアは歴史ある公爵家の落胤で、その存在が知られた瞬間から大きな後ろ盾を得ていた。親無しの生粋の平民フィアとは違った。


 先代勇者ディエゴは伯爵家の次男坊で、貴族らしくないやんちゃな一面をもっていた。そこがいいと言う女性が多く、端的に言えばモテた。そんなディエゴからの執拗なアプローチに、結婚願望が薄かったフィアでさえも落ちてしまった。ディエゴにプロポーズされた時はまるで夢のようだと思った。……けれど、それは彼の家族と会うまで。

 彼の家族は皆、はフィアに優しかった。どこか値踏みするような視線。家族との顔合わせだというのにその場に呼ばれていた彼の幼馴染。可愛らしい『彼女』はディエゴの名を気さくに呼び、彼に触れた。彼もそれが当たり前のように受け入れ、拒まなかった。さすがにフィアも気づいた。

 彼の家族はフィアが『聖女』だから受け入れざるを得なかったのだと。内心では喜んでいないのだと。己の立場を自覚させるために『彼女』を相席させたのだと。そう気づけばもう無理だった。だからフィアは婚約を断り、逃げ出した。その手伝いをしてくれたのがエルだ。


「もう、私には関係ないことだわ」

「そうだね……でも、ディエゴのことはいいの? 『彼女』はディエゴを諦めて他の男と結婚したんだよ?」

「知ってる。でも、そういう話ではないのよ。それに、彼にふさわしい女性なら他にもいるわ」


 今代の聖女を思い出す。先代勇者と今代聖女が結婚しても問題は無いはずだ。今代勇者には申し訳ないが。


「フィアがそれでいいなら、いいよ」


 エルがフィアに手を伸ばした。目を閉じる。眼鏡を外された。黒の髪と瞳が元の金色に戻る。

 目を開くと、エルがフィアの眼鏡を手に持ち、呪文を唱えていた。定期的にかけてもらっている認識阻害魔法。この眼鏡のおかげでフィアは聖女の色をあらわす黄金の瞳を隠せている。髪色もついでに変えることができる優れものだ。数分後には魔法が定着した。相変わらず手際が良い。歴代最強と謳われるのはエルも同じだ。そのエルが早々に隠居した原因の一端に、自分のことがあったのはわかっていた。申し訳なくは思うが、そのことについてはとうの昔に互いの中で終わっている。蒸し返すことはしない。でも、感謝はしている。眼鏡を受けとろうとフィアは手を差し出したが、エルは眼鏡をテーブルの上においた。肩透かしをくらい目を瞬かせる。エルはいたずらが成功したような笑みを浮かべた。


「僕の前でくらいいいでしょ。ソフィーヤ」

「その名前で呼ばれるのはいつぶりかしら。エルマンノ」

「僕で良ければいつでも呼ぶよ。呼ばれたくなったらいつでも会いにきてよ」

「……ありがとう」

 ソフィーヤは泣きそうになりながらも微笑んだ。大きな手が頭をくしゃりと撫でる。同じ行為でもやはり相手が違えば感じ方も違う。エルマンノの手はひどく安心した。



 ————————



「フィア先生聞いて!」


 保健室に飛び込むようにしてやってきたジュリア。興奮しているようなのでとりあえず椅子に座るように勧めた。大人しく座り、出されたカモミールティーを飲む。いくらか落ち着いた様子のジュリアが話し始めた。


「あのね。ディエゴ様のことなんだけど」

「ええ。何か進展があったのかしら?」


 ジュリアが驚きの表情を浮かべる。フィアは努めて冷静にその先を促した。


「王城で聖魔法の練習をしているとね最近よく顔をだしてくれるようになったの。しかも、この前なんか、「がんばってるね」って声をかけてもらったの!」

「そう。よかったわね」


 容易にその光景が浮かぶ。ジュリアは『彼女』に似ている。顔というか雰囲気が。二人が距離を縮めるのもすぐだろう。そして、きっと……フィアは自分用に淹れたカモミールティーに口をつけた。


「それで、王太子殿下とはどうなっているの?」

「う……それとなくサルヴァトーレ様に言ってみたんですよ。でも、笑顔でかわされただけでした」


 その時のことを思い出したのだろうジュリアの表情が苦虫を嚙み潰したように歪む。フィアの脳裏にもサルヴァトーレのとってつけたような笑顔が思い浮かんだ。同時に、サルヴァトーレが王太子になる前の記憶も蘇る。————あの子もこじらせているのかしら……。

 思春期に入る前までは「フィーフィー」と名前を呼んでくれていたのに、いつの間にか避けられるようになり、気付けば話をすることもなくなってしまった。サルヴァトーレは入学してから保健室を利用したことがないので、今の彼がどんな風に育っているのかはわからない……が話を聞いているだけで、何となく想像はできた。



 ————————



 王都中に警報が鳴り響いたのは、ディエゴが王都に戻ってきたと知ってから三週間後のことだった。授業中の時間帯。各教室ではざわめきが起きていた。しばらくして、校内放送が流れる。生徒達は教室内で待機、ジュリアとサルヴァトーレだけは名指しで呼び出され、教師陣は漏れなく全員に集合がかけられた。フィアも握っていたペンを放り出し、椅子から腰を上げ、職員室へと向かう。


「フィア」

「エル」


 後ろから声をかけてきたエルが隣に並んで歩く。その表情は冴えない。フィアは苦笑しながらエルの背中を叩いた。————なるようにしかならないのだから、そんな顔をしないでほしい。

 職員室の扉を開くと、すでに教師達が集まっていて、その中心に見知った顔を見つけた。ジュリアがフィアを見てホッとした表情を浮かべる。隣にはサルヴァトーレが厳しい表情を浮かべて立っていた。ジュリアの視線につられ、サルヴァトーレの視線がフィアへと向く。一度外された視線がすぐにもう一度フィアを捉えた。みるみるうちにサルヴァトーレの目が見開いていく。サルヴァトーレが口を開く前に、エルが切り出した。


「で、今どんな状況なのさ?」

「エル先生。さすがのあなたでも今が緊急事態だと理解しているようですね」


 常日頃エルを目の敵にしている男性教諭が眼鏡を押し上げ、皮肉を言った。エルはその言葉を無視して学園長を見る。学園長が緊張した面持ちで、告げた。


「王都内の結界が破られ、竜や魔物達が王都を襲撃しています。ジュリアさんとサルヴァトーレ様には陛下からすぐにでも現地へ向かうようにと通達が。その際、エル……先生とフィア先生にも……と」

「僕だけで充分だよ。現地にはディエゴがすでにいるんでしょ。なら、それで充分だ」


 学園長が何か言いたそうに口を動かすが、長い前髪の隙間からエルの鋭い眼差しがその先を止めた。フィアが眉根を寄せ考え込んでいると、サルヴァトーレがエルの意見に被せるように同意した。


「エル先生がいるなら心強いです。早速、向かいましょう。よろしくお願いします」

「うん」


 ジュリアは心もとない表情を浮かべたが、すぐに覚悟を決めたように頷いた。エルが転移魔法陣を敷き、サルヴァトーレがその陣内に入る。ジュリアは戸惑いながらもサルヴァトーレに続いた。転移前にエルの視線とフィアの視線が交わった。声に出すことはなかったが「大丈夫だから」と確かにエルはそう言った。フィアは下唇を痛いくらいに噛んで三人を見送った。

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