第53話 オネリー商会

 

 かつてこの国の東部、コーサ子爵領テンコーサの街に、中規模の商会があった。


 オネリー商会。


 農家の三男坊だったカミルという男が商家に奉公に出された後に独立し、一代で八十人を超える従業員を雇用する商会を創り上げたというささやかなサクセスストーリー。


 彼の商会は、商会長の誠実さと着実に築き上げてきた信用から次第に顧客を増やし、やがて東部に複数の支店を構えるまでになった。


 が、話はハッピーエンドでは終わらない。


 オネリー商会は堅実を旨とし、日用品や作物を中心に商いを行なっていたのだが、支店長の一人がある品に手を出したことが破滅の始まりとなった。


 ギフタル小麦。


 当時、王都の貴族階級で流行し始めた白パンの原料である。




 ギフタル小麦の歴史は古い。

 それはもう、オルリス教の聖典に登場するくらいに。


 だがローレンティア王国に於いては、長きにわたりメジャーな穀物となることはなく、王族や一部の上流貴族の口に入る程度のものだった。


 なぜか。

 ローレンティアの土ではどうしてもうまく育たず、オルスタン神聖国経由で輸入するほかなかったからだ。


 数年前にミエハル子爵が試行錯誤を経て子爵領内での安定生産を確立したが、オネリー商会がギフタル小麦に手を出したのはもう少し前の話。


 その時期、ギフタルは今よりも遥かに希少で、高値で取引されていた。前世、大航海時代の胡椒みたいなものだ。




 問題のギフタルに手を出したのは、王国北東部の貿易港、フリード伯爵領フリーデンの町の支店長だった。

 ある日彼は、仕入先の貿易商から一つの提案を受ける。


 他国からのギフタル小麦の直輸入。


 前述した通り、ローレンティアのギフタル小麦はほぼオルスタン神聖国からの輸入品である。


 なぜその他の国からの輸入がないかというと、他国に於いてもギフタルはそれなりに希少品で、輸入しようとするとそれなりの値段をふっかけられ、その上更に輸送コストがかさんでしまうからだ。


 オルスタン神聖国は各国から上納されたギフタルを、少量ながらローレンティアに安価に輸出していた。

 その小麦は王家直轄で輸入され、まず王家で消費する分が分けられ、残ったものが市場で売買される。


 ローレンティアのギフタルは、作付け用にオルリス教会が保管するものを除き、そうして流通しているのだった。




 貿易商からの提案を聞いた当初、当然、支店長も首を傾げた。

 他国から直輸入しても、高いものは高いのではないか、と。


 ところが相手はこう説明したそうな。


「ある国がギフタルを大量生産し始めています。間もなく少しずつこのローレンティアにも入って来るようになるでしょう。その時に市場を押さえるのは、仕入と販路を最初に開拓した者ですよ」


 そう言って支店長に、ギフタルの詰まった布袋を渡したのだった。


 支店長は、まともに商会長に話しても許可は貰えまいと考えた。

 だがこれは王国の主食、小麦に関わることである。作物を主要に取り扱っているオネリー商会としては、ここでの判断が浮沈に関わる。


 こうして彼は迷いに迷った末に独断でギフタルの購入を決め、商会は倒産に向かってひた走ることになる。




 結論から言えば、その貿易商の言葉は嘘ではなかった。

 が、彼が描いた未来図のようにもならなかった。


 この貿易商の甘言に乗った者は少なくない。

 フリーデンに拠点を置く中小の商会の多くがこの話に飛びつき、倒産の憂き目に遭った。





 一体、何があったのか。


 貿易商の話に嘘はなかった。

 件のギフタルを大量に積んだ船は、無事フリーデンに入港したのだ。


 が、船員たちは着岸するや即座に捕縛され、同時に貿易商も取り押さえられた。


 異端の国として取引が禁止されている東方大陸の国、エルバキア帝国の物品を輸入した罪に問われたのだ。




 エルバキア帝国の歴史は比較的新しい。


 その国の成り立ちは、約二百年前、オルスタン神聖国から異端として追放されたオルリス教の一派が海を渡り、当時暗黒大陸と言われていた東方大陸に流れ着いたところから始まる。


 彼らは異端とされた特殊な封術を駆使し、棲みついていた魔物を駆逐。先住のエルフ、ドワーフ、魔族を追いやり、瞬く間に人間の支配領域を拡げていった。


 やがて一団を率いていた者は皇帝を名乗り建国。

 その宗教的支柱となっていた者たちはエルバス正教会という新たな教会を設立し、帝国は主神オルリスの教えを独自解釈したエルバス正教を国教に定めることとなった。


 質実剛健、合理主義、実力主義を掲げるこの新たな国に可能性を見出した者たちは多く、次々に海を渡り合流。

 それを受け入れ、取り込んで封術技術を進化させたエルバキア帝国は、やがてオルリス教国家群と世界を二分する大勢力となってゆく。


 強大な軍事力を持つに至った帝国は、オルリス教国のみならず、周辺の国々を武力で併吞し、着々と版図を拡げる。

 この世界は、そういう情勢の下にあった。


 ちなみにこのエルバキア帝国。

 ユグトリア・ノーツでは、主人公のリードたちが解決してゆく一連の事件の震源地となっていた。

 血生臭いイベントもあったりなかったり。




 話をオネリー商会に戻す。


 件の貿易商の噂は、早い段階でフリード伯爵の耳に入っていた。

 不審に思った伯爵は貿易商の輸送ルートを内偵。

 貿易商が、宗教的には中立な、ある群島国家を中継してエルバキア帝国産のギフタル小麦を輸入しようとしていたことを突き止めたらしい。


 世に言う「帝国小麦密輸事件」である。


 オルリス教国家に戦を仕掛け、版図を拡げつつあるエルバキア帝国は、言わば敵国。

 貿易商は利敵行為を行なった廉(かど)で重罪に問われ、死刑になった。


 ただ、彼からギフタルを購入しようとした者たちはそれが帝国産であることを知らされていなかった為、悪意なしということで死刑は免れ、奴隷に落とされることで決着した。

 オネリー商会の支店長もこれに含まれる。




 では商会自体はどうなったのか。


 ギフタルの購入は支店長の独断で行われた。

 従って商会としての罪は比較的軽く見積もられ、オネリー商会は国から二ヶ月の営業停止を命じられる。

 通常通りであれば、苦しいながらもなんとか乗り切れるくらいのペナルティ。


 だが、押収されたギフタルに投じた金は戻って来ず、それでも支払うべきものは払わなければならない。

 さらに、ギフタルの売却を約束した貴族や豪商には、違約金まで支払わねばならなかった。


 結局オネリー商会は、二ヶ月の営業停止中に倒産した。


 商会長のカミルは、妻と幼い息子を旧友の家に預けて身を隠させ、自らは債権者の雇った取り立て屋に脅されながら、支払いの整理と従業員の再就職先の手配に駆けずり回った。


 やがて営業停止が明ける頃、なんとか債務整理と従業員全員の再就職先に目処をつけた彼は、自らが築き上げた商会の建物をあとにする。


 それはどれほど無念なことだっただろうか。


 彼は知人の伝手を頼り、妻と息子を連れ、財務のできる人間を探しているという王国南東部の田舎領主を訪ねた。

 雇用条件は悪かったが、とにかく家族を養えるなら、と彼はそこで働くことを決意する。


 以上が、俺が執事のクロウニーから聞いた、スタニエフの父、カミル・オネリーの来歴だった。





「オネリー商会か。聞いたことがある名だね」


 タルタス男爵は思案顔になり、何やら考えた後、ベルを鳴らした。


 間もなく、眼鏡を掛けた白髪の執事が姿を現わす。


「なあデルモント。オネリー商会という名に覚えはないか?」


 男爵の問いに、老執事はしばし目を閉じ、ゆっくり目を開くとこう答えた。


「昔、当家が食料品などを買い付けていた商会でございますね。品質、納期、対応とも非常に良い店だったのですが……残念ながら『帝国小麦密輸事件』の際に資金繰りに行き詰まり、倒産してしまいました」


「なるほど。それで私もその名に覚えがあった訳か」


 頷くタルタス卿。

 執事は少し顔を傾けた後、言葉を続ける。


「確か、かの商会が倒れる時に商会長から相談を受けまして、元従業員たちを何名か当家にて雇い入れております。経理のミルト、従者のチルム、メイドのハンナが、オネリー商会の元従業員です」


「ああ、そうか。何年か前、廃業した商会から従業員を引き受けたことがあったが、それがかの商会か。……デルモント、すまないが三人をここに連れて来てくれ」




 執事が退室すると、男爵はこちらを見てニヤリと笑った。


「それで君は、なぜ昔廃業した商会の名を再び使おうと思ったんだい?」


 うん。いい質問だ。

 そこから入った方が話が早い。


「色々理由はあります。が、一番の理由は、商会長をゆくゆくは彼に頼もうと思っているからです。……スタニエフ、挨拶を」


 俺が振り返ると、スタニエフは狼狽していた。


「え、あの、でも……」


 キョドるスタニエフ。

 まあ突然の話だし、混乱するのも当然か。


「大丈夫。いきなり丸投げしないし、ちゃんと俺が支えるから」


 スタニエフと視線が重なる。

 俺はなるべく穏やかに頷いて見せた。


 スタニエフは一瞬だけためらい、顔を上げた。


「ご、ご紹介に与りました、スタニエフ・オネリーです。かつてオネリー商会の商会長を務めておりましたカミル・オネリーは私の父になります」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る