第78話 夢への道筋
その週の土曜日。
黎星学園の学生寮の前に純白のリムジンが停められている。
普通ならリムジンが停まっていれば人目を引くものだろうが、この寮に限っては別に珍しいことではないので寮生も気に留めることはない。
学生寮の部屋は広めのワンルームマンションタイプで簡易キッチンとバス・トイレが付属している。
二つの建物の1階部分が繋がっており、そこに食堂や図書館、娯楽室、談話室、フィットネスジムなどがある。
建物に入ることができるのは寮生だけであり、保護者や学園関係者、黎星学園の生徒であっても許可を取らなければならない。
ただ、例外として寮の敷地内と建物の玄関横にある面談室には守衛のチェックを経た上で立入が認められている。
「穂乃香さま、お待たせして申し訳ありません!」
高等部1年の水鳥川詠美が面談室に慌てた様子で飛び込んできたのは午後1時5分前のことである。
余程急いできたのか、荒い息を整えながら申し訳なさそうに頭を下げている。
「まだ約束の時間になっておりませんわ。それほど慌てなくても大丈夫です」
穂乃香は心底恐縮していそうな様子の詠美に苦笑いでそう言って宥める。
「も、申し訳、あ、えっと、はい」
再び謝ろうとして、穂乃香の言葉を思い返し、さりとてどう言っていいのかわからずに奇妙な返事をしてしまう。
そうしてようやく頭を上げた詠美は、穂乃香の隣に居る陽斗の姿にようやく気付いた。
「西蓮寺君?! え? ど、どうして?」
「急にごめんなさい。僕も、その、水鳥川さんの夢を応援したいと思ってて、穂乃香さんに無理を言ってついて来ちゃったんだ。もし水鳥川さんが嫌なら帰るけど、良かったら一緒に行っても良いかな?」
唐突な申し出に戸惑う。
これまで誰にも教えなかった自分の夢を知られてしまった切っ掛けは陽斗が詠美のノートを拾ったからだ。恥ずかしいという気持ちはあるが、そのおかげで穂乃香が機会を作ってくれたことも理解している。
それに、今や学園でも1、2を争う人気があり、小柄な身体とつぶらな瞳、優しげな顔にいつも一生懸命な陽斗に好感を持っているのはクラスのほぼ全員で、詠美も例に漏れない。
そんな陽斗に上目遣いで頼まれれば嫌と言えるわけがないのである。
「う、うん、大丈夫。それに今回のことも西蓮寺君がノートを拾ってくれたおかげだから」
「水鳥川さん、ありがとう!」
「はぅ!」
輝く笑顔、あくまで詠美の主観であるが、嬉しそうに破顔する陽斗の顔を正面から向けられて詠美の顔が真っ赤に染まる。
それを見る穂乃香の表情は複雑だったりする。
陽斗に他意は無いのはわかっているし、詠美にしても陽斗に正面から笑みを向けられて照れているだけだとは理解しているのだが。
そんな寸劇を経て、ようやく3人はリムジンに乗り込む。
「わぁ、すごいですね。この車は穂乃香さまの家の?」
「いえ、これは陽斗さんの家のものです。少々警備の関係でお願いしましたの」
リムジンの広さと内装に感嘆の声をあげる詠美に、穂乃香はそう説明するが、実際は過保護すぎる皇家の面々が陽斗と穂乃香の安全を過剰に考慮した結果の産物だったりする。
当然、目立たないように数台の車両が前後を警護するし、目的地である工房は既に厳戒態勢が敷かれている。
リムジンは市街を通って高速道路に乗る。
穂乃香のいうジュエリー工房は都内や各主要都市に店舗を構えているが生産は埼玉県の郊外にある工房で行っているらしい。
寮を出て2時間弱。
目的の工房に到着する。
が、初めてジュエリーの工房を訪れることになった陽斗と詠美はその外観に驚いていた。
「なにか、普通の工場、だね」
「すごく意外な感じがします」
陽斗の言葉通り、工房の見た目はどこにでもあるような町工場を少し小綺麗にした感じの建物だ。
看板にも特にジュエリーを思い起こさせるものは無い。
「貴金属を扱っていますからあえて目立たないようにしているそうですわ。それでもセキュリティーはしっかりしていますし、設備も充実していますわよ」
穂乃香がそう言いながら先に立って建物に案内する。
「四条院様、ようこそおいでくださいました」
建物に入るなり、数人の男女が深々と頭を下げて出迎える。
「斉川さん、お久しぶりですわね。本日は無理をいって申し訳ありませんね」
「とんでもございません! 四条院様にはいつもお世話になっておりますから、私どもにできることでしたらいつでもお声掛けください!
そちらの方がジュエリーに興味があるというご学友の方でございますね。本日は私、斉川が案内とご説明をさせていただきます」
斉川と呼ばれたのは40代後半位の、痩せ型で優しそうな男性だった。
名刺の肩書きは製造部長となっており、彼自身もジュエリーの職人らしい。
挨拶もそこそこに、早速工房を案内してくれる。この無駄のない性急さも職人らしいと陽斗には思えた。
最初に案内されたのは工房というよりはオフィスといった方がしっくりきそうな部屋だ。
10ほどのデスクにパソコンが置かれており、部屋の壁際に大きな箱型の機械が数台設置されている。
「ここは採用されたデザインを基にCADを使って3Dのデータを作り、それを3Dプリンターで造形する部署です」
ジュエリーの製作はいくつもの工程に分かれている。
まず、デザイナーがデザイン画を描き、それを設計ソフトで3Dデータにする。そして3Dプリンターで出力したものを別の職人が原形に仕上げるらしい。
そして出来た原形を使って鋳型を作り、実際の貴金属を流し込んで成形。その後レーザー加工や彫金、磨き、石留めなどの工程を経てジュエリーが完成する。
無論他にも様々な工程があるし、製造そのものもいくつも種類があるのでそれぞれに専門の職人が技術を駆使して製作しているそうだ。
斉川は工程の最初から丁寧にわかりやすい言葉で説明し、時には詠美に実際に体験させたりしてくれた。
それら全てに詠美は目を輝かせながら聞き入り、時折質問をぶつけていく。
その態度や表情から、心からジュエリーが好きなのが伝わってくるようだ。
斉川もそんな詠美に熱心に応え、自らの経験談などを交えながら言葉が途切れることがない。
陽斗も途中までは同じように聞いていたのだが、さすがにその熱意についていけなかったようで、最後の方はただ後をついていくだけの状態だった。
予定の時間を大幅にオーバーして、ようやく次の場所へ。
といっても同じ敷地内なのだが、別の建物に案内された。
「ここが私共のブランドのデザインを全て行っているデザイン部の建物です。デザインはいくつかのチームに分かれて、それぞれのシリーズを担当しています」
斉川の説明に詠美の表情が期待と緊張で引き締まっているのが傍で見ている陽斗にもわかった。
ジュエリーのデザイン画を描いている詠美にとってはこの部署が最も興味深いのだろう。
「ようこそデザイン部へ。穂乃香お嬢様、ご無沙汰しておりますわね。そちらが見学のお客様かしら? ふたりとも可愛いわねぇ! アタシはこの工房のチーフデザイナーをしている
「え、あ、はい、よ、よろしくお願いします」
「あぅ、あ、あの、よろしく」
斉川が専用のセキュリティーカードを通して扉を開け、中に入るとそこはいくつもの部屋が連なっている造りになっていて、チームごとに部屋が割り当てられているらしい。
その通路でひとりの人物が待っており、穂乃香へ挨拶を交わす。面識のある相手らしく、随分と気さくな雰囲気である。
そして詠美と陽斗は、少々引き気味に挨拶を返していた。
「美浦さん、ふたりが驚いていますわよ。
……陽斗さん、水鳥川さん、この方はこの工房でデザインの総指揮を執っているチーフデザイナーの美浦
そう、陽斗達が面食らった理由は、女性口調なのに外見は30代後半くらいの男性だったからである。
いわゆるオネェ系というタイプなのだろうが、見た目の印象はイタリアの伊達男と言ったほうが近いかもしれない。
とはいえ、ファッション業界にはそういうタイプが多いというイメージもあるのでそれほど違和感は無い。
穂乃香にたしなめられた美浦は取り繕うように咳払いをひとつ。
ニンマリと人好きする笑みを浮かべると、早速デザイン部の説明を始めてくれる。
ごく簡単なデザイン部の概要を話し終えると、部屋の一つに通された。
「他のチームはデザインが固まってたり、調整をしていたりするからさすがに見せるわけにはいかないの。ここは次のデザイン案を出す前のブリーフィングの段階ね」
部屋には5人ほどの男女が居て、ホワイトボードを前にターゲット層やコンセプト、価格帯などの意見を自由に出しあっているようだ。
詠美は邪魔をしないように部屋の隅でその様子を見たり、小声で美浦に質問したりする。
「はぁ~……」
あまり長居してはやはり邪魔になってしまうので15分ほどして部屋を出た詠美が、大きな溜息を吐いた。
といっても表情が恍惚とした幸せな溜息だったようだ。
そしてしばし充足感に浸った後、肩に掛けていたバッグからノートを取り出す。
「あ、あの、私、ジュエリーのデザインを描いてみたんです。素人丸出しで、全然駄目だとはわかっているんですけど、も、もし良かったら見ていただけませんか?」
ブランドの、それもチーフデザイナーという立場の人にデザインを見てもらう機会など普通はまずない。
以前、ほのかに誘われたときに勧められた通り、ダメ元で詠美は自分の書いたデザイン画を持ってきたのだ。
自分で比較的出来が良いと思われるデザインを、見せても恥ずかしくないよう綺麗に書き直してある。
「もちろん構わないわよ。お嬢様にも頼まれているし、若い人がジュエリーデザインを志してくれるのは嬉しいわ」
美浦はそう言って詠美に笑いかけ、『ここでは落ち着けないから』と空き部屋に移動する。
ミーティング用のテーブルと椅子、ホワイトボードがあるだけの簡素な部屋の椅子に腰掛けると、詠美からノートを受け取り真剣な顔で一枚一枚じっくりと見ていく。
その顔は間違いなくプロの顔であり、詠美は緊張して今にも泣き出しそうになりながら美浦の言葉を待つ。
詠美のノートに描かれていた20種類ほどのデザイン画を全て見終わり、美浦が顔を上げる。
「そう、ねぇ。まず、高校生にしてはしっかりと勉強してるし基本を押さえてあるわね。感心したわ。それにとても丁寧に描かれているから見やすいわよ」
美浦がそこで言葉を切ると、詠美はホッとした様子で小さく息を吐く。
が、美浦は眉を寄せたまま、穂乃香にチラリと視線を送る。それを見た穂乃香が小さく頷く。
「水鳥川さん、だったわね。これから厳しいことを言うけど、聞く覚悟はあるかしら? もし、貴女が単なる趣味でジュエリーのデザインをして、個人の楽しみの範囲で作るだけなら意味がないからこれ以上は言わないわよ」
美浦の言葉に詠美の肩がビクリと震える。
しばしの沈黙のあと、詠美が最初は小さく、そして次に大きく頷いて口を開いた。
「き、聞きたい、です。厳しくても、聞いておきたいです!」
決意のこもった言葉。
美浦が苦笑を浮かべながら頷き返した。
「そう。わかったわよ。
……貴女のデザイン、これでは商品にならないわね。確かに高校生とは思えないほどの完成度だけど、肝心の内容はありきたりで面白みがないのよ。既存の商品の特徴を切り貼りしただけのデザインでしかないわ。
このデザイン画には貴女の個性が何も無い。既存のジュエリーから見て強みがないわ。なにより、誰に、どんなシチュエイションで身につけて欲しいのかがまったく見えない。いくら画が上手でもデザインとしてはなんの価値もないわ」
美浦の口から出たのは、あまりに辛辣な評価の言葉だった。
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