第40話 貴臣の苛立ちと陽斗のクラブ活動

「桐生先輩、勘弁して頂けませんか? 僕にもやることがあるので先輩の仕事を押し付けられても困ります」

「テメェ、俺に逆らうってのか? あ゛?」

 高等部1年のネクタイを着けた男子生徒が毅然とした態度で拒否すると、その答えを聞いた桐生貴臣は柳眉を逆立てて睨み付ける。

 だが男子生徒の方もそれに怯んだ様子は無い。

「錦小路会長から、桐生先輩が無理を言ってきても聞かなくて良いと言われています。何かするようならすぐに報告するように、とも」

「何だと?」

 

 貴臣が同級生や下級生に横柄な態度で接しているのは一部ではよく知られた話だ。

 特に桐生家と繋がりがあったり格下の家柄の生徒に対し高圧的な言動をすることも。

 この日も下級生に対して自分がやるべき作業を肩代わりさせようとして、その生徒が拒否したのだ。

 作業自体は大したものではない。

 仮に両者の人間関係が良好で、本来するべき人物が忙しかったり体調が悪かったりすれば快く引き受けるであろうという程度のものでしかないのだが、貴臣のように高圧的に命令されれば断りたくもなるというものだ。

 

「チッ!」

 貴臣は舌打ちして踵を返す。

 さすがに桐生家よりも遥かに格上の錦小路家が後ろ盾となったのなら無理を押し通すのは難しい。

 それを男子生徒は知っているし、貴臣も理解していることを察しているからこそ敢然と拒否することができるのだ。

 それに男子生徒自身も親の事業を引き継ぐべく後継者としての教育を受けているので実家に迷惑が掛からないのであればそうそう脅しに屈することはない。

 先輩後輩というだけで人間関係が決まるほどこの学園は単純ではないのだ。

 

「くそったれ!」

 廊下を歩きながら貴臣は苛立たしげに吐き捨てる。

 チャリティーバザーの少し前くらいから周囲の、特に生徒会関係の生徒の貴臣に対する態度が明らかに変わってきていた。

 どこかよそよそしく淡々とした受け答えに終始し、生徒会役員としての業務以外での会話は素っ気ない。

 明らかに貴臣に対して距離を取ろうとする態度だった。

 それまでは貴臣に、というよりは桐生家に媚びていた同学年や下級生ですら貴臣が近寄ろうとすると困ったような顔でそそくさと立ち去ろうとする。

 こんなことができるのは生徒会でただ一人、生徒会長の錦小路琴乃だけだ。

 穂乃香の四条院家や壮史朗の天宮家も桐生家より力を持っているものの、桐生家に圧力を掛けられた他家を救済できるほどではない。

 それができる家は今の在校生では貴臣が知る限り錦小路家しかない。

 別の意味で桐生家の影響力を完全に排除できる家はもうひとつある。が、今回は関係ないので除外する。

 

 それだけでも貴臣にとっては我慢ならないほどであるのに、さらにもう一つ気に入らないことがある。

 あの、貴臣が自分の女だと公言して憚らない四条院穂乃香にことあるごとにまとわりついているガキ、西蓮寺陽斗に手が出せないことだ。

 以前、陽斗を脅迫した翌日、父親に呼び出された貴臣は、その場で今後一切陽斗に関わらないと約束させられた。

 理由を尋ねても答えてもらえず、さりとて釘を刺された以上手出しもできず、のほほんと穂乃香の側にいる目障りな陽斗を指を咥えて見ているしかできない。

 むしろ他の生徒会役員から距離を取られていることよりもそちらの方が貴臣にとっては気に入らないのだ。

 

「どうせこれも錦小路が手を回してやがるんだろうが、ぜってぇこのままじゃ済まさねぇからな」

 陽斗に関しても琴乃が直接桐生家に圧力を掛けたのだろうとあたりをつける。

 現状では手の出しようがないが、何とかして琴乃と陽斗に思い知らせ、穂乃香を手に入れるための方策がないかと考えはじめる。

 貴臣は怒りの感情を隠すことなくブツブツと呟きながら学園を後にした。

 

 

 

 陽斗が所属する料理部の部室は出来上がったばかりの美味しそうな香りが立ちこめていた。

 今日の活動は調理であり、メニューはイタリアンのコース料理。

 イタリアンのコースというと基本形はアンティパスト、プリモ・ピアット、セコンド・ピアット、コントルノ、フォルマッジィ、ドルチェの6種に食前、食後の酒類とそれに伴うツマミを加えたものだ。ただ、部活なので当然ながら酒は出さないし、ツマミもない。

 さすがは黎星学園というべきか、普通は学校の部活でコース料理など作るとは思えないが、この料理部では割といつものことらしい。

 

 とはいえ、さすがに全員分を作るわけではなく、4、5人分の料理を分担して作り、全員で試食をする。

 じゃないと部活でお腹が一杯になってしまう。

 料理の内容は南イタリアの食材を中心としたものだ。

 陽斗にとってイタリア料理といえばあの全国的なリーズナブルファミレスだが、もちろん今では普通に屋敷の食卓に並べられ食べることができている。

 それでもコースという形では初めてだし、それを自分達が作るというのが楽しくて仕方がないらしい。

 メインであるセコンド・ピアットと前菜であるアンティパストの半分ほどを3年が、パスタを中心としたプリモ・ピアットとドルチェを2年が、残りは1年が、といってもフォルマッジィは単にチーズを切って盛りつけるだけなので野菜料理のコントルノとアンティパストを数種類作るだけだ。

 

 陽斗はアンティパストに使う白身魚のフリットとスモークサーモンのアスパラ巻き、チーズのガレットを穂乃香と一緒に作った。

「陽斗さん、ごめんなさい。結局ほとんど陽斗さんにさせてしまいましたわ」

「う、うん、大丈夫。穂乃香さんが魚とか野菜を切ってくれたし」

 穂乃香の陽斗に対する距離が以前と比べてもかなり近い。

 10日ほど前のチャリティーバザーで内心を暴露しあったせいなのか、あの後数日はお互いに微妙な態度を応酬していたのだが、落ち着いてからは穂乃香がグイッと距離を詰めてきた感じがしている。

 

 陽斗としても大切な友人である穂乃香と一層仲良くなれた気がして嬉しい反面、同年代の異性と接した経験が乏しいので戸惑うことも多い。

 適切な距離感が掴めていないのもあるが、なにしろ穂乃香自身が陽斗の目から見ても美人で魅力的なので陽斗をしてドキドキしてしまうのだ。男の子だもん。

 それに加えて穂乃香の方もこれまで悩みやコンプレックスを吐露する相手が居なかったこともあり、陽斗に対してかなり打ち解けた様子を見せるようになっている。

 ついでにいうとバザーの時に中等部の女子達に頭を撫でられていたことが耳に入って少々ヘソを曲げた穂乃香が陽斗の頭を撫でたがり、恥ずかしがりながらも了承した後どういうわけか今度は陽斗が穂乃香の頭を撫でるといったイベントが発生したりしたが、それはまぁあまり関係ないので良いだろう。

 

「さぁ皆さん、席にお着きになって」

 部長の小鳥遊たかなし詩織しおりがそう声を掛けると、ある程度調理台の片付けを終えた部員達がすでに料理が並べられたテーブルの所定の席に座る。

 コースといっても部活動ではさすがに料理を順に提供するわけにはいかないので一度に並べられている。

 とはいえ、一人分の分量としては通常の数分の1程度のささやかな量で器もそれに合わせた小ぶりなものだ。

 しかも料理の仕上がりの時間を調整するのは難しいので温かいまま並べられたのはメインである牛肉のスペッツァティーノ(煮込み)だけで他はあらかた冷めてしまっている。

 

 しかしそこはそれ、そういったマイナス面を差し引いても気心の知れた部活仲間で料理の感想を言い合いながら食べるのは楽しいものだ。

 ただ、陽斗の場合、楽しいとばかりは言っていられなかったりする。

「西蓮寺くん、ジェノベーゼはどうかしら?」

「西蓮寺さん、そのナスとズッキーニのグリルの味はどう?」

「あ、あの、お、おいしい、です」

 左右から次々に感想を聞かれてしどろもどろになりながら拙い言葉で返す。

 料理部で調理後の試食をするとき、陽斗の両側にも当然他の部員達が座るわけなのだが毎回顔ぶれが変わる。のは良いのだが、どういうわけかやたらと陽斗にかまうのである。

 

 といっても部員達も良家の子女なので過剰にスキンシップを取ってくるというわけではないのだが、自分の作った料理をアピールしてきたり、陽斗が食べるのをニコニコと笑いながらじっくりと見ていたりと、まるで親戚の人が子供に自慢の料理を勧めているかのようだ。

 これでもまだ良くなった方で、最初は口元まで料理を運んで食べさせようとしていたほどだった。

 さすがにそれは穂乃香と詩織がやんわりと窘めたが。

 他の場所では部員達が口にした料理の批評をしたり改善点を語り合ったりしているが、陽斗の乏しい料理に関するボキャブラリーでは『美味しいです』しか言えず、何故かそれでもそれを聞いた部員達は満足そうにしていた。

 

「白身魚のフリットはレモンと、これは山椒、かしら? 爽やかでとても美味しいですわね。ガレットも香ばしくてとても良い出来です」

「あ、ありがとうございます」

 構われまくって顔を赤くしながらアワアワしている陽斗と、表面的にはすましていながら微妙に眉間に皺の寄ってきた穂乃香を見かねたのか、詩織が本来の部活動である料理の感想を陽斗に振る。

 とはいえ、無理にではなく率直な感想である。

 料理評論家ではないし、プロの料理人を目指しているわけでもないので難しい顔をして批評する意味もない。

 

「本当に陽斗さんは料理がお上手ですわね。調味料も沢山使いこなしていますし、わたくしなんてレシピ通りに作ってもなんだか微妙な味になってしまいますのに」

「そうよねぇ。イタリアンに山椒?って思ったけど、レモンとバッチリ合うし、やっぱりセンスの差なのかなぁ」

 一緒に作っていた穂乃香や別の同級生とコントルノを担当していたセラまでが陽斗の料理を褒めそやすと陽斗は恥ずかしそうに、それでいてちょっとだけ誇らしそうに笑みを浮かべる。

 そんな陽斗の仕草を見て部員達は実に満足そうな表情で見ていた。

 

 得意と言えるものが料理くらいしか自覚のない陽斗にとって、この料理部は宝の山のようなものだ。

 本でしか見たことのない食材や調味料の数々に毎度目を輝かせ、先輩達に詳しい特徴や調理法を聞いたり味見をしたり。

 レシピを踏まえた上でアレンジを加えたりするのが楽しくて仕方がないらしい。

 料理部には男子部員が居らず、陽斗が唯一の男子となることを知ったときは不安だったのだが、先輩達は皆親切で、丁寧に指導してくれているので気恥ずかしいのを除けば居心地は悪くない。

 そう、近づく度に頭を撫でられたり、料理の試作をしている先輩達に指導を受けると完成した料理をアーンされたりすることを除けば。

 最近ではなんとか重斗を説得して屋敷でも調理する許可をもらって、部活で憶えたレシピの練習を始めたところだ。

 

「そういえば、先日家で作るとおっしゃっていたガトーショコラはいかがでした?」

 試食を終えて後片付けをはじめると、並んで食器を洗っている穂乃香が陽斗に尋ねてきた。

 対面側の洗い場にはセラも居てボウルや調理器具を洗っている。

 基本的に1年生が後片付けを担当し、2年生と3年生はその日に作った料理のレシピを整理したり、パソコンに打ち込んだりする作業を行っている。

 

「うん。週末に家で作ってみたよ。ちょっと形は崩れちゃったけど味は大丈夫だったみたい。

 お祖父ちゃんも喜んでくれたし、家の人も美味しいっていってくれたから嬉しくて」

 その時のことを思い出したのか可笑しそうに笑みを浮かべる陽斗。

 実際には普段は甘いものなど食べない重斗だったが陽斗が手ずから作ったと聞き大歓喜。

 重斗の好みの聞き取りも抜かりなく行っていた陽斗は甘さ控えめで少しほろ苦い仕上がりにしていたのだが、そんなことは関係なく滂沱の涙を流しながら数口食べた後、残りを胃に収めてしまうのが勿体ないとそのまま冷凍保存するなどと言い出した。

 

 当然それは可愛くて可愛くて仕方がない孫が、“自分のために”作ってくれた料理を全部食べるのが勿体なくて保存しておきたかったからなのだが、聞きようによっては食べたくないのを誤魔化しているように思えなくもない。

 陽斗としては誤解しようもないほどデレッデレになっている重斗の顔とガトーショコラを口に入れたときの表情で誤解せずに済んでいたのだが、重斗は執事頭の和田とメイド長の比佐子からがっつりと説教をくらっていた。もちろん陽斗は慌てて止めていたが。

 その翌日には朝から頑張って全ての使用人に行き渡るように沢山のガトーショコラを焼いた。

 全員がとても喜び、感涙しながら食べる様子に陽斗も苦笑いだった。

 しかももの凄いチビチビと時間をたっぷり掛けて食べるものだからその日ばかりは屋敷の仕事がかなり滞ったと後で聞いた。

 もちろんその日非番や兼業の仕事で屋敷にいなかった使用人の分も用意していた。

 尚、その保管は和田と比佐子の両名が責任を持って行い、近づこうとした使用人達を追い払うのに苦労したとかしないとか。

 

「いいなぁ~! ねぇ陽斗くん、今度私にも作ってくれない?」

「ちょ、セラさん、そのような無理を言ってはいけませんよ。た、確かに陽斗さんが個人的に・・・作ってくださるなら、その嬉しいですが」

 穂乃香はセラを嗜めようとしているのか便乗しようとしているのか。

 だが陽斗は料理を作って相手が喜んでくれる楽しみを知ったばかりだ。

 なにしろ以前は何を作ろうが文句を言われ、気に入らなければ暴力を振るわれるばかりだった。幾度か新聞販売店の従業員などに料理を作った事があり、随分と感心されたり褒められたので料理を作ることは嫌いではなかったが、喜んでもらえるというのはまた格別なことなのだ。

 だからそのせっかくの機会を逃すはずもない。

 

 陽斗は輝くような笑顔を二人に向け、

「うん! 僕も穂乃香さんやセラさん達に食べてもらいたい!」

 そう言ったのだった。

 

 

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