実家に帰ったら甘やかされ生活が始まりました
月夜乃 古狸
第1話 薄幸の少年
初めましての方も別作品からの方も、この作品に目を留めてくださり、本当にありがとうございます。
今回はファンタジー要素の無い現代学園ラブコメとなります。
どうかお気に召しますと嬉しいのですが。
タイトル回収は3話目以降です。重い話は最初だけw
あとはひたすらほのぼの系です。
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キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン……
誰しもが聞き慣れた学校のチャイムが冬の清んだ空気を振るわせる。
大人にとってはノスタルジックな響きを持つソレも、当の対象者である学生達に取っては解放の狼煙だろう。
九州の一地方都市にあるありふれた中学校も例に漏れず、チャイムが鳴り終えると途端にざわつき始める。
友人達とおしゃべりをしながらのんびりと出てくる生徒、3年生なのか参考書に目を落としながら歩く生徒。
どこにでもある、なんの変哲もない風景。
舞台はそんな場所から始まる。
「おい、井上!」
帰り支度をして教室を出た少年を怒鳴るような声が呼び止めた。
声を掛けられた少年だが、上履きの色から3年生と分かるものの身体はかなり小柄だ。おそらく身長は140センチちょっとで、周囲を行き交う女子生徒よりも小さい。体重もそれに見合った程度しかないだろう。おそらく街中を歩けば小学生にしか見られないはずだ。
「な、なに?」
少年が恐る恐るといった様子で声の方に目を向ける。
そこには同じ色の上履きを履いた3人の男子生徒がニヤニヤと笑みを浮かべながら少年を取り囲むように立っていた。
少年とは対照的に大柄な、特に真ん中の、少年に声を掛けた生徒は170センチを優に超え、体格もガッシリとしている。他の2人もそれには劣るものの少年とは比べものにならないほど大きい。
「今日もこれから新聞配達かぁ? 大変だねぇ貧乏人は」
少年に掛けられる言葉にはたっぷりの悪意が込められ、表情は嘲笑の色に染まっている。
「エージ君、そんなこと言っちゃ可哀想だってぇ。井上は家が貧乏なんじゃなくて親に見捨てられてるだけだし」
「そうそう、働かなきゃ給食も食べられないしノートも買えないんだろ? 今どき高校も行かせてもらえないなんてカワイソーじゃん」
追従する2人も嘲るように笑う。
3人ともまだ15歳程度とは思えないほど醜悪な顔だ。
「悪ぃ悪ぃ、井上は家族からも“いらない”って思われてるんだったなぁ。っとぉ、どこ行くんだよ!」
少年に浴びせられる言葉による暴力。
それを無視して脇を通り過ぎようとしたところを手を広げられて邪魔される。
どこから見ても悪質なイジメだ。
だがそれでも、周囲の生徒で止めようとする者は誰もいない。
むしろ関わり合いにならないように足早に通り過ぎていくだけだ。
イジメの中心となっている生徒、藤堂英治は父親が地区選出の国会議員で、古くからこのあたりで力を持っているいわゆる名士の家柄だ。
英治が問題を起こしても学校も警察も黙殺してしまい表沙汰になることはない。下手に目を付けられてターゲットにでもされたらたまらないのだ。
「そんな“いらない子”の井上でも俺達は感謝してるんだぜ? だってさぁ、シッ!」
ドガッ!
「っ!!」
英治がいきなり少年の太股を膝で蹴り上げ、その痛みに悲鳴をかみ殺しながら少年が蹲る。
「受験で大変な俺達のストレス解消を手伝ってくれるんだからさぁ」
「ぎゃはは、良かったじゃん! 役に立てて、な!!」
別の1人も痛みを堪えて立ち上がろうとした少年の脇腹を殴る。
「!」
それでも少年は声をかみ殺し、表情が見えないように顔を背ける。
反応すればますますイジメが酷くなることを知っているからだ。
「何をしている」
そんな状況を不意に掛けられた声が中断させた。
「?! あ、何だ青山先生っすか。いや何でもないです。ただ井上君に愚痴を聞いてもらってただけっすよ」
驚いたように振り向いた英治だったが声の主を見て安心したように笑みを浮かべて答える。
明らかなイジメの現場、だが、そこにいた青山と呼ばれた教師は冷たく少年を一瞥すると、フンッと鼻を鳴らす。
「なんだ、井上はまだ学校に来ているのか。どうせ進学なんてしないんだから汚らしい格好で校内をうろつくんじゃない。まったく、今はみんなが受験を控えて大事な時期なんだ。お前のようなクズがいるだけで目障りだ。
明日から期末試験なんだから藤堂達もあまりそんなのに構ってないで早めに帰れ」
「「「は~い」」」
そのまま立ち去る青山を見送った3人が改めて少年を囲む。
元々少年も青山という教師に期待はしていなかった。
青山は少年が2年の時の担任だったが、最初から少年に対して冷淡だった。
それどころか少年が余程気に入らなかったのか、どれほど授業を真面目に受けようが試験で点数を取ろうが常に成績は最低にされていたし、ことある毎に貶め、英治達のイジメを助長してきたのだ。
3年に進級してからは担当教科以外では関わることがなくなったのが救いである。
別のクラスになったのは英治達もだが、この3人はわざわざ待ち伏せしてでも少年に絡んでくるのだが。
「残念だったなぁ、先生にまで見放されるなんてカワイソウな井上君。まぁ、そんな汚ぇ制服着てりゃしょうがないけどよぉ」
言いながら上履きの靴底で少年のズボンをわざわざ汚す。
確かに少年の制服は学校指定のものではあるが、3年間着古した物をさらに数年使っているかのように色は褪せて所々擦り切れているし肘や膝は生地が薄くなってしまっている。今どきこんな状態になるまで服を着ている人はまず居ないだろうと思われた。
それに髪もボサボサで不揃いに切られているせいで余計にみすぼらしく見えてしまっている。
だが顔立ちは整っていて、小柄な体格とやや丸顔でぱっちりとした眼は小動物を思わせる愛らしさがあった。
「ちょっと、何やってるのよ!」
再び繰り広げられそうになっていた言葉と肉体への暴力を止めたのは、少年が出てきた教室の入口付近から響いてきた声だった。
「ちっ、宮森かよ。オメーには関係ないだろ? あ、そうか、前々から怪しいと思ってたけど、オマエら付き合ってんじぇねぇのか?」
「バッカみたい。中3にもなって小学生みたいなことしか言えないの? まぁ藤堂が何言っても別に気にしないけど、アンタみたいな甘やかされて育ったボンボンと違って井上君は忙しいの。いいかげんくだらないこと止めたら?」
宮森と呼ばれた女子生徒は英治を怖れることもなく睨み付けながらまくし立てた。
「テメェ、黙って聞いてりゃ調子にのってんじゃねーぞ。俺を怒らせてただで済むと思ってんのか?」
「いい歳して父親に泣き付くって? それともお友達にでも頼む? それなら私も家族を頼ることにするわ。言ってなかったっけ? 叔父さんは東京の新聞社に勤めてるし、姉さんは報道番組のアナウンサーやってるんだけど」
しばしの睨み合い。
それは宮森に軍配が上がった。
「ちっ、行こうぜ」
父親が地元でそれなりの権力を持っているといっても所詮はこの地方止まりだ。
万が一にも不利な報道でもされたら地位も影響力もあっという間に失いかねない。子供とはいえその程度は英治にも分かるのだろう、舌打ちを残して取り巻きと共に歩き去っていった。
「あの、ありがとう宮森さん」
「井上君、大丈夫? ゴメンね気がつくのが遅くなって。ちょっと友達と話してたから。殴られたりしたんじゃない?」
曖昧に首を振る少年に、女子生徒、宮森若菜は何をされたのか半ば察しながらそれ以上は追及することなく、少年の服に付いた汚れを払う。
「いつもありがとう。それじゃ僕は帰るね」
「あ、うん、また明日」
少年のはにかむような笑みを向けられて、若菜はちょっぴり頬を染めながら手を振り、早足で歩いていく少年を見送った。
「ただいま」
九州とはいえ12月後半の夕方ともなれば寒い。
少年が寒さで背を丸めながら、中学校から徒歩15分ほどの自宅に帰ると、あまり音をたてないようにそっと玄関を開ける。
そして一言帰宅の言葉を告げると靴を脱いだ。
薄汚れて元の色が分からないほど古ぼけたスニーカーを大事そうに払い、シューズボックスの隅に片付ける。
「どこほっつき歩いてたわけ?! このグズ! さっさと食事作りなさいよ!」
「ご、ごめんなさい」
リビングに入るなり叩き付けられた女の怒声に、少年は首を竦めて謝る。
決していつもより帰宅が遅いわけではない。
むしろ試験前で普段よりも少しばかり早い時間なのだが、少年は一切の反論をすることなくカバンを自室に置き、制服を着替える。
怒鳴られるのはいつもの事で、早くても遅くても、何をしようが怒鳴られるのだ。
反論などしようものならそれこそどんな目に遭わされるか考えたくもない。
少年の自室、といえば聞こえは良いが、少年の物など学校で使う物と僅かな私服以外はほとんど何も置いていない。
6畳ほどの部屋の半分の面積は先ほどの女の衣服などで占領されており、机代わりの木箱と本棚代わりの段ボールひとつ、どこかで拾ってきたような毛布が1枚畳まれて置かれているスペースが少年のプライベートエリアの全てだ。
また怒鳴られないように急いで制服から色あせたジーンズとシャツに着替えて部屋を出る。
リビングのソファーに座ってテレビを見ながら化粧をしている女の後ろを通り、キッチンで食事を作り始める。
ニンジンとタマネギのコンソメスープとハムと卵のサンドイッチ。
これから女が職場である店に出勤するために軽めのメニューを手早く作っていく。
それからそれとは別に味噌汁と鶏モモ肉の照り焼き、付け合わせにいくつかの小鉢料理も作り、ラップを掛けておく。
作ったのはそれぞれ1食分だけだ。
それが終わると、干してあった洗濯物を急いで取り込み、簡単に部屋の掃除をする。
学校とアルバイト以外の時間で家事をするのは少年の仕事だ。
だが、それが報われることはあり得ない。
先ほど作った食事も、味見以外で少年の口に入ることはなく、仮に残ったとしても全て捨てなければならない。
「風呂が汚かったわよ。私が帰るまでに絶対に綺麗にしておくのよ、いいわね!」
どれほど磨き上げようが必ず言われる言葉に黙って頷く。
忌々しそうに少年を睨め付け、鼻を鳴らして女は出勤していった。
結局女が手を付けたのは用意した食事の半分ほどだった。
触れられてすらいないサンドイッチの残りに少年の口内に唾液が溜まるが、手を付けることは許されていない。
残っていたスープとサンドイッチをシンクのゴミ入れに捨て、食器を洗う。
そうこうしているうちに、そろそろアルバイトに行く時間になる。
少年は急いで戸締まりを確認して玄関に向かう。
ガチャ。
少年が玄関を開けるよりも僅かに早く開けられた先には不機嫌そうな顔をした男が立っていた。
歳は30代半ばだろうか、グレーのスエットにダウンジャケット、だらしないボサボサの髪に無精髭。おおよそまともな職種ではなさそうな風貌だ。
「ああん? 邪魔だよガキが!」
少年が慌てて靴を脱いで場所を空ける。
「チッ!」
舌打ちと共に男は荒々しく靴を脱ぎ散らかすと部屋に入る。
横を通り抜けたので少年はしゃがんで男の靴を手にとって揃えて置く。
と、少年の背に強い衝撃が加わり、その勢いで玄関に強く顔を打ち付けてしまう。
「うっ、痛っ」
飛びそうになる意識を頭を振って取り戻す。
ぶつけた場所に手を当てるとヌルリとした感触がする。
新聞受けにでも当たったのか、額の脇から血が流れていた。
顔と額、背中の痛みに顔を顰めながら立ち上がると、いつの間に戻ってきていたのか男が少年を蹴り飛ばした姿勢のままニヤニヤと笑っていた。
「ああ、悪ぃな、パチンコ負けてついムシャクシャしててよぉ。これから仕事だろ? 帰りにタバコ買ってこいや。マルボロのメンソールな」
少年は無言で頭を下げると、玄関を出た。
アルバイト先でまたタバコ代を前借りしなければならない。
少年の足取りは重い。
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