第四節 親の決断は子供の運命を変える

 ある日、ルマは商会での働きを希望する新人の選定をする為、テルと共に面接の場に同席し、ようやくそれから解放される頃には、時刻はもう昼食の頃合いとなっていた。


「はぁー! んん~! 一度に数十人を相手にするのは流石に疲れるなぁ……!」


 全ての面接が終了すると、テルは席を立ち、腕をこれでもかと上げて体を伸ばし、下ろすと同時に深く吸った息を全て吐くと、自分の横に座っているルマの方を向き直った。


「付き合わせて悪かったな。今日の所は外に出て食べてきたらどうだ?」


「そうですね! たまには出店の物も食べたいですし。……お父様は?」


「私はもう少しやる事があるから気にしなくていい」


「分かりました。それでしたら、ついでに何かお父様の分も買ってきましょうか?」


「おお、頼めるか。それは助かるよ」


 そう話がつくと、テルは硬貨を懐から取り出し、それをルマに渡す。それは、ルマが持てる量を配慮してか、適当な出店の食べ物を数個くらいしか買えない程の金額だった。


「それでは行ってきますね!」


「ああ。私は何でもいいから、ルマが好きなものを買って来なさい」


「はい!」


 さっきまでテルと共に面談をしていたルマの服装は、人前に出ても支障のないものだったため、ルマはお金を受け取るとそのまま外に出た。




 ルマの住んでいる場所は地方とは言っても、他の地方と比べると栄えている方だった。

 その要因の一つ、交通網の多い要所ということも関係しているせいか、ルマの家から少し歩いて行ける距離にある市場には、帝国中から集められて来た沢山の商品が道脇にある行商人たちによる出店で売られていた。

 昼食時だからかルマが市場に着くと、そこは人が溢れ、野菜や果物、串焼き等を売るために声を張る人、それを値切って購入する人、座り込んで骨董品を興味深く商品を観察する人等、その場の様々な人の声や出店からの匂いが市場の賑わいを物語っていた。

 六歳から発現している力のせいもあって、ルマは人混みの多い場所を苦手としていたが、一人で市場に来たのも、今回のようにおつかいを頼まれるのもこれが初めてではなかったため、先程父に渡されたお金の総額を再確認すると、ルマは市場へと入って行った。

 ルマはまず何を買おうかと歩きながら周りを体ごと回転しながら見回る。すると、前方の注意が疎かとなり、ルマは一人の男性にぶつかり、軽く尻もちをついてしまった。


「おっと。ごめんよお嬢ちゃん。怪我はないかい?」


「あ、いえ。私が前を見ていなかったせいですので……」


 ぶつかった相手の男性は、頭から足までの全身が装飾を施された白い布で覆われたような恰好をしており、ルマは一目でその男性が聖職者であるということが分かった。


「怪我が無くてよかったよ。それじゃあね」


「あっ! あの、これ、落としましたよ?」


 ルマは立ち去ろうとする男性を引き留め、ぶつかった際に男性が落とした装飾品らしきものを拾い、男性へと差し出す。その装飾品は非常に簡素な造りをしており、首やどこかにかけるのだろう紐に、研磨された透明な石が付いているのみで、この時ルマが認識したその男性は、簡単に言えば『優れてはいるが、特段珍しくはない』というものだった。

 男性はその装飾品があったと思われる所を手や目で確認し、それが無いことに気付く。


「ああっ! ありがとう! 大事な物だから失くしていたら大変だったよ。本当にありがとう、ね……!!」


 ルマから落とし物を受け取ろうと手を伸ばしたその時、男性は驚きのあまり目を見開く。――ルマの手にある装飾品の石の部分が光っていたのだ。

 昼時で明るい時間帯だったこともあり、光ると言っても石の部分は色が変わる程の明るさだったが、この時の男性に一つの確信を与えるにはそれで充分だった。

 男性は石からルマの顔の方に視線を向けると、並々ならぬ気迫で詰め寄る。


「じ、嬢ちゃん! 名前はなんて言…………失礼しました。私はクーシーと申します。出来ればお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 途中で興奮する自分に気付くクーシーは、一旦ルマから距離を取って落ち着きを取り戻し、丁寧な発言に訂正するが、一方のルマは、先程からのその言動の変化に動揺していた。


「る、ルマです」


 名前を聞いたのは社交辞令だったのか、落ち着いたのはあくまで表面だけだったのか、ルマが自分の名前を言うと同時に、相対するクーシーは本題を切り出した。


「突然で申し訳ないのですが、貴方様のご両親に会わせてはもらえないでしょうか?」


「え、えぇ?」


 突然の出来事の連続に理解が追い付かない中、結局ルマは、押し切られる形でクーシーを家まで案内した。


「た、ただいま戻りました……」


「戻ったかルマ。ん? そちらの方は……?」


「どうも、お初にお目にかかります。……わたくし、ケメ・ネイナル大聖堂より参りました。クーシーと申す者でございます」


 クーシーと名乗るその人物は、頭に被っていた布を後ろに回すようにして取ると、テルに対しそう言ってお辞儀をした。

 ケメ・ネイナル大聖堂。帝国より真西に位置するケメ国にあり、この世界全てにおける全宗教を統括する総本山とも言える場所で、子供のルマですら知っている大聖堂の名前が突然出て来た事で父子共に驚いた。


「そ、それはどうも。……それで、本日は一体どういったご用件で?」


「……出来れば奥様も交えてのお話をさせて頂きたいのですが」


 あたりを見回し、妻とされる人物が居ないことを確認した上で発言するクーシー。


「え? は、はぁ……」


 テルはチラリとルマに視線をやるが、ルマ自身にも何が起きているか分かっていないことを察し、黙ってクーシーを二階に通すと、その後ルナも交えての、いつもは食卓として使っている四角い机での対話の場が設けられた。

 座席配置として、一家三人が我が子を挟んでクーシーと向かい合って座っている形だ。


「それで、話とは一体……?」


 全員が着席して間もない頃、早速テルが発言を促すと、すぐにクーシーは口を開いた。


「はい。あまりお時間を取らせてしまうわけにはいきませんので、単刀直入に言わせて頂きます。――どうか娘さんを、我々大聖堂の方で預からせては貰えないでしょうか!」


 突然のクーシーのその言葉に、全員が固まる。それもそうだ。いきなりやって来た男が娘を連れて行きたいというのだから、平然としている方がおかしい。


「……なぜでしょうか?」


 驚きつつも取り乱さず、冷静に相手の言い分を聞こうとするテル。

 それに対しクーシーは、それに答える為にはまず聞かなければならないとでも言うように、ヘターム夫妻に対し質問をしてきた。


「失礼ですが、お二方は神人と呼ばれる存在のことはご存じですか?」


 その質問に対し、夫婦は顔を見合わせた後、テルが妻に代わって答えた。


「神人? ……ええ、まあ、聞いたことは。神話とかに出て来るアレ、ですよね?」


「はい。所謂半神半人、人の身でありながら神の力を行使することが出来る存在です。世間では人の突然変異体である『英雄』と、神自らが創りたもうた『神人』とが同一視されがちなのですが、存在した時代や両者の特徴からしてもそれは大きな間違いでして、魂が神で体が人なのが神人だとするならば、英雄は……」


 聖職者特有の長話が始まろうかという時、遮るようにして今度はルナが聞き返した。


「あ、あのっ! それが、何か?」


「……コホン。これは大変失礼致しました。……事の発端は数週間ほど前にまで遡りまして、ある日、教皇様が『六年前の再来だ! 一瞬だったが、神人様方の所在が判明した!』と突然おっしゃられたかと思うと、我ら弟子一同にその場所に赴くよう指示を出され、この付近には私が遣わされたといった次第です。……当初は我々弟子一同も半信半疑だったのですが……まさか本当におられるとはっ!」


 クーシーからの熱烈な視線を受け、ルマがクーシーの見えない所でテルの服を掴む。


「……つまり、あなたがこの家にやって来た事から鑑みるに、この子が、神人だと?」


 テルは娘の頭に手を置きながらも、クーシーに対しそう問いかける。


「はい。ご理解が早くて助かります」


 普通の親ならば急な話の展開についていけず、とても信じられなかった事だろう。

 しかしこの両親は違う。心当たりがありすぎるのだ。

 このクーシーと名乗る人物は数か月前と言った。数か月前に何があったのか、両親は忘れもしない――ルマに異変が起き始めたあの六歳の誕生日だ。


「…………大聖堂に居られる教皇様は、この子のような神人とかいうのを集めて、一体何をなさるおつもりなのですか?」


 そうクーシーに問うテルは、ここでルマを神人であると認めず、恍けることも出来た。

 しかし『何に』よってかは分からないが、相手も余程の確信を得ているから来ているのだと踏み、今後の展開を考え恍けるのは得策ではないと、誠実さを取ったのだ。


「いえいえ! 何も神人様方を利用する等と、そんな大それた事をするつもりはありません。ただ神人様方に何か不自由があってはならないという教皇様のお考えで……」


「なら大丈夫です! うちは娘に何不自由ない生活を送らせているつもりですので!」


 そう言い、ルナはルマを守るように抱きつきながら、またもクーシーの話を遮る。


「――ッ! ……事はそう単純では無いのです! 神人様お一人が居られるだけで、その周りにどれ程の影響を与えるか分かったものでは……!!」


 確かにこの数か月だけでも、ルマが周りに与えた影響は両親も自覚しており、言いくるめられそうになったクーシーも苦し紛れにそう発言する。どうやらこちらが本音のようだ。

 相手の言う事にも一理ある。だが例えその不思議な力を度外視したとしても、両親にとってルマは他所のことなどどうでもいいと思えるくらいにかけがえのない存在だった。

 きっとルマの与える影響というのは、これから更に波紋のように大きく広がり、それが結果として周りの不幸を招く結果になるかもしれない。しかしそれは、両親にとって知ったことでは無かった。

 例えその影響が原因で、商会がこれまでに築き上げてきた財をすべて失うことになったとしても、それが今ここで娘と離れ離れになっても良いという理由にはならない。

 そうヘターム夫妻は、一瞬の間に両者の目を合わせることなく合意した。


「……クーシーさんと言いましたか」


 今度はテルの方からクーシーに質問を投げかける。


「は、はい……」


「うちは見ての通り裕福でしてね。子供は一人どころか五人でも十人でも養うことが出来るんですよ。しかし実際、うちの子供はこのルマただ一人だけ。何故だか分かりますか?」


 分かるわけもなく答えに詰まるクーシーに対し、テルは続ける。


「現在の我らが帝国は、この大陸においては他の国と比べて大きな戦力差を有する最強の軍事国家で、誰もそんな帝国に手を出そうという国は居ません。けれども、他の国同士が互いに手を組んでこの帝国に攻めて来る場合が無いとも言えませんし、むしろ、最強である帝国が他国に攻撃を仕掛けていない今のこの現状の方がおかしいんです」


「あの、先程から一体何を――」


「今の帝国はいつ戦争を始めてもおかしくはないと言っているんです!」


 そのテルの突然の大声に、妻子だけでなくクーシーも身を強張らせる。

 そんなクーシーをテルは逃すまいと、その目を捉え続けた。


「私は自分の子供を戦場には行かせたく無い! その一心で今日まで生きてきました! 子を極力産まない為に妾も持たず、妻一人のみを愛しました! そして現に、私の願いが通じたのか息子ではなく娘が生まれて来てくれた。その時に私は初めて思いました。神は居るのだと――祈りは通じるのだと! クーシーさん。あなたの言い分はもっともなのかもしれない。人として世の中の安寧を望むのならあなた方にこの子を預けた方が良いのかもしれない。けれども我々夫婦にはそんなのは関係ない! 例えこの子が数多くの中から選ばれた存在だったとしても。その身に余る大きな使命を背負う者だったとしても。この子は私の、私たちの娘だ! 誰にも渡しはしません!」


 そう言って、テルは片腕でルマを強く抱き寄せる。

 ルマはそれを窮屈に感じながらも、その腕から抜け出そうとは思わなかった。

 テルの言葉を受けたクーシーは何も言えず、場は沈黙に包まれる。


「あのっ! クーシーさん!」


 そんな空気の中、ここで初めてルマが口を開き、全員の視線がルマに集まった。


「私、まだお父様お母様と離れたくありません! 遠い所から来て頂いて大変申し訳ないのですが、その……ごめんなさいっ!」


 一呼吸の間。クーシーは目を閉じ、深呼吸をする。


「…………わかりました。それが神人様ご自身のお気持ちなのでしたら、この場は潔く引き下がる他ないようですね」


 ゆっくりと席を立つクーシー。意外にもあっさりと引き下がるものなので、両親は逆に怪しく思ったが、それを察したクーシーが床に置いた荷物を持ち上げながら続けた。


「元より教皇様から、何よりも神人様方ご自身の意思を尊重するようにとの厳命を受けております。ですから強引に連れて行くようなことは致しませんので、どうかご安心を」


 そう言うクーシーの顔は、若干の寂しさを含んだように笑っていた。


「えっ、それじゃあ、さっき私が何を言ったとしても変わらなかったってことですか?」


 テルは先程までの事を冷静に思い返し、段々とこみ上げる恥ずかしさから赤面する。


「いえいえ、先程のお言葉は深く、私の胸に刺さりました。それに、決して無駄ではなかったと私個人は思いますよ?」


 そう言って、クーシーが視線をやる方向にテルが目を向けると、そこには服を強く掴み、自分を見上げる娘の姿があった。


「……それでは、わたくしの方はこれで失礼致します」


 自分の荷物を持ち、階段を下りてここから出て行こうとするクーシー。


「あの、どちらに?」


 ルナがそう聞き、クーシーは振り返り返答する。


「連れ帰ることが出来ないと分かりましたので、これから本国へ戻ろうと思います」


「えっ? ……そのためにわざわざ?」


 隣国とはいえ、決して近い距離ではないため、なんだか申し訳ない気持ちになるルマ。


「そんな顔をなさらないでください。むしろ私は、こんなに早く見つかって良かったと思っているのですよ? もし未だ見つかっていなければ、前もって決められていた期限まで探さなければいけなくなっていましたから」


 既に一件落着な心持ちの両親には、クーシーに対し同情心が芽生え始めており、クーシーは一家に一礼し、名残惜しそうにルマを見ると、出口へと向かって階段を下りて行く。

 その潔さから呆気にとられ、一家は見送りをするのも忘れて只々その背中を見ていた。


「お父様……」


 娘の言葉を受け、我に返ったテルは、服を引っ張るルマの方に目を向ける。


「先程のお話ですが、もし平和な世の中であったのなら、妾を持たれていたのですか?」


「え? ……そうだなぁ…………うん。もしかしたら、持っていたのかもしれないな」


 テルのその一言に、妻子ともに若干の失望を露わにするが――。


「けど、そうならなくて良かったと、今日改めて感じたよ」


 ――その一言で嬉しくなったのも事実だった。

 誰から示し合わせたわけでも無く、抱きしめ合う三人。

 そんな中で、一階から誰かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。


「会長っ! 朗報です!」


 音の正体は秘書のタレクだったようだが、一家三人がお互いの絆をヒシヒシと感じている今この状況において、タレクは邪魔者以外の何者でもない。


「目が見えないのか? 後にしてくれ」


「あの、いち早くお耳にお入れしたくて……」


「……なんだ? 取引が大成功して、利益がまたもや二倍や三倍、はたまた十数倍になったとかか? 悪いな、後にしてくれ」


 未だ家族三人で抱き合っていたため、妻子の二人は流石に人前では恥ずかしと離れた。


「いえ、その、帝都からお手紙が……」


「……帝都? 誰からだ?」


 機嫌が悪いという表情を隠そうともせず、タレクから手紙を奪うように受け取るテル。

 ヘターム商会がある地域は帝国では比較的に田舎にあり、帝国の首都である帝都での交友関係が皆無であった田舎者のテルには、送り主に全く心当たりがなかった。


「それが、皇帝陛下からでして……」


「……なに?」


 実感のない中、手紙の裏面にある封蝋に描かれた皇帝のみが使える紋章を見て驚き、それが真実だと悟ると、テルは封を丁寧に開け、おそらく代筆であろう文字で書かれた中身を読み進める。すると次第に、その目と手紙との距離は近付いていくのだった。


「あなた、何が書かれているの?」


 テルは妻からの問いを受け、手紙から距離を取ると同時に姿勢を前傾から直立に直し、滑らかでない動作で視線を妻に合わせると、信じられない物を見たように口を開いた。


「…………祝賀会の、招待状だ」


 それは、全帝国民の憧れ。帝都にて皇帝自らが直々に主催し、その一年の内で国内において目覚ましい活躍をした、ありとあらゆる分野での名士を招待し、新年を祝う祝賀会。

 ――テルに届いたのはその招待状だった。

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