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 ×月×日


 「もし、あくまでも仮にの話だが、私に物理的な力があるとして、理由も無くおまえを殴ればそれはなんと呼ぶ?」

 窓から日の光が差し込む一角、陽光によって暖かくなったフローリングの上にうつ伏せに寝転んだまま、如月は思いついた様子で妙な事を言った。

 まぁ如月の発言はいつだって予想外な物ではあるが、特段妙な言葉を吐いた如月に対し、自分は少しだけ眉をひそめてから返す。

 「それはただの暴力でしょ」

 おそらく大抵の人間が思い浮かべるであろう言葉に、如月はこれと言った関心も示さずに続けた。

 「ではもし、私が何の気なしに手を振り回した先におまえが居て、たまたまおまえを傷つけてしまった場合はどうなる?」

 「事故とは言え暴力だね」

 この返事も満足しなかったのか、如月はのそのそと猫の様に起き上がりながら質問を続ける。

 「では、もしおまえにとって右腕は触れられるだけで激痛を伴う場所だとして、私はそのことを知らなかったとする。

 その上でおまえの右腕を善意から引いた場合、それは何となる?」

 随分と入り組んだ前提条件の話である。

 だが、わざわざこんな物言いまですると言うことは、如月にとっての結論にたどり着いたと言うことだろうか。

 「悪意は無かったとしても、痛みを感じたのならそれは暴力じゃないのかな」

 「然様だな、この点に関しては私も同感であるが……ではその痛みは何故に拠って起きる?」

 「認識の違いかな、あるいは環境の違いと呼んでもいいのかもしれない」

 その言葉に、如月は目を細めてから応じた。

 「つまりはこれまでに至る数々の現象が手を引く人間と、引かれて苦しむ人間を生み出したと言うことか。

 デカルトアンチ、これもある種の答えではあるが、考えた末の答えが『考えなかった』からだと答えるのもなかなか皮肉が効いておる」

 人の思考は所詮は電気信号の羅列に過ぎず、その信号を生み出すのは数々の自然的要因であり、ごく微細な素粒子レベルの化学反応の延長に過ぎない。

 ならば、人が考えると言うこともまた、結局のところ今まで続いている化学反応の結果に過ぎず、人間が悩んだという課程すら、化学反応の始まりのところで全てわかっている結果なのだ。

 故に人は自由意志を持たない、故に人は考えてすらいない。

 そんな大昔から唱えられる学説のひとつを、如月は言葉にしたかったのだろう。

 「ならば、おまえが恐れるマイクロアグレッションも、ただの化学反応に過ぎんのやもしれぬな」

 ゆっくりと立ち上がり、歩み寄った如月は長い髪を垂らしてからつぶやくと、不意に僕の右腕を掴んでから呟いた。

 「どうだ? 痛むか?」

 「いいや」

 ただ如月の体温と感触が感じられるだけだ。

 痛いなんて思わないし、もっと言えば自分の体は本来空気が当たる感触以外何も掴んでいない筈である。

 だけど、如月の言いたいことだけはなんとなく理解できた。

 「では何でだと思う?」

 そんなの当然だ、僕の右腕は如月の仮説の中だけで痛むのであって、現実では違うのだから。

 だけど、不意に溢れた返答は違う物だった。

 「同類だから」

 「おまえにしては上出来だ」

 すぅっと目を細め、如月は満足げに手を離すのだった。

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