第30話 愛と執念の起死回生を

 ──マリーはビビアンに幸せになってもらいたい。




 人生で幾度も願ってきた思いを胸の内で繰り返す。


 ビビアンと婚約を解消したデューイが不審死を遂げ、その調査に乗り出した彼女が一人外出して──行方不明になってから数日が経った。




 嫌われてでも一人で行かせるんじゃなかった!




 マリーは後悔を胸の内で叫ぶ。


 全てが嫌になって出奔したのか? それならまだ良い。もしも事故や、事件に巻き込まれていたら。ただでさえ彼女は他人の家を調査していたのだ。マリーは最悪の想像を振り払った。


 混乱し、悲嘆し、後悔し、時には一人で外出したビビアンに憤りさえ覚えたマリーだが、最後に行きついた思いは一つだった。




 生きてさえいてくれたそれで良い。




 マリーの知らない所で人生をやり直しているならそれでも良い。無事で帰ってきてくれたらそれで良い。


 ビビアンが帰ってきたら、思いきり抱き締めてあげたい。好きなものをたくさん用意して慰めてあげたい。彼女の悲しみに寄り添ってあげたい。


 ビビアンが例えデューイを傷つけ、間違えてしまったとしても、人生をやり直すことは許されるはずだ。


 ひたすらそう願っていた。








 ──人気のない森の中から、彼女の遺体を掘り起こすまでは。








 ◆


 青い表紙の古い一冊の書物。


 呪いの類を扱ったその本の存在をマリーは知っていた。


 ウォード邸の書庫は、「虫干し」が中止されてからはマリーが掃除をするだけとなっていた。その時偶然この本を目にしたのだ。


 当時は気にも留めなかったが、ビビアンを喪ったマリーの脳裏にこの本がよぎったのである。


 書庫で本を手に取り、マリーは決意を固めた。「時を戻す方法」の項目を注視する。




「本当にやるんですか」




 背後からポールが声を掛ける。


 彼はビビアンの密偵としてデューイの周辺を探っていた。ビビアンが行方不明になってからは、誰の命令でもなくビビアンを捜索していた。ビビアンを最初に発見したのはポールだった。


 マリーは彼の顔を見つめる。自身ほどではないにしろ、ポールの顔にも濃い疲労の影が落ちている。


 だからマリーは、共犯者のような信用をもって打ち明けた。




「どんなことでもお嬢様を助ける可能性がある限り、試します」


「気が触れたと思われたらどうするんです」


「気ならとっくに触れています」




 言葉に反してマリーの声は落ち着いていた。




「それでも私は、お嬢様の幸せを諦められない」


「マリー……」


「お嬢様は確かに人を傷つけました。でも、命を奪われることがありますか? 理不尽に体を傷つけられる必要が? 暗い土の中に打ち捨てられることが許されますか? 私は少しも納得できない」




 マリーはポールを見つめ返す。その瞳には一切の迷いが無かった。




「私は何度だって諦めない」




 そうして、一人の女性の執念とも呼べる愛によって、ビビアンは5年前に『戻って』きた。










 ◆


「お嬢様が未来から『戻って』来たのは、未来の『私』がこのページを見つけたからです。私には『未来』の記憶はありません。でも、だって私なら。お嬢様が死んでしまったらきっと、同じことをするでしょうから」




 ビビアンはマリーの言葉に声を失った。ビビアンには『前回』、刺された後の記憶がない。目を覚ますとこの5年前に『戻って』きていたのだ。


 だがマリーの言葉は驚くほどすんなりと受け入れられた。確かに、誰かがこの現象を引き起こしたというのなら、それはマリーであろうと思えたのである。


 ビビアンはマリーへと一歩距離を詰めた。




「わたしは、わたしの身に起こったことは神様がくれたチャンスだと思っていたの。でも……あなただったのね」




 魔術書を差し出すマリーの手が震える。ビビアンはマリーを抱きしめた。二人の間で魔術書が音を立てて落ちる。




「ずっとありがとう。大好きよ」




 マリーの頬を涙が伝う。




「わたしのことをずっと大事にしてくれてありがとう。あなたが大切にしてくれた命だから、わたしもわたしのことを大切にしなくては……」




 ビビアンの言葉をマリーは黙って聞いていた。それは、危険を伴うデューイとの人生を諦めるということだ。魔術書を使ってまでビビアンを過去に『戻した』ことを思えば、それは正しいことのように思えた。










「──って言わなきゃいけないのだけど! ごめんなさい、できないわ!」


「うぇっ?」






 マリーは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。




「大事な命だからこそ! 一分一秒でも落ち込んでいる場合じゃないでしょう?!」




 ビビアンはマリーに愛されているという事実を改めて実感し、震えるほど感動した。その感動はビビアンに果てしない勇気と前進するエネルギーを与えていた。




「わたし、幸せになるわ。デューイ様と一緒に!」


「もうっ! お嬢様は全然、私の言うことなんか聞かないじゃないですか!」




 心底呆れた。強張っていた身体から力が抜ける。


 ビビアンはマリーを抱きしめる腕に目一杯力を入れた。マリーの胸にぐりぐりと頭を埋める。




「わたしの可愛さに免じて許して頂戴!」


「もう、もう……。お嬢様はいつもそう。はあ……」




 完全に涙が引っ込んだマリーは盛大に溜息をついた。もう何を言っても無駄である。ビビアンの強情さはマリーが一番よく知っている。こうなったら自分が全力で助けるほかない。


 はっとビビアンは顔を上げた。


 こうしてはいられない。




「デューイ様にさっきの発言を撤回してこなくちゃ!」




 マリーはさっさと身を離したビビアンに少しムッとしつつも、やはり彼女はこの方が良い、と安堵した。




「デューイ様に遣いを出さなきゃ!」


「それなら私が……」


「マリーは少し休んでいなさい。疲れたでしょう」




 コンコン。部屋のドアが控えめに叩かれる。


 屋敷の使用人が扉越しに声を掛けてきた。




「お嬢様、デューイ様がいらっしゃっています。……こんな時間ですし、お帰り頂きましょうか?」




 ビビアンとマリーは顔を見合わせた。そしてお互いの顔が涙で悲惨になっていることに気付く。瞼は腫れているし目も充血している。髪だって崩れてしまっていた。


 ビビアンは慌てて使用人へ声を掛ける。




「す、すぐ準備するわ! ちょっと待っていてもらって頂戴! ちょっと、しばらくかかるかもしれないけど絶対に待っていてもらうのよ!」


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