第28話 花市②

 男に呼ばれるままデューイ達が駆け付けた先は、花市ということを差し引いても異様な光景だった。


 人だかりができているのに、その中心からは距離を取っている。あれほど雑然としていた花市で、皆一様に声を失っていた。


 デューイを呼んだ男は人だかりの中心を指さして言った。




「あの人! どう見ても坊ちゃんの側の人でしょう! 俺たちじゃ対応しきれやせん!」




 ビビアンは眩暈がした。


 男が指さした先では、美貌の貴公子、公爵家次男フレデリク・フォスターが興味深そうに露店を眺めていた。


 フレデリクが銀糸の髪を耳に掛ける。


 そこだけ宗教画を切り取ったかのような光景である。


 妖精のごとき美貌の青年に、領民たちは言葉も出なかった。ただただ目が離せず、呆けているばかりだ。




 あまりに浮世離れしたフレデリクの雰囲気に、とりあえず貴族だろうと判断してデューイを呼んだ次第である。


 後ろに居るマリーとバートも初めて見るフレデリクの姿に息を呑んでいる。ビビアンはこっそりとデューイに耳打ちした。




「デューイ様、今なら見なかったことに」


「できるわけないだろ……」




 デューイが強張った声を出す。


 顔を上げたフレデリクがこちらに気付いた。デューイを認めると、目元を綻ばせる。


 デューイは胸元に手を当て一礼した。ビビアンも倣う。


 フレデリクは実に気さくに話しかけた。




「面を上げて。久しぶりだね」


「……こちらに御用がおありでしたら、お声掛け下さればおもてなし致しましたのに」


「この辺りの孤児院の慰問に来たついでに寄っただけだから、それには及ばないよ」




 ビビアンは内心、どうかしら、と疑った。


 セラ・ボイドの邸宅で彼に会った際、ビビアンは平民ということで相当嫌味を言われている。フレデリクの人間性を垣間見た立場からすると、言葉をそのまま受け取ることは難しかった。


 フレデリクはちらりとデューイの後ろを見遣った。




「ところで、最近派手な行動をしているみたいだね。平民を秘書にしたり……」




 デューイの後ろでバートが身を強張らせた。




「貴族の子息を働かせたり」




 ビビアンは口元を引き結んだ。男爵家三男のジョンを商会で雇っていることを言っているのだ。




「やはり婚約者の影響なのかな?」




 フレデリクの言葉に、ビビアンは思わず俯いてしまった。以前と同じように、彼の話が終わるまで耐えればよいだけだ。だがマリーやバート、領民たちが見ている前で誹りを受けるのは……。


 フレデリクはビビアンの反応を見て続けた。




「君にあまりに悪影響を与えるのなら、僕から似合いの女性を紹介しても良いよ」




 デューイが目を見開いた。瞳が揺れる。


 一方でフレデリクは全く悪意の無いようだった。実に親切心、という表情をしている。


 だからデューイは、自分がこれから話す言葉が彼に響かないだろう、ということを覚悟せねばならなかった。




「フレデリク様は……」




 それでもデューイはゆっくりと口を開いた。




「フレデリク様は、私たちの良好な関係を買っていてくださっていると、以前仰っていましたよね?」




 デューイは隣に立つビビアンの手を握った。ビビアンは弾かれたように彼を見上げる。




「デューイ様……!」


「私が未熟な為に、あなたが憂慮するのはもっともです。でも、……私の変化は、全てビビアンが私のことを考えてくれてもたらされたものです。私は愛する領地を彼女と守っていきたいと思っています」




 デューイは大きく息をついて呼吸を整えた。




「どうか、あなたの寛容な心で見守っていてくださいませんか?」




 フレデリクが表情を消す。


 温度を感じさせない瞳でデューイを見据える。




「君の領地を守ろうとする意志と、君の軽率な行動が一致しているとは思えないな。とはいえ……」




 フレデリクは周囲を見渡した。




「今日はせっかくの祭りだ。彼らのための日に水を差すのは、僕の望むところじゃない」




 デューイはその言葉を受け、辺りに視線を遣る。領民たちが固唾をのんでこちらを見守っている。




「またゆっくりと話をしよう」










 フレデリクは本当に去って行った。


 静まり返っていた領民たちが一斉に盛り上がる。




「ヒューヒュー!」「よっ! 漢だね!」「かっこいいー!」


「うるさいわよッ!! お黙り!」




 真っ青になったビビアンが一喝した。


 盛り上がっている場合ではないのである。




 ビビアンはデューイの手を引いた。フレデリクについて話すには領民たちが邪魔である。人気のない場所を求めてつかつかと歩を進める。




 夕日が二人の表情に影を落とした。




「ビビアン……」




 手を引かれながらデューイが声を掛ける。ビビアンは前を見据えたまま声を荒げた。




「馬鹿ではありませんか!? どうしてあんなこと仰ったの?!」


「あんなことを言われて黙っていろって言うのか? 他の女性を紹介するって言われたんだぞ!」


「ただの嫌味でしょう? 黙っていればよかったのです! 大人しくしておけば前みたいに終わったのに」




 伯爵家での出来事だ。




「あの時だって嫌な思いをしただろう」


「嫌な思いで済めばよいではありませんか!」




 ビビアンは叫んだ。足を止める。デューイから顔を逸らしたまま続ける。




「歯向かって、目を付けられでもしたら……」




 唇が震える。ビビアンは歯を食い縛った。




「死んだらどうするんですか……!」


「は?」




 あまりに予想していなかった言葉にデューイは面喰う。




「公爵家に嫌われて、こ、殺されたりでもしたら……」


「どうしてそんな極端な発想に……」




 デューイは本気で当惑した。だがビビアンのただならぬ様相に口をつぐむ。


 繋がれたままのビビアンの手を見つめ、一つの考えに思い当たった。




「もしかして、それを考えていたから、ビビアンは変わったのか?」




 ビビアンが息を呑む。




 顔を上げ、すがるようにデューイを見つめた。彼の瞳が燃えるように揺れるのを見て、『前回』の破局を迎えた日が蘇る。


 彼と別れること以上に悲しいことなどないと思っていたのに、彼は理不尽に命を奪われた。




「そうです。わたし、──あなたが殺されてしまう未来から『戻って』きたの」




 頭がおかしいと思われても良い。本当に怖いことは一つだけなのだ。




「これ以上一緒に居て、公爵家に目を付けられるなんて怖くて耐えられません」




 ビビアンはデューイの手を解いた。








「……フレデリク様の言葉を受け入れるべきです」










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