第17話 領地視察③


 揺れる意識の中で、ビビアンは後悔していた。




 慢心していた。




 分かっていたはずなのに、人は死ぬということを。『前回』でビビアンは散々思い知っていたのに。


 なのに、あの事件までは大丈夫だと無意識に高を括っていた。




 病気や事故はいつだってあり得る。




 ──安心なんかないのに。




 『前回』のデューイの不審死よりも前から、アークライト夫人が襲われた時から、ビビアンはずっとこの世界が怖かったのだ。




 デューイに近付く女性が何を目的としているか分からない。だから全て追い払った。


 デューイが暴漢に襲われたら? だから身辺を常に見張らせた。


 悪い人間関係を持ってしまったら? 人間関係を把握するために彼の友人を利用した。




 ビビアンは自分が安心したくて彼を傷つけた。


 余計なことばかりしてデューイを傷つけて、余計な言葉ばかり口から出るのに、肝心なことは何一つ伝えられなかった。






 もっとたくさん伝えておけばよかった。


 婚約解消だってしたくなかった。他の人と結婚してほしくなかった。




 ビビアンはデューイのことが大好きだと、もっとたくさん伝えておけばよかった。










 ◆






「……ふぅ」




 デューイは細心の注意を払い、ビビアンの肌に触れないようにリボンを解いた。バートが持ってきた氷嚢を、彼の指示に従い要所に当てていく。




「お嬢様! お医者様です!」




 そこに医者を連れたマリーが飛び込んできた。デューイは思わず身を固めた。


 マリーがベッドに眠るビビアンの状態を目にする。彼女から表情が抜け落ちる。


 デューイは何故か言い訳をしてしまった。




「マリー、これは熱を冷ますためで」


「当り前です!!」




 こんな状況で他意があってたまるか。マリーは叫んだ。その気迫にデューイがたじろぐ。




「……デューイさまぁ」




 そんな中、舌足らずな声が空気を震わせた。


 うっすらと瞼を持ち上げたビビアンが視線をさ迷わせる。




「お嬢様!」


「ビビアン!」




 デューイはビビアンの手を両手で包む。それでデューイを見つけられたのか、ビビアンはデューイを捉えた。




「デューイさまぁ……」


「うん」




 デューイはビビアンが意識を取り戻したことにほっとし、言葉を待つ。ビビアンはくしゃ、と顔を歪めて唇を震わせた。




「……すきぃ」






 空気が、固まった。


 ビビアンはぽろぽろと言葉を──爆弾を投下していく。




「だいすき」


「はなれたくないよ」「わかれたくない」


「ずっといっしょにいて」




 デューイは炎天下でもかくや、と言うほど汗が浮き出るのを感じた。拭いたくても拭えなかった。両手はビビアンに繋いでいるので。
















 ゴホン。


 マリーが連れてきた医者が咳ばらいをした。部屋中にある本を避けてビビアンの元へ行く。




「診察を始めます」














 ◆


「暑気あたりですね。体温調節ができない状態になっています。しかし処置が適切で良かった。よくご存知でしたね」


「いえ、まあ……たまたま本で読んだので」




 バートは曖昧に答えた。初老の医者はその返答に頷くと、ビビアンを見終わるとマリーに向き直る。




「最近食が細くなったり寝不足だったりしていませんか? 栄養が不足しているかもしれませんね」


「あ……確かに最近、その、寝るのが遅くなっていました」




 マリーは気まずそうに答える。連日、深夜までデューイの不審死について話し合っていたからだ。


 毒物や死体への知識を身に付けようと必死で、確かに食事量は減っていた。服毒した死体の特徴などを学んだ後では食欲も失せると言うものである。




「消化しやすいものから滋養を付けて、レモン水に塩と砂糖を混ぜて飲ませてください」


「はい」


「念の為、専属医がいらっしゃるならそちらへ連絡を」


「はい。かしこまりました」




 マリーは深々と医者に頭を下げた。


 医者を見送り、ベッドの傍で固まっているデューイに声を掛ける。




「デューイ様」


「はい」




 何故か敬語で返事してしまった。




「御者を呼んで参りますのでしばらくお待ちください」


「はい」


「くれぐれも……」




 マリーが言葉を途切れさせる。デューイは思わず喉が鳴った。




「いえ、それではお嬢様をよろしくお願いします」




 こくこくと頷く。


 マリーの背中を見届け、やっとデューイは肩から力を抜いた。










 ひどい目に遭った。




 本当にひどい目に遭った。診察の間中、ビビアンはうわ言を言い続けていたのである。居心地の悪さで言えば公爵家令息のフレデリクと対面していた時と同等だった。




 デューイは後方で同じく所在なさげに控えるバートを振り返る。




「バート、すまない。世話になった。道路の普請も急ぐから安心してくれ」


「いえ、元はと言えばおれの発言で興奮させてしまいましたし……」


「それから、今日見たことは他言無用で頼む」


「勿論です」




 今回の話が出回って、今度はデューイが倒れでもしたらたまらない。バートは大きく頷いた。






「それから……。いや、また後日連絡する」


「えっ? あ、はい」








 バートは意図が分からず戸惑ったが、道路の普請に関してだと納得した。








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