第11話 夜会③

 ビビアンに相対するデューイを視認した時、デューイの顔を傷つけてはいけないと身体が反射的に反応した。

 右手は振り下ろされる直前で不自然に固まる。


 資産家の友人たちが呼びに行き、駆け付けたのだろう。肩で息をし、走ってきたのが見て取れる。「何やってるんだお前」と顔にありありと書いてある。


 しかしこの状況、周囲から見たら横暴な婚約者から貴族令嬢たちを庇いに来たようにではないか?

 デューイの背後で、令嬢たちもデューイの背中をうっとり見つめているし。




「やっぱり、あの婚約者にデューイ様も困っているんだわ」




 ヒソ、と誰かが零した。


 確かに……と不穏な空気が伝播していく。

 令嬢同士の喧嘩のはずが、ビビアンだけが悪いかのような空気に、ビビアンはひるんだ。デューイもしまった、と青褪めている。友人たちが心配そうにこちらを見ている。


 デューイは周囲に視線をやり、それから目の前のビビアンを見つめた。

 注目が集まる中、ゆっくりと口を開く。


「ビビアン、ひどいじゃないか」


 ビク、とビビアンが強張る。そして


「『自分だけを見ていて』なんて言ったくせに、──君がよそ見をするなんて」


 美貌を切なげに歪めて、掠れて艶のある声で囁いた。まるで劇のように、周囲に聴かせるかのように。


 会場から黄色い悲鳴が上がる。

 ビビアンの頬に白い手を添え、恋人同士のみに許される距離に顔を寄せる。


「そんな熱い視線を僕以外に向けないで」


 僕ってお前。


 デューイの背後でリーダー格の令嬢がへなへなと崩れ落ちる。至近距離で良い声を聞いてしまいのぼせてしまったのだ。


 背後で聞いてすらそれである。

 真正面から受けたビビアンは、もう耳まで赤くして瞳を潤ませていた。


 デューイは羞恥と怒りで青筋すら立っていたが、とにかくこの場を切り抜けたい一心で表情を保つ。


「良い?」

「は、はい……」


 ビビアンは頬を染め、ひたすら頷くだけしかできない。しかしその姿は、婚約者に従順な恋する乙女のような印象を周囲に与えた。

 デューイはビビアンの答えを聞くと、背中に庇った貴族令嬢に向き直る。


「見苦しいところをお見せしました。せっかく女性同士で歓談しようとしていたのに、僕の悋気で邪魔してしまって」


 デューイは床にへたり込んでいる令嬢に手を差し伸べた。


「い、いえ、とんでもございませんわ」


 夢見心地で令嬢も応える。デューイはにっこりと微笑んだ。


「僕の婚約者は体調が悪いようなので、これで失礼します」


 さぁ、と促され、ビビアンもふらふらと従う。こちらも惚けている資産家の娘たちへ礼し、人々の中を通り抜ける。


 二人が会場を辞し、残された面々は顔を見合わせ、ざわざわと囁き合う。


「どういうこと?」「顔が良かった」「デューイ様の方が彼女のことを好きということ?」「あんな表情をされるなんて」「うっとりしちゃったわ」「男の俺でもやばかった」「わたくし一生この手を洗わないわ!」「とにかく顔が良かった」


 結局痴話喧嘩ということ? まあ顔が良かったから良いか。と皆は無理矢理納得していたと、会場で一人だけ爆笑していたジョンは語る。






 帰宅の馬車。


 デューイはうなだれていた。先の己の言動を顧みて羞恥でいっぱいだった。


「俺は公共の場で突然発情とんちき男だ」


 デューイは頭を抱えて呟いた。今すぐ記憶を消し去りたい。


 ビビアンが常日頃デューイの容姿を褒めるので、自分でもそんなに悪くないのかなと思っているデューイであったが、歯の浮くような台詞を観衆の中で披露する行為は恥ずかしかった。


 だがあの場でビビアン一人を見放してどうなるだろう。自分は苛烈な婚約者を持つ可哀想な男で終わるかもしれないが、婚約者を傷つけて、一人だけ安全な場所に居てどうする。


 デューイが彼女の前に立った時、ビビアンは泣きそうな顔をしていたのに。


 だったらまだ「婚約者そろってアホなんだな」と思われた方が幾分かマシである。

 少なくともデューイの倫理観ではそうだった。


「あの、元はと言えばわたしのせいですから……」


 あまりの落ち込みようにビビアンが慰めてしまう。それはそうだ、と言おうとして、デューイは力なく首を振った。


「……いや、今日は行きたくないと言っていたビビアンを連れてきたのに、一人にした俺が悪い。喧嘩の原因も、よく知らないけどあの令嬢たちに何か言われたんだろ?」

「あの方たちが不快だっただけです」


 自分でも、どの言葉で怒ったのか分からなかった。


「でも、わたしはデューイ様が来てくださって、助けてくださって嬉しかったわ」

「助けられたのか分からないけどな」


 デューイが自嘲した。ビビアンは目を閉じて先程の光景を思い返す。じんわりと胸が熱くなる。


「一緒に泥を被ってくださって、あの場から連れ出してくれたわ。誰にでもできることじゃないわ。どんな王子様よりも勇敢で格好良かったです」


 熱い言葉よりも、甘い仕草よりも、その行動が嬉しかった。


「……それなら良いけど」


 デューイはやや口元を緩めた。しかしすぐ口を引き結び、息を吐いて長い両足を投げ出す。


「まあ、どうせ俺がアホだろうがなんだろうが、所詮小さな男爵家の一つだ。誰も興味ないか」


 いつになく投げやりな様子にビビアンはいよいよ心配した。先程の出来事だけの落ち込みではなさそうである。彼の前髪が落とす影が、いつもより表情を暗く見せた。

 ビビアンは思わずデューイの髪を耳にかけてやる。


「どうしちゃったんですか? デューイ様」


 白い細面がさらに白くて、ビビアンは婚約解消をした時を思い出してしまった。


「わ、わたしと結婚するの、お嫌になって……?」

「そんな訳ないだろ!」


 即座に否定され、ちょっとホッとするも、では何が彼を気落ちさせているのか分からない。

 まさか、と思いながら尋ねる。


「……男爵家をお継ぎになるの、お嫌なの?」

「そうじゃない。俺はアークライト家を誇りに思っているし、領地のことだって大事に思ってる」


 でも、と彼は口ごもった。ビビアンから視線を逸らして続ける。


「……周りはそう思わない。男爵家の仕事は取るに足らないと、同じ男爵の地位の者でさえ言う人もいる。それがなんか……虚しくなっただけだ」


 ビビアンは言葉を失った。誰に言われたのか分からないが、ビビアンに難癖をつける令嬢たちが居たように、口さがない者が居たのは想像に難くない。それは今回の夜会だけでなく、今までにもあったことなのかもしれない。


 デューイがこんな気持ちを抱えていたなんて知らなかった。『前回』、密偵や彼の友達を利用してまでデューイのことを調べていたのに、ビビアンは何も知らなかった。


 もしかしたら今まで、『前回』も含めて、彼はこの内心を隠し通してきたのではないだろうか?

 『前回』気付けていたら、知ろうとしていたら、二人の関係は何か変わっただろうか。今となっては知る由もないことだ。


 では、今、自分に気持ちを打ち明けてくれた目の前の彼に、何ができるのだろうか。

 何か言ってやりたいが、どれも不用意な言葉に思える。


 ビビアンにできるのは、ただ身を寄せて、すっかり冷え切ってしまった彼の指に手を添えるばかりである。

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