二章 伯爵家の夜会

第9話 夜会


 見えない敵に闘志を燃やしていたビビアンであったが、今日はすっかり消沈していた。


 ある伯爵家の夜会に招待されたのだが、全く気乗りしないのである。馬車はもう目的地に近付いているが、気持ちは遠くなるばかりだ。


「ボイド伯爵家はうちの遠縁にあたるから、名前くらいは聞いたことがあるだろ? 親戚筋の多い集まりだからそんなに緊張しなくて良いし」


 緊張と解釈したデューイがなだめようと試みる。


「緊張ではありませんけど、行きたくないんです」

「何故? 今までだって夜会には何度か参加したことがあるじゃないか」


 ビビアンは口を尖らせて白状する。


「だって、……デューイ様、他の女の子に目移りするじゃないですか!」

「するわけないだろ!」


 今まで他の女性に目移りしてきたかのような物言いに驚愕する。冤罪である。


 デューイは不誠実さの濡れ衣について怒っているが、その様子はビビアンを大事にしているように受け止められたので、ビビアンの機嫌はやや持ち直した。


「本当ですか? 会場でわたしだけを見ていると誓えますか?」

「社交の場で隣ばかり見てたらおかしいだろ……。でも、まあビビアンはすごく目立つし、なんか圧があるし、目が行ってしまうと思う」

「まあ可愛くないお口だこと!」


 ビビアンはデューイの頬をつねろう……として、つつくに留めた。彼の顔を損なうのは世界の損失だと本気で信じているのだ。


「ほら、元気を出して。馬車が着いた」


 結果として、ビビアンの憂鬱とは別の形で夜会は波乱の物となる。




「ようこそお越しくださいました。ボイド家が四女、セラ・ボイドと申します。デューイ様にはいつもお世話になっております。ビビアン様、年も近い者同士ですから、今後ともよしなに」


 ドレスを摘まみ、美しく一礼する少女。このセラ・ボイドこそビビアンの憂鬱の原因だった。


 彼女は『前回』、ビビアンと婚約解消したデューイが結婚した相手なのである。


 セラは柔らかな亜麻色の髪に、優しく垂れる翡翠の瞳。柔和な印象を与える造形だった。パッとした華やかさはないが、表情の作り方が相手を落ち着かせる品がある。


 はっきり言って外見の美しさだけで言えばビビアンの方が目を引くだろう。しかしビビアンははっきりと彼女を脅威だと感じた。


──デューイ様、こういう子好きだわ……!


 デューイの腕に置いた手が力む。デューイはよそ行きの笑顔を一瞬引きつらせたが、そのまま挨拶に応じた。


「改めて紹介する場がありませんでしたね。セラ嬢、彼女が婚約者のビビアンです」


 デューイに促され一礼する。


「お初にお目にかかります。デューイ様の婚約者の、ビビアン・ウォードと申します」


 ビビアンは婚約者の部分を丁寧に強調して言った。


「ウォード商会の活躍は耳にしていますのよ」

「まあ、光栄ですわ」


 おほほうふふ、と和やかに会話は進み、主催の娘であるセラは他にも挨拶回りがあるのか「ゆっくり楽しんでらして」と告げて去っていった。セラの背中を見送り、二人の肩から力が抜ける。


 ちらりとデューイを盗み見る。今のところ彼女にときめいている様子は無さそうだが、油断はならない。


 これは『前回』の死ぬとか刺されるとかに関係なく、単純にビビアンが嫌だから警戒しているのである。なんとなくやはり、セラは他の女性とは違う何かを感じるのである。


 一方、ビビアンには緊張しなくて良いと言ったが、デューイも社交の場はあまり得意ではない。


 今までなら良くも悪くも空気に左右されないビビアンが率先して会話をしていたが、今回は(デューイにとっては)謎の不機嫌の為、自分がフォローせねばと余計に気を張っていた。

 二人は妙に気疲れしていた。






「よう。久しぶりだなぁ、デューイ、ビビアン嬢」


 そんな二人に声がかかる。


「ああ、ジョン。お前も来てたのか」


 声を聞いたデューイが微笑む。


 声の主はジョン・ジョンソン。男爵家の三男坊であり、デューイの友人だ。ひょろりと背が高く、どこか軽薄な印象の男だが、デューイとは馬が合うらしい。


 ビビアンも紹介されて知り合いではあるが、今まではあまり気に留めたことは無かった。


 デューイにとって気が置けない間柄であるはずのジョンに、ビビアンは顔を強張らせた。


 『前回』婚約解消された際、その理由の一つに「デューイの友達を買収したこと」が上げられたのを覚えているだろうか?


 その友達こそ、目の前のジョン・ジョンソンなのである。デューイの個人情報と引き換えに彼と金品のやり取りをしたのだ。


 避けて通りたい出来事、葬り去りたい過去の人物に、ビビアンは固まる。思わずデューイに身を寄せてしまい、不思議そうな顔を向けられる。


 この人、目の前の人物に裏切られるのに何をほわほわしてるのだ。いや、自分も共犯なのだが。

 そんなねじくれた憐憫の気持ちが伝わってしまったのか、デューイがじっとりと睨む。


「失礼なこと考えてないか?」「別に……」という婚約者たちの小声のやり取りを、ジョンは興味深そうに見ていた。


「仲良いなぁ~~。なんで目の前でいちゃつきだすの?」

「そんなことしてない」

「つれないなぁ。ビビアン嬢もデューイで困ってることがあったら言ってよ? こいつこんな風に無愛想だろ」

「ご心配なく。そういう所も可愛いので」


 ジョンの面倒な絡みにスッパリとビビアンは言い切る。これにはジョンもデューイも目を見張った。


「何か用があってきたんだろ?」と赤くなったデューイに水を向けられ、そうだ、とジョンが本題を切り出した。


「向こうでカードやってて頭数足らねぇから呼びに来たんだけどさぁ。ビビアン嬢、デューイ借りても良い?」

「まあ! か弱い乙女を一人にするだなんて、ジョンソン様は女性の扱いを心得てらっしゃらないのね」


 わざと落ち込んだ風にして、当て擦りのつもりで言う。

 しかしビビアンの想像以上にジョンの表情は引き攣った。本気で傷ついているらしい表情に、ビビアンもばつが悪くなる。


「冗談ですのよ? わたしは婚約者の交友関係を認める寛大な女。どうぞ、遊んでらして」

「大丈夫か?」


 デューイがビビアンに尋ねる。


「ええ。お気遣いなく。いってらっしゃいませ」

「……それならありがたく、連れていっちゃうね~」


 持ち直したジョンがにやにやと笑ってデューイの腕を引く。あ、と思い出したようにジョンが告げる。


「そう言えば今日はお忍びで高貴な方も来てるとかいう噂もあるからさぁ。誰が見てるか分からないし、気を付けてねぇ」


「あら、気を付けるべきはジョン様でしょう? もう、早く行きなさいな!」


 ビビアンはいい加減面倒になって二人の背中を押した。気持ちジョンの背中を強めに押して。

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