第3話
「こうしてじっと、鏡で顔を眺めていると次第に本当にこれが自分の顔か?
なんて貧相でみすぼらしい顔だ、と思えて来るんだ。
よくこんな顔で生きているな。
そう思えてくるんだ」
僕は以前、ある日突然、
自分の顔が醜いと思うようになる心の病気がある、
と聞いたことがあった。
僕はキユがそれにかかったのではないかと思い、
冷やりとした。
キユの顔側に回りこんで、
「君、いい顔しているじゃないか?」
と慌ててなだめると、
目線を僕に合わせ、
イチローが心配しているようなことではないから大丈夫、
と口角を上に向けた。
「そしてだんだん自分に哀れみの情がわいて来る。
こんなみっともない哀れな男が、
何とか頑張って生きている。
衣装やお洒落で取り繕って、
何とか見栄を張って生きている。
お世辞を本気にしてそれを拠り所に、
何もできない癖に何でも出来るように振舞って、
人に弱みを握られないようにと戦々恐々で生きている。
そんな彼が可哀想で仕方がなくなる。
何とかこの哀れな男に力を貸してやりたい、
と思うようになる」
鏡は戸口を覆う布の隙間からさしこんだ陽を反射し、
キユの顔の上で光を揺らめかせていた。
「その時は哀れんでいる僕と、
哀れまれる僕は別人なんだ。
そしてそうなった時はもう視界は開けて、
魂は壁も屋根も抜け、
夜空や野山を駆け巡るんだ。
知りたいと思えば何でもわかるし、
見たいと思えば何でも見える。
遥遠くも、人の心の奥深くも、未来も過去も」
*
わたしは深いため息をついた。
キユの霊能力には前から感心していたが、
ここまで全知だとは思わなかった。
そんな力があるのなら、
ビキタ族に奪われた宝も、
すぐに取り戻せるじゃないか?
「いや、そんな簡単じゃない」
彼によるとそんな境地に達するのは十回に一遍ぐらいで、
しかも大抵一瞬で、
長くとどまっていられないそうだ。
それに我に帰ると、
そこで見聞きしたことを、
殆ど忘れてしまう。
今までこの方法で成功したのは、
シアラの無くしたアクセサリーを見つけたことと、
近所の子供の熱を下げる方法を知ったことの二回だけだったという。
「彼女は高く遠すぎて容易に近づくことはできない」
「彼女って、あの例の彼女ではないのかい?」
「違うよ」
*
キユはいつも託宣を得るために、
元から薄い髭を蜂蜜ワックスで引っこ抜き、
化粧をし、女装をする。
強い酒をあおり、
正気をなくす煙を吸い、
耳をつんざく鳴り物の中で祈りを捧げる。
するとキユに女神が降りてきて、
キユはしなしなと女性のように振る舞い始め、
女の声でわらわは山の女神じゃ、
とお告げを語りだすのだった。
僕は最初、「彼女」というのは、
その山の女神のことだと思ったが、
どうやら違うらしい。
キユによると、お馴染みの山の女神に繋がるのは、
急場に手っ取り早いものの力を借りたまでで、
本当はあまり良くないことだから早めに辞めたいとのことである。
確かに僕も薄々そう思っていた。
人身御供を要求した時は思わず血の気が引いたし、
呼んでもないのにやってきてなかなか帰らなかった時は、
このままキユの体を乗っ取ってしまうのではないかと恐ろしかった。
山の女神が帰った後のキユが、
いつも死にかけていると言っても過言ではないほど消耗しているのも心配である。
「彼女のお告げを得るには、
ただ静かな部屋で鏡を眺めていれば良い。
特別な衣装はいらない。
体を清め、洗いたての着物を着れば良い。
本当は心さえ清らかなら、
体や着物が汚れていたっていい。
ただ心を丸く穏やかにして、
洗面器でも自分の顔が映るものだったら何でもいいので、
それを眺めていれば良い。
形は重んじない。
心持ちが重要なんだ。
僕が鏡を使っているのは、
せっかく君にもらったのだから使わなきゃ損だからだよ」
そしてこの天空におわす女神と、
首尾よくコンタクトを取った次の日は、
山の女神の時とは反対でいつもより体の調子が良くなるのだという。
僕は今後キユは、
なるべくこの空高くの女神の力をうまく借りるように訓練して、
山の女神とは早い所縁を切る方が、
健全ではないだろうかと思った。
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