幼馴染の贈り物

栗須帳(くりす・とばり)

第1話 幼馴染の娘・小鳥 その1


悠兄ゆうにいちゃん、泣いてるの?」


 夕焼けに赤く染まった公園。


 ベンチに座り、肩を震わせている男に少女が言った。


「悠兄ちゃん寂しいの?だったら小鳥ことりが、悠兄ちゃんのお嫁さんになってあげるね」


 そう言って少女は、男の頭をそっと抱きしめた。





 3月3日。


 終業のベルがなり、作業を終えた彼、工藤悠人くどうゆうとが事務所に戻ってきた。


「お疲れ様でした、悠人さん」


 悠人が戻ってくるのを待ち構えていた、事務員の白河菜々美しらかわななみが悠人にお茶を差し出す。


「ありがとう、菜々美ちゃん」


 悠人が、菜々美に笑顔で答え、一口お茶を飲む。


 その悠人の横顔を見つめながら、菜々美が深夜アニメ『学園剣士隊』について話し出した。感想がしっかり伝わるよう、菜々美は一気にまくしたてる。


「やっぱり悠人さんの言ってた通り、生徒会がかんでるみたいでしたよね。最後のシルエットの人って、あれ生徒会長ですよね」


 悠人に心を寄せる菜々美にとって、悠人と話せる昼休みと終業後の僅かな時間は貴重だった。

 工場主任で、作業が終わってから書類整理の仕事が残っていると分かってはいるが、限られた時間、少しでも悠人と話したいとの思いに負け、こうして話しこんでしまうのだった。

 机に置かれた納品書に判を押しながら、悠人もそんな菜々美の話に、いつも笑顔でうなずいていた。


 アニメの話がひと段落ついた所で、菜々美が映画の話を切り出して来た。


「実家からまた送ってきたんですよ、前売り券」


「ほんと、よく送ってきてくれるよね、菜々美ちゃんのお母さん」


「民宿組合からよくもらうんですよね。で、よかったらなんですけど……悠人さん、また一緒に行ってもらえませんか」


「そうだね……次の連休あたりになら」


「あ、ありがとうございます!」


 菜々美が嬉しそうに笑った。





 コンビニに入った悠人は、ハンバーグ弁当と味噌汁・コーラをカゴに入れ、レジに向かった。家のすぐ近くにあるこのコンビニの店長、山本とはここに越してきた頃からの付き合いになる。


「奥さんが留守だと大変だね。弥生ちゃんは今、東京だったね」


「ええ、秋葉原です。あさってには帰ってきますけど、また遠征話で盛り上がりそうです……って、だから嫁さんじゃないですから」


「あはははっ。早く結婚しちゃいなよ、あんたたち」


「こんな40前のおっさんなんて、20歳の弥生ちゃんにはかわいそうでしょ。人生倍も違うんですよ」


「あらそう?でも弥生ちゃんの方はまんざらでもないでしょ」


「勘弁してよ、おばちゃん」





 悠人は自分の部屋の7階まで、健康のためにいつも階段を使っていた。このマンションに越してきて10年、毎日続けているおかげで、階段を上る足取りは40前とは思えないほど軽やかである。


 隣の弥生ちゃんは秋葉原、しばらく家も静かだな……そう思いながら7階に近付いた時、悠人は人の気配を感じた。


「……」


 過疎マンションのこの階には悠人と弥生しか住んでいない。気のせいか……と廊下を歩いていくと、悠人の部屋の前で座っている少女の姿が目に入った。


「……え?」


 いかんいかん、アニメの見過ぎでついに妄想がここまで来たか……一度足を止めた悠人は、一呼吸入れて再び玄関に目をやった。




 幻覚ではない、確かにそこには少女がいた。




 ショートカットの黒髪、赤のダウンジャケットに薄紅色の手編みマフラー。そして黒のリュックを背負ったその少女の横顔には、どこか懐かしい面影を感じた。


「……小鳥?」


 悠人がそうつぶやいた。その言葉に振り向いた少女は、悠人の姿に大きな瞳を輝かせて叫んだ。


「悠兄ちゃん!」


 そう叫ぶやいなや、立ち上がったその少女は悠人に飛びついてきた。


「え?え?」


 少女にいきなり抱きつかれた悠人が激しく混乱した。しかし混乱する頭の中で今、少女が言った言葉がこだましていた。




 悠兄ちゃん。




 その呼び名で俺を呼ぶ人間はこの世でただ一人。やっぱりこいつは小鳥だ。


「悠兄ちゃん!久しぶりっ!」


 過疎化しているマンションに、少女の声はよく響いた。なんてテンションだ、この娘は……そう思いながら悠人は、少女の両肩をつかんで離し、


「どうした、なんでここにいる」


 そう言った。しかし少女はそれには答えず、キラキラ光る瞳で悠人の顔を見て、再び抱きつき頬ずりしてきた。


「やっと会えた!小鳥、ずっと会いたかったんだからっ!」


「会いたかったってお前、学校は?」


「小鳥はめでたく高校卒業。昨日卒業式だったんだよ。それでね、どうしても卒業旅行がしたくって、お母さんに無理言ったの」


「卒業旅行……と言う事は小鳥、大学は?」


 悠人の問いに、小鳥が照れくさそうにVサインをした。


「無事合格、4月から花の女子大生です」


 その言葉に、悠人が安堵の表情を浮かべた。


「そうか、合格したのか、よかった……よくがんばったな、小鳥」


 悠人が小鳥の頭を撫でる。その仕草に、小鳥が顔を真っ赤にしながら喜んだ。


「……にしても早いなぁ、最後に会ったのは5歳だから、もうあれから13年も経つのか」


「お母さんも賛成してくれたんだ、卒業旅行。小鳥、嬉しくて、ずっと興奮しっぱなしなんだ」


 3月とはいえまだまだ寒い。それにいくら過疎マンションとは言え、玄関先での会話はマナー違反だ。とにかくここではと、悠人が小鳥を家に入れた。


「悠兄ちゃんのお家、なんか緊張しちゃうね。おじゃましまーす」


 靴を脱いだ小鳥が、そう言って部屋に入ろうとした。その小鳥の腕をつかみ、悠人が止めた。


「この部屋に入るからには、お前にもルールを守ってもらうぞ」


 悠人はそう言って小鳥を洗面所に連れて行き、うがいと手洗いをさせた。


「風邪、まだはやってるからな」


「悠兄ちゃん、お父さんみたい」


 台所の先に和室があり、悠人は小鳥と入っていった。


「その辺に適当に座っていいよ。ところで小百合さゆり……母さんは元気にしてるのか」


「うん、元気元気すこぶる元気。母さんも旅行中なんだよ。女一人旅」


「そうか、元気ならまあいいや。で小鳥、その卒業旅行っていつから行くんだ?友達と海外にでも行くのか」


「違うよ。小鳥の旅行、もう始まってるよ」


「……え?」


「小鳥の卒業旅行はここ。悠兄ちゃんのお家」


「は?」


「そして今から、悠兄ちゃんに重大発表があります」


「ちょっと待て、ここが旅行ってなんのこと……」


「はいこれ」


 聞く耳持たない小鳥が、リュックから一枚のDVDを取り出し、悠人に突き出した。この勢い、母親と全く同じだ……そう思いながら受け取った悠人は、デッキにDVDを入れた。




 なぜかハリウッド映画会社のオープニングが流れ、その後画面にアニメ『魔法天使マジックエンジェルイヴ』のフィギュアが映し出された。そして聞こえる懐かしい元気な声。小百合だった。


「悠人、ひっさしぶりー!元気してるー?悠人の永遠のアイドル、水瀬小百合みなせさゆりちゃんでーす!」


 相変わらずの元気な声。思わず悠人の顔がほころんだ。画面はずっとイヴのフィギュアから離れない。時折画面の端に、白い指が意地悪そうに入ってくる。


「……とまあ、出だしの挨拶はこんな物として……ゴホンッ。悠人は今きっと、小百合の顔を見たいと思ってるはずだよね。でもでも悠人と離れてはや10年、流石の小百合も非情な時の流れには勝てず……まぁ美貌は健在なんだけどね、小鳥と相談してね、悠人の大切な初恋の夢を壊さない為にも、今回は声だけのメッセージにしました」


 確かにそうだ。しばらく会ってないから忘れていたが、俺と小百合は同い年なんだ。小百合ももう、そんな年か……感慨深げに悠人がうなずいた。


「今悠人の隣にいる小鳥は、艱難辛苦を乗り越えて、見事念願かなって希望の大学に合格しました。悠人も気になってたと思うけど、小鳥の受験の邪魔しないって言う約束で、この一年連絡禁止にしてたから、きっとやきもきしてたでしょうね。でも悠人、あんたの協力もあって、小鳥は無事大学に合格できました。ありがとね。

 その小鳥に私、ひとつだけ何でも望みを叶えてあげるって言ったの。そして小鳥が出した望みがこれ。悠人、よーく聞くのよ。

『私、悠兄ちゃんのお嫁さんになりたい』って」




「…………は?」




「悠人、あんた私たち親子が引越しする時、小鳥と約束したらしいじゃない。小鳥が大きくなったら結婚してあげるって。小鳥はね、ずっとその約束を忘れずに今までがんばってきたんだよ」


「ちょっと待て、あれは小鳥が5歳の時の話だぞ」


「だから私は、可愛い娘の一途な思いに報いてあげたくて、今回の旅行に賛成しました。私もちょうど、癒しの温泉旅で女を磨きなおしたいって思ってた所だったし。私は今から陸奥みちのく一人旅、小鳥は浪速なにわ一人旅」


「なんだそれは、うまいこと言ってるつもりか」


「だけどもちろん、悠人もいきなり小鳥と結婚って言われても、はいそうですかとはならないよね。悠人は今でも小百合一筋、分かってるよ。その私の娘からいきなり愛を告白されてもとまどうでしょう。だから悠人、小鳥にはひとつだけ条件をつけました。今日から3ヶ月の期限付きです。それまでに悠人の心をつかめたならOK、もし3ヶ月経っても悠人の心が動かなかったら、その時は諦めて帰ってきなさい、そう言ってます。だから悠人、しばらく小鳥の面倒みてやってね。そして悠人の意思で、小鳥を選ぶかどうか、決めてあげてほしいの。一人の女の子として」


「あ……あのなあ……」


「でも悠人、根性いれて小鳥と過ごしなさいよ。恋する女は強いからね。あ、それと小鳥。小鳥もがんばるんだよ。悠人は母さん一筋だけど、母さんの遺伝子を持ったあなたならだいじょーぶ。年の差なんて関係ない、恋する女は誰にも負けないからね。じゃあそういうことで悠人、小鳥、がんばってねー」


 好き勝手言うだけ言って、DVDは終わった。

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