第24話 明かされる真実 その4


 ――メデューサ。ギリシャ・ローマ神話に登場する魔物、ゴーゴン三姉妹の一人である。


 元々は女神の座に位置していた彼女であったが、ある時、神々の王であるゼウスの娘、アテナの怒りを買い、その姿を魔物に貶められた。

 その時彼女は髪を一本一本毒蛇に変えられ、見るもおぞましい姿になってしまった。

 メデューサが魔物といわれる所以はその容姿にもあったが、その顔を見た者が、恐怖で石に変えられてしまう能力の為でもあった。


 魔物と化した彼女は暴虐の限りを尽くすが、英雄ペルセウスによって首をはねられ、その生涯を終えている。




「……」


「勿論推測の域を出ていない話だ。何の確証もない。しかし紅音のあの能力は、とても医学や科学で説明出来ない。人智を超えた力……私がそこに辿り着いてしまったのも、必然なのかもしれない。


 そして人の傷を癒すあの能力、両手を介し、生命エネルギーを循環させるあの現象……それもメデューサの伝説の中に、似た記述があった。

 ペルセウスによってはねられた首から流れる血には、不思議な力が宿っていた。左側から流れる血は猛毒で、そして右側から流れる血は、死者をも蘇生させる力があったそうだ」


「猛毒と薬……」


「そう。紅音の左手は、触れた物全ての生命を吸い取っていく。そして右手には、どんな傷でも癒す力がある。それはまるで、メデューサの力その物じゃないか」


「でも……そんな話……」


 雨はやんでいた。

 雲の合間から見える陽の光が、部屋に差し込まれていた。



「……どこの親が、自分の娘がおぞましい魔物だと思うだろう。私も、私の仮説が誤っていることを証明したい。そう望み、祈っている。


 私に出来ることは、紅音の症状を抑えることだけだ。その為に、紅音には普通の子供たちが当たり前の様に享受している幸せを与えてやれていない。そしてあろうことか、私は医者である自分の立場を利用して、娘を騙し、本来ならば必要のない薬を服用させている。娘を守りたい、しかし今、娘は人形の様な生活をしている……その矛盾が私を悩ませていた……

 ――そんな時、紅音は君と出会った」


 明雄が強い視線を柚希に向けた。


「何事にも執着せず、自らの意思を口にすることもなかった。ただただ周囲に流され、それを受け入れるだけ……それが紅音だった。

 その紅音が、君と出会ってから、まるで人が変わった様に力強く生活をするようになった。自らの意思を私に伝え、日々の生活を能動的にこなしている。何より紅音は、よく笑うようになった。


 私の娘が、生まれて初めて生きていることに喜びを感じている。君のことを話している時の紅音は、本当に幸せそうだ。私は、紅音とこんな時間を過ごすことは生涯ないだろうと思っていた。一人の親として、こんなに喜ばしいことはなかった。

 だがそれは、大きな選択の瞬間でもあった。紅音にとって環境の劇的な変化は、あの能力の発現を引き起こすきっかけになるかもしれない。君と出会い、紅音の中に感情が蘇ったことは、その危険性を大きくする可能性を秘めていた。


 私にとって、これまで紅音を守ることが何をおいても最優先だった。例え紅音の、人としての幸せを奪うことになろうとも、それだけは貫きたい、そう思っていた。しかしあの……君のことを話している時の紅音の嬉しそうな笑顔に……私の心は大きく揺れた。


 君との交際を認めないと私が言えば、恐らく紅音は私に従ったと思う。無論、紅音の心の中に深い哀しみが生まれ、それがまたあの忌まわしい魔物を呼び覚ますことにつながるのかもしれない。しかしその決断が早ければ早い程、リスクは小さくて済むはずだった。


 私が君との出会いを聞いたのは、初めて君と出会った次の日のことだった。あの時ならまだ、引き返せたのかもしれない。だが私は……君とまた会うことを許してしまった。紅音のあんな幸せそうな顔を見てしまって、もしかしたらこの出会いが、紅音を呪われた運命から救ってくれるのではないだろうか……そんな淡い期待が、私の中に生まれたからだと思う。そう思ってしまう程、紅音は幸せそうだったんだ」


 自分と紅音の交際のことを考え、苦悩していた明雄の話を聞きながら柚希は、何も知らなかったとは言え、ただ紅音に会いたいと言う衝動だけで会っていた自分のことを恥ずかしく思った。


 そして、よく知りもせず安直に、紅音への投薬に疑問を感じ、明雄に不信感を持っていた自分を責めた。


「だが、紅音の症状を見守ることも忘れないように心がけたつもりだ。君と出会う前にも、紅音の症状は続いていた。石化した虫や小鳥が、一ヶ月に一度ぐらいの頻度で庭に落ちていた。


 告白するが、君が初めて私の家に来た日、私は紅音の薬の量を増やした。君との出会いで蘇った紅音の感情を、少しでも安定させたいと思ってね……


 しかし次の日の朝、私は驚いた。紅音は薬が増えたにも関わらず、いつもよりも生き生きと感情を出し、幸せいっぱいの表情で私の元へと現れたんだ。


 その時私は決意した。君に賭けてみようと。君を想う紅音に賭けてみようと。

 その日から少しずつ、紅音の投薬量を減らしていっているんだが……しかしそれが険しい道だと、私はまた気付かされた訳なんだ……」


 そう言って、明雄が小さく息を漏らした。


「柚希くん、話はこれで全部になる。私が知っている、紅音に関する全てだ。君にとって、余りにも現実からかけ離れた話だったと思うが、私が見てきたことは包み隠さず伝えられたと思う。


 勿論、今すぐ信じてくれとは言わない。こんな話、私が君の立場だったなら、とても受け入れられるとは思えないからね。ただ……出来れば今私が話したことを、口外して欲しくない。紅音にもね……」


 その言葉に、柚希がはっとした。

 そうだ、今先生から聞いたことを、自分が誰かに話したらどうなってしまうだろうか。

 一笑されて終わることもあるだろう、しかし今の話の中には、紅音さんが実の母親を殺めたことも含まれている。

 ひょっとしたら先生たちは、この街では生きていけなくなるかも知れない。


 そしてもし僕が、このことを紅音さんに話したらどうなるだろう。

 紅音さんの記憶が呼び覚まされ、最悪の場合、罪の呵責で自我が崩壊するかもしれない。

 そんな危険な話を、赤の他人である僕を信じて話してくれたんだ……


 この話を僕にするまでに、先生の中でどれだけの葛藤があっただろう。

 そう思うと、明雄から放たれた一言一句に刻まれた覚悟に、柚希は身震いがした。


「雨がやんだようだね。じゃあ私はそろそろお暇させてもらうよ。長々と話してすまなかったね」


 そう言って明雄は、穏やかな笑みを柚希に向け、立ち上がった。




「怪我の具合は心配いらないよ。まずはゆっくり休みたまえ」


 そう言って明雄が玄関の扉に手をかけた時、柚希が口を開いた。


「先生、その、あの……今日はありがとうございました。それから今日のこと、誰にも話しませんから」


 その言葉に明雄が振り返り、再び穏やかな笑みを見せた。


「ありがとう、柚希くん……」


「それと……僕、メデューサの話とかあの……正直まだ頭が混乱していて……よく理解できていません。ただ、もし先生に許してもらえるのなら……僕はこれからも、紅音さんの友達でいたいです」


「……」


「紅音さんに不思議な能力がある、そのことは理解してます。でも、それでも僕は……僕は紅音さんの側にいたい。そして笑っていて欲しいんです」


 柚希の肩に手を置いた明雄が、小さく頭を下げた。


「ありがとう、柚希くん……紅音は本当に、いい友達に出会えた。君にはこれからも、紅音のことで色々と重荷を背負わせることになるのかもしれないが、私も晴美くんも、全力で君たちを守ることを約束する。

 柚希くん、これからも紅音のことをお願いするよ」


「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」


「紅音は恐らく……あと一日もすれば元気になると思う。柚希くん、次の土曜日、何か予定はあるかね」


「土曜日ですか」


「ああ。昼から休診になるから、また病院に来たまえ。頭も打っているようだから、念の為にCT検査をしておこう。そしてその後で、よければまた家に……紅音に会いに来てもらえないかね」


「紅音さんに……いいんですか?」


「ああ、紅音もきっと喜ぶ」


「分かりました、伺わせてもらいます」


「じゃあ晴美くんにもそう伝えておくよ。夕食も食べていくといい」


 そう言って明雄が扉を開けた。


 すると目の前に、鍋を持った早苗が立っていた。




「あれ……桐島先生?」


「おや、早苗くんじゃないか。お父さんの腰の具合、最近はどうだね」


「はい、おかげさまで。それでその……桐島先生は柚希の診察に?」


「ああ、今済んだところだよ。そうか、早苗くんが柚希くんの世話をしていたのか。なら安心だね」


「先生そんな、安心だなんて」


「柚希くんの手当て、ひょっとして早苗くん、君がしたのかね」


「はい、見様見真似で」


「いや、見事だったよ。私が来る必要もなかったぐらいだ。よければ卒業後、うちで働く気はないかね」


「先生お世辞がうますぎますって。それに私は」


「分かってる、ハリウッドだったよね」


「はい、現在進行形で修行中です」


「はははっ。じゃあ私はこれで」


 明雄が車に乗り込んだ。


「じゃあ柚希くん、土曜日に」


「はい、ありがとうございました」


 明雄が手を振り、車が去っていった。


 柚希は車が見えなくなるまで、頭を下げていた。




「柚希大丈夫?具合悪いの?」


「え?大丈夫だよ」


「だったらなんで桐島先生が来てたの?柚希が呼んだんじゃないの?」


「あ、それは……先生が往診に来てくれて」


「柚希が呼びもしないのに、桐島先生がわざわざ来てくれたって言うの?確かに柚希のお父さんが、桐島先生の所に挨拶に行ってたけど……それにしてもおかしいじゃない。なんで桐島先生が、柚希の怪我のことを知ってたの」


「さ、早苗ちゃん、顔ちょっと近い、近いよ」


 気がつけば鍋を挟んで、柚希の顔に息がかかる程の距離にまで詰め寄っていた。


 早苗は顔を赤らめ、柚希から離れた。


「と、とにかく……まずはご飯、ご飯食べましょ。お昼は私もこれ、一緒に食べるから」


「ははっ、そうだね……」

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