015 ゴールデンウィーク①
ゴールデンウィークが始まった。
というのは数日前のことで、今日と明日で終わりだ。
今日までは、ひたすら家で過ごしていた。
文香を誘ったらものの見事に断られたからだ。
家族で祖父の家に行くらしい。
そして今日、俺は文香と、彼女の祖父の別荘で過ごす。
二人きりの一泊二日だ。
「珍しいな、遅刻するとは」
待ち合わせ場所は我が家の最寄り駅。
ロータリーの近くで待っていろという指示だった。
しかし、待ち合わせ時間になっても文香が現れない。
彼女はいつもきっかり5分前にやってきていた。
まるでロボットのように、必ず5分前に現れるのだ。
「ごめん、遅れちゃった」
背後から文香の声がする。
振り返ると、そこには漆黒リムジンが。
黒光りするその姿はさながらゴキブ……げふんげふん。
文香はリムジンの窓から顔を出してこちらを見ている。
まるでアニメや漫画に出てくるお嬢様のようだ。
「乗って」
リムジンの扉がおもむろに開く。
文香が席をずれて、俺の座る場所を作った。
タクシーを彷彿させる。
「あ、ああ、分かった」
まさかのリムジンに驚きつつ乗った。
俺が乗るとリムジンは出発した。
「いつもと違って車だったから時間を把握できなかった、本当にごめん」
「気にしていないよ。それよりこの車は?」
「祖父が借りたもの。別荘は車じゃないと行きづらい場所にあるから」
「だからってリムジンを使うのか。別に普通のタクシーでもいいだろうに」
「私もそう言ったんだけどね」
文香が苦笑いを浮かべる。
笑うなんて珍しい。可愛い。好きだ。
「私にできた初めての恋人だから、ウチの家族はもう大騒ぎでね」
「そうなのか」
「祖父なんて既に結婚したら云々とか言っていたよ」
「結婚……俺と文香が……」
「もちろん、私はそこまで考えていないよ。まだデートもまともにしていないのに結婚がどうとか重すぎるでしょ」
「いや……いい……全然いい……結婚……最高だ……」
文香との結婚生活を思い描く。
自然と笑みがこぼれて涎が垂れそうになった。
「祐治は分かりやすいね」
「そ、そうか?」
「うん。思っていることが顔に書いている」
文香が手を繋いでくる。
指と指を絡めて、ぎゅっと握った。
「いつもありがと」
「ここ、こちらこそ!」
俺もぎゅっと握り返した。
楽しいゴールデンウィークの始まりだ。
◇
別荘について車から降りる俺達。
荷物を運び終えると、リムジンは去っていった。
運転手によると明日の13時頃にまた来るそうだ。
それまでの約24時間、誰にも邪魔をされることはない。
(それにしてもデケェ……)
到着した別荘は驚くほど大きかった。
学校のグラウンドに匹敵する庭があり、家も大きな館だ。
敷地は石の壁で覆われていて、外から見ると刑務所のようだった。
これだけ大きいと、普通はセキュリティが不安になる。
だが、この家はその点も問題なかった。
そこら中に大量の監視カメラが備わっているのだ。
もちろん雛森ミサトの住むマンションと違って機能している。
最大手セキュリティ会社SE○OMによる24時間態勢の厳重警備だ。
「文香のお爺さまってマジで何者なんだ? 凄すぎないか、この別荘」
「祖父はただの会社経営者よ」
「ほへぇ、やっぱり社長ってすごい儲かるんだなぁ」
手入れの完璧な庭を通って家に入る。
分かってはいたが、家の中も笑えるくらいに広かった。
全ての家具が新品かのようにキラキラしているのも凄い。
「荷物はひとまず居間に置いておくとして、映画でも観る?」
「そうだ、ホームシアターがあるんだったよな」
「案内するね」
そうしてやってきたホームシアターは、これまた凄まじかった。
ホームシアターの名に相応しい小さな映画館だ。
ド派手なスクリーンに、明らかに高そうなオーディオ機器。
それになんといっても30人分の座席。
「飲み物とお菓子、取ってくるね。祐治は観たい作品を選んでて」
文香はスクリーンの電源を入れると、リモコンを俺に渡して出て行った。
「俺みたいな庶民がこんな所に座っていいのだろうか……」
そんなことを思いながらリモコンの操作を始める。
悩んだ末に選んだのは、よくわからないハリウッドの恋愛映画だ。
人気ランキングの1位にあったのでそれにした。
再生準備が整ったら一時停止を押して待つ。
しばらくして文香が戻ってきた。
部屋の照明を切って、俺の右隣に座る。
「スターフォースじゃなくていいの?」
彼女はコマ付きのテーブルを俺達の前に置いた。
テーブルにはコーラやジャンクフードの山。
あと、なぜか野菜スティック。
「これは私のね」
文香が野菜スティックを取る。
「スターフォースにしようかと思ったんだけど――」
俺はコーラを飲む。
「――観たことないのにしようかなって」
「いいと思う。でも、恋愛映画かぁ」
「嫌だった? なら変えるけど」
「嫌じゃないよ。意外だっただけ」
「意外?」
「祐治、恋愛映画とか観ないタイプだと思ったから」
「たしかに観ない。観たことないよ」
「でしょ。だったらどうして恋愛映画に?」
「人気ランキングのトップだったから」
「それだけ? 人気ランキングのトップが戦争映画だったら選んでた?」
「いいや、選ばなかったと思う」
「だよね。だからびっくりした。同じように避けると思った」
「恋人となら恋愛映画も悪くないかと」
「たしかに」
俺は再生ボタンに親指を置く。
「文香は恋愛映画ってよく観る?」
「ううん、私も初めて」
「お互いに初めてか。楽しみだな」
「だね」
再生ボタンを押し、リモコンをテーブルに置いた。
肘置きに腕を休め、リクライニングチェアにもたれる。
『貴方とはもうやっていけないわ、ジャック!』
女性声優の声が大音量で流れる。
「あ、吹き替えでよかった?」
「うん、大丈夫。私はどっちでも気にしないタイプ」
「よかった。俺は吹き替え派なんで」
ハリウッド映画なので、基本的な展開はパターン化していて分かりやすい。
恋愛映画を観たことがなくても、パターンについては把握していた。
女の主人公が長らく付き合っていた男と別れ、女友達とバカ騒ぎしながら色々と経験し、その中で新たに出会った男と恋に落ちる。
そして最後には真実の愛とやらに気づいてハッピーエンドだ。
(思ったより面白いじゃないか)
驚いたことに俺は映画を楽しんでいた。
主役の女の心境には欠片も共感できないが、それでも面白い。
テンポよく進むので観ていて飽きなかった。
チラリと横を見る。
文香も食い入るように観ていた。
空になった野菜スティックの箱にしばしば手を伸ばしている。
「――!」
映画が盛り上がってきた頃、文香が手を繋いできた。
強い力でぎゅーっと握ってくる。
「文香……」
「こういうの、してみたかったの。祐治も握り返して」
文香が俺を見る。
「分かった」
言われた通りに握り返す。
文香は満足気に頷いてスクリーンに顔を向けた。
いよいよ物語が佳境へ突入する。
主役の女が新たに出会った男とイチャイチャし始めた。
しかも場所は映画館の中だ。
『他の客にバレるって』
『いいじゃない、他人の目なんて気にしたら負けよ』
驚くことに二人はキスを始めた。
額と額を重ね、互いの鼻先を当て、貪るようにキスしている。
画面がズームし、交わる舌が大きく映った。
唾液が糸を引いているところまで鮮明に分かる。
「これは……」
思わず苦笑い。
その時、文香にトントンと肩を叩かれた。
(もしかして)
そう思って横に向く。
文香は真顔で俺を見ていた。
「祐治、私達も、その……」
珍しくもじもじしている。
恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
彼女の言わんとしていることは分かる。
「その、いい、のか?」
震えた声で確認する。
文香はコクコクと頷き、目を閉じた。
顎を少し上げて、俺に唇を向ける。
「文香、好きだ!」
『ジェームズ、貴方が好き! 愛しているわよ!』
俺と主演女優の声が重なる。
スピーカーの音量が大きすぎて、俺の声は掻き消された。
クソッタレと思ったが、言い直す気はしない。
俺は文香に顔を近づけ、唇を重ねた――。
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