007 愉悦と優越感

 初めてのことだった。

 ウキウキで学校に向かうのは。


「おはよう、祐治」


「おはよう、文香」


 学校から徒歩数分の距離で文香と合流する。

 そこから俺達は手を繋いで学校に向かう。


 手を繋ぐようになったのは、昨日〈燦爛〉で食べた後からだ。

 文香に「恋人なんだし手を繋がない?」と言われた。


「御代田が男と手を繋いでいる……」


「なんだあの地味な男……」


「あんなのが御代田の彼氏……」


「アイツだったら俺のほうが遙かにいいだろ……」


 周囲の男子が俺達を見てガヤガヤしている。

 その視線、その嫉妬の声……嗚呼、最高だ。

 圧倒的なまでの愉悦と優越感が俺を支配する。


「私達、なんだか注目されてるね」


 文香はいつも通りの無表情。


「手を繋いでいるからだろうな」


「だったら手を繋ぐのやめる?」


「やめない! 繋ぐ! 繋ぎ続ける!」


「分かった」


 皆に見られながら校門をくぐる。

 校舎内でも俺達は注目の的だった。

 ファンクラブまであるイケメン上級生まで嫉妬の眼差しだ。


 信じられないだろ?

 どうしてお前如きが御代田文香と……って思うだろ?

 俺も同じ事を思っているぜ!


 とろけそうなくらいにんまりしつつ教室へ。

 遅めの登校だったので、生徒の大半が揃っていた。


「よぉ顔だけクソ女、また学校に来たのかぁ!」


 文香の次くらいに可愛い吉沢真優梨が近づいてくる。

 後ろには取り巻きである武井美沙も一緒だ。

 いつもならここでネチネチ陰湿な意地悪をするのだが、この日は違った。


「「んがっ……!」」


 真優梨と美沙は愕然とする。

 素早く俺と文香の顔を見つめた。

 明らかに比較している。


 男のレベル――5!

 女のレベル――999!


 真優梨が信じられないといった顔で言う。


「文香……あんた、マジ?」


「おはよう、吉沢さん、武井さん」


 文香は俺と絡めていた手を放し、真優梨の横を通って自分の席へ。


「ミサミサ、ちょっと御代田さんのこと好きになったかも」


 俺の顔を見て満足気な美沙。

 なんだかすごく侮辱されているような気がした。


「え、いや、あんたら……えぇぇ……なんで……」


 真優梨は未だに俺と文香を交互に見ている。

 それから視点を俺に定め、間をおいてから言った。


「マジ!?」


 俺は「ふふん」とドヤ顔を浮かべた。


 すると真優梨は、もう一度、「マジ!?」と叫んだ。


 ◇


 俺と文香の交際は瞬く間に知れ渡った。

 最初から隠すつもりがなかったとはいえ、情報の拡散速度に驚く。

 いかに文香が注目されていたのかがよく分かった。


 授業が始まると、真優梨の嫌がらせが始まった。

 後ろから消しカスを投げているのだ。

 鼻くその如き小さな黒い粒が、文香の綺麗な髪にスポッと埋まる。

 その度に文香は鬱陶しそうな顔で髪を払っていた。


(相変わらず陰湿な奴だな、吉沢真優梨!)


 文香の彼氏として見過ごすわけにはいかない。

 彼氏でなくても見過ごすわけにはいかない。

 俺は禁断の超能力を発動することにした。


「ニシシシ、くらえ、くらえ」


 またしても消しカスを投げる真優梨。

 その瞬間、彼女は「痛ッ!」と立ち上がった。


「どうした? 吉沢」


 教師が授業を止める。


「あ、いえ、すみません、右足の指がつったみたいで」


「そうか。あまり騒ぐなよ」


「はい!」


 外面のいい真優梨は危なげなくその場をやり過ごす。

 そして再び消しカスを投げるのだが、すると――。


「うぎゃああああ!」


 またしても悲鳴を上げて立ち上がった。


「吉沢ぁ、あのなぁ……」


「す、すみません……」


 真優梨は何が何やら分かっていない様子。

 その後も彼女は何度か消しカスを投げ、その度に悲鳴を上げた。


 これこそ俺の超能力〈痛覚操作〉だ。

 厳密には痛覚をいじるわけではないのだが、感覚的にはそんな感じ。

 これによって、真優梨は消しカスを投げる度に痛みを抱く。


 痛くなるのは右足の小指。

 痛みのレベルはタンスの角で強打したような激痛だ。


 実際に負傷したわけではないので調べても分からない。

 ただただ謎の激痛が走るだけだ。消しカスを投げる度に。


「こ、この消しゴム……呪われてる……」


 最終的に、真優梨は自分の消しゴムを触ることを恐れるようになった。


 ◇


 午前の授業が終わり、昼食の時間。

 この時間が最も楽しみだった。


「作ってきたよ、祐治のお弁当」


 文香が手作り弁当を用意してくれたのだ。

 昨日の夜、ラインで「ご飯を作らせてほしい」と言ってきた。


「御代田の手作り弁当……」


「羨ましすぎだろ……」


「なんであんな地味野郎なんだよ……」


「スターフォースを上映日に10回くらい観てそうな奴じゃんか……」


 多くの男子が羨望と嫉妬の眼差しを向けてくる。


「この席、使っていいよ」


 文香にそう言ったのは、牧野瑠華だ。

 真優梨の取り巻きだが、文香に対するイジメには消極的。

 ロリ顔の巨乳に悪い奴はいないってことか。


「ありがとう、牧野さん」


「気にしないで。代わりに文香の椅子を借りるよ」


「うん」


 俺と瑠華の机をくっつける。

 それから文香と向かい合うように座った。


「上手く出来ているといいんだけど……」


 文香が俺の前に「どうぞ」と弁当箱を置く。

 女子高生らしく小さなサイズだ。


「開けてもいい?」


「もちろん」


 皆がチラチラ見てくる中、俺はおもむろに弁当箱を開ける。

 すると中には――白米がぎっしり詰まっていた。

 白米しかなかった。


「え、これ……」


「ご飯を作らせてほしいって言ったでしょ? だからご飯を作ったの」


 文香は無表情だ。


「あの、おかずは……?」


「ご飯におかずは含まれていないよね? ご飯だから」


「え、あ、うん、そっか、そうだよな、いや、誤解してたよ、ハハハ」


 おかずは自分で用意しろってことだったらしい。

 ――と、思いきや。


「冗談だよ」


 文香は追加の弁当箱を取り出した。

 そちらには美味しそうなおかずの数々がこれでもかと入っている。


「「「うおおおおおおおおおおおおおおお!」」」


 俺だけでなく、盗み見していた男子共まで叫ぶ。

 俺は喜び、他の野郎共は嫉妬で悶え死にそうだ。


「本当に私がおかずを用意していないと思ったの?」


「文香ならありえるかなって」


「そんなことしないよ。恋人の大事なお昼ご飯に」


「恋人の大事なお昼ご飯……!」


 胸がズッキューンとときめく。

 この世に生まれてきてよかったと心から思った。


「いや、本当は最初、お米だけの予定だったんだけどね」


「マジかよ」


「面白そうだけど、冗談でも可哀想かと思ってやめちゃった」


「やめてくれて助かったよ」


 文香の用意した箸を握り、いざ実食へ。

 まずは定番の卵焼きから。


「うまぁあああああああい!」


 お世辞抜きで美味かった。

 思わず他のおかずにも箸がのびる。

 卵焼きだけでなく、どれを食べても最高だった。


「文香って料理上手なんだな、感動したよ」


「作ったのは私じゃなくてお母さんだけどね」


「…………」


 俺はしばらく固まってから言った。


「それ、冗談だろ」


 文香は「当たり」と微笑んだ。


「よく分かったね」


「だんだん分かるようになってきた」


 周囲の視線などおかまいなしで、俺達は昼食を楽しんだ。

 我が人生、間違いなく今が一番の絶頂期である!




 ――この時はまだ、知る由もなかった。

 嫉妬を拗らせた男がどれだけ醜い生き物かということを。

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