こぼれ話(番外編)
ep.17.5 ◇奴隷市※(第一部ep.18)
旧18話を新編に合わせて手直ししたものになります。時系列的には18話直前の、本編の裏側です。
※胸糞注意。
─────────
「ああ、勿体ない。顔のつくりは美しいのに。この火傷さえなけりゃ、もっと高く売れるのに」
奴隷商は、私の顔を見るたび嘆いていた。
檻に差し込まれた食事を見て、重い体を動かす。
家畜かなにかのように地べたに置かれたその皿に、私はそっと手を伸ばした。
檻の内側で、もう何度夜を越えただろう。
日ごと
この檻の中で、何人もの人を迎え入れ、何人もの人を見送った。
誰かが買われていくたびに、自分ではなくて良かったと、ほっと息をつく私がいる。
「逃げないと」
私と同じ時期に、同じ檻に入れられた少年はそう言った。身体のあちこちに痣を作りながらも、絶望に濁ることの無い瞳で、真っ直ぐ前を見ている人だった。
頑丈な鉄格子の内側にいて、どう逃げようと言うのだろう。そう疑問に思ったものだけど、彼も一人だけでどうにかなるとは思っていなかったらしい。
見張りの目を盗んでは、同じ檻の人達に、逃げる算段を持ちかけている。
私の所へ来た少年に、返事は返せなかった。
逃げる。どこへ?
もう、帰る場所などありはしないのに。
「労働力として使い潰すなら大人の方が適している。若い奴隷の使い道なんて、まともであることの方が少ない」
返事をしない私に、彼は淡々と語った。
「子供の奴隷は、子供であることに価値を見出されるから、買われるんだ。相当な物好きに当たらない限り、すくすく大人になれるやつなんて居ない」
強い瞳が、静かに私を見つめている。
「それでも、きみは逃げないのか」
その手を取れる勇気があったら、何かが変わっていたのだろうか。
とある日の深夜、突然檻を訪れた奴隷商が、彼と他数人を連れていった。
その後どうなったのか、檻を移された私には、何もわからなかった。
怖いのに、怖くて仕方ないはずなのに、恐怖に怯え震える前に、諦念が心を支配する。
許容量を超えた感情が、私の頭を重くする。
何も出来ない弱さに、乾いた絶望が深くなる。
全てに蓋をしてしまいたかった。
何も考えたくない。
考えても、どうすることも出来ないのなら。
食事を差し込まれるその時に、奴隷商が義務的に告げる。
これ以上売れ残るようなら廃棄処分になるらしい。
ただ生かすだけにも金がかかる。売れないのなら、もう生かしておく理由もないのだと。
その目線にはなんの感慨もなく、その口調には侮蔑の色はない。
おおよそ人に向けるような感情など、乗せられてはいなかった。
淡々と、商品の使い道を吟味するだけの、単なる独り言。
私は、自分がただの物に過ぎないのだと思い知った。
一体どちらがましなのだろう。
このまま檻の中で死ぬのか、素行の知れぬ主人に買われるのか。
どちらになったとしても、きっと後悔をするのだろう。
その選択権は、私にはとっくにないけれど。
「これを貰う」
その日市を訪れた青年は、私を指さして言った。
檻の扉が開いて、一人外に引きずり出される。
奴隷商が契約の取り決めを交わし、青年に簡単な説明をする。
でも、彼はある言葉に差し掛かった時、ぴくりと眉を跳ね上げた。
「名前? 奴隷に名など不要だろう。ただの奴隷で十分だ」
「左様で。しかしそれだと、他の奴隷と区別する時大変では?」
「そうか。ならば他の奴隷を名で呼べばいい。これに」
前髪を掴まれて顔をあげさせられる。
頭皮が引かれるその痛みに目をつぶると、誰かの指が右頬の火傷を強く擦った。
「こんな醜いものに、名など過ぎた代物だろう。そうは思わないか?」
その嘲笑を受けた時、自分の中の何かが崩れていくのを、確かに感じたのだ。
「行くぞ」
重い手枷から伸びた鎖を、新しい主人が掴んでいる。
引かれたままに従って、裸足のまま、地べたを歩く。
何日も檻の中にいたせいか、直ぐに足がふらつく。
何かにつまづいて転べば、そのまま引きずられた。
『名前はね、願いなの』
いつかの記憶が蘇る。
『イヴが健やかでありますようにって、願い。それは親が与えてくれた、貴方を示すもの。貴方が生涯共にするもの。貴方のすべて』
だから、大切にしてね。
柔らかく笑むお姉さんの顔が、弾けて消えた。
ぽたり、と、涙が垂れた。
顔を俯けて、唇を結んで、その衝動をやり過ごす。
主人に悟られたら、きっと良くない。
それでも嗚咽が漏れそうで、そのたびに必死に息を止めた。
足元がよろめいて、また引きずられる。
そのたびに、同じことを繰り返す。
擦り傷ばかりが増えていく。
『イヴ』はあそこで死んだのだ。
あの時、あの部屋で、炎に炙られて、首を絞められた時に。
今の私は残骸。人の形をした肉塊。
だから、仕方がない。私は私のものでは無い。
私の生も死も、人格も、名前も、あらゆる権利はお金に変えられて。
この人の物になったのだから。
あのね、お姉さん。
ごめんね。
全部、無駄になっちゃったよ。
……ごめんね。
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