第二十三話 文化祭①

2022年10月


 どうしてこんなことになったのだろうか。

 目の前には、秋山さんの父親とカズミさん、そして前田さんと前に河川敷で僕たちを助けてくれた安斉さんが向かい合うように座っていた。

 椅子は教室で使用しているもので、目の前のテーブルは机を複数並べてその上から布を被せた簡易的なものだった。今にも取っ組み合いの喧嘩をしそうなほどに険悪な雰囲気で、被せられた布がこの四人に似つかわしくないピンク色だったことも相まって異様な空気感を漂わせていた。

「娘の友人の保護者ということですが、どういったご職業でしょうか?」秋山さんの父親は質問というより尋問に近い厳しい口調で前田さんに問いかけた。

 前田さんは黒いダブルのスーツを着ていた。中にはガラ物のシャツを着ていて、強面で巨漢の男がそんな姿をしていたら元警察でなくても怪しく思うのは当然だ。

「相手の素性を聞くときは自分から言うのがスジじゃないのかい?」

 隣にいたオールバックの男性がイラついた様子で話に割り込む。

「あなたは娘とはどういったご関係で?」

「だから自分から名乗るのがスジと違うかって言ってんだろ」

 男性は立ち上がり椅子が倒れる音が教室中に響いた。


 ことの始まりは一カ月前、文化祭の出し物をクラスで決めるところから始まる。

「それではクラスの出し物を決めたいと思います。何か意見がある人は手をあげてください」

 クラス委員が言い終わる前に多くのクラスメイトが一斉に手をあげた。射的、演劇、クレープ屋など様々な意見が出される中で四季も大きく手を挙げた。

「お化け屋敷がいいと思います」言い終わった後、僕と夏野に近づいて耳打ちした「暗い部屋でオバケ役をしたら女の子のこと触りたい放題だろ?」

 夏野はすぐに手をあげた。

「女子生徒にいかがわしいことをする人がいるかもしれないので却下でお願いします」

 クラス委員はすぐに黒板に書いたお化け屋敷の文字にバツをつけた。

「それじゃあ、クラスの出し物は喫茶店に決定しました」

 不服そうな四季に少しでも希望をもたせることにした。

「残念がってるけど、チャンスだと思わない?」

「何がどうチャンスなんだよ」

「喫茶店っていったらメイド服でしょ? クラスの女子のメイド姿なんて見る機会があると思う?」 

 みるみる四季の目が輝いていくのがわかった。

「衣装の担当になったら、短いスカートとかにできたりするかもね」

 さすがにわざとらしかったか、と心配する間もなくクラス委員に何かを伝えに言った。たぶん衣装担当になりたいとかそんなことを言いにいったのだろう。

「お前ヒドすぎやしないか? あんなに期待させて、絶対却下されるだろ」と夏野にたしなめられた。

「女子にいかがわしいことしようとするのが悪いんだよ」

「まあそれもそーだな」

 当然のことながら四季が衣装担当になることはなかった。


 それから一カ月のあいだ僕たちは文化祭の準備に追われた。

 夏野は自ら手をあげて調理担当になったのだけれど、少なからず反対意見も出ていた。みんな料理の腕については半信半疑だったのだろう。けれど最初の試食会でレシピを見ずに焼きそば、オムライス、ハンバーグなどいくつかの料理を手際よく作って見せた。試食したみんなから満場一致で調理責任者に任命された。僕はというと調理責任者の一存で調理の補佐を担当することになった。

 他の三人は教室の飾り付けの担当になった。衣装担当になり損ねた四季を見かねた二人が誘ってあげたというのが本当のところだ。

 僕と夏野は料理の試作を繰り返し、できる限り美味しいものをお客さんに届けよう、などとはほとんど考えていなかった。単純に放課後にみんなで騒いでいるのが楽しかった、ただそれだけだ。

 もちろん最初の方はみんな真面目に取り組んでいた。教室のコンセプトをどうするとか、メイドを誰にするか、衣装をどんなものにするかなど、クラス一丸となって喫茶店を成功させようと邁進していた。

 今どきの高校生がそんな真面目に文化祭に取り組み続けるだろうか。答えはノーだった。

 ときどき先生が見回りに来るタイミングでみな作業をしてるフリをしてやり過ごし、先生が見ていないところでは無駄話をする。そうやって準備期間がいたずらに消費されていった。

 そんなある日、ほとんどのクラスメイトの大半が帰ってしまい、教室には僕たち五人が残った。

「そーいえば俺たち五人だけっていうのも久々だよな」四季は飾りつけの花を作る手を止めて話しだした。

「そこ! 手を止めないで。もうあんまり準備期間ないんだから」秋山さんは手を動かしながら四季に文句を言った。

「そーいえばそうだな。みんな文化祭の準備で一緒にいたから気が付かなかったわ」夏野は試作した焼きそばを頬張っていた。

「そうだよ! 俺みんなに話したいことがあったんだ」思い出したかのように四季は大声を出した。

「うるさいよ。どーせくだらないことでしょ? で、なに?」秋山さんは言い方がキツイなりにもちゃんと話を聞こうとしていて思わず笑ってしまう。

「星野が前に言ってたじゃんか、小学生のときに願いを叶えるとかなんだとか」

「ほれわなんなんわよ」

 たぶん夏野は「それがなんなんだよ」と言ったのだろう。いくらなんでも口に詰め込みすぎだ。

「このクラスにみんなが集まったのは俺が願ったせいなのかもしれない」

「どうしてそう思ったの?」

「こないだ家に帰る直前にポケットに家の鍵がないか探してたんだよ。そしたら前にもこんなことあったなーって考えてて、そういうのってすごい気持ち悪いだろ? それがなんだったのか一晩中考えててさ。そしたら思い出したんだ」

 そこまで言って四季はみんなの顔を見た。僕たちの反応を伺っているようだ。

「もったいぶらずに言いなさいよ」

「そのときはポケットに星の形の石を入れてて、大事な物なのかずっと握ってたんだよ。そしたらポケットにあった石が崩れてなくなったんだ」

「だーかーらー。なんでそれが四季が願ったことに繋がんのよ」

「またお前らと同じクラスになりたい。そう思ったあとに石が消えたからだよ」

 いつもだったら夏野が茶化すか、秋山さんが笑って一蹴していたに違いない。けれどそのときの四季は今まで見たことないほど真面目な顔をしていて、誰も冗談を言っているとは思わなかった。

「記憶を失った五人がまた同じクラスになるなんて、何か理由があると思うんだ。もし四季が言ったことが本当なら納得がいくような気がする」

「でも願いを叶えるなんてそんなこと現実にあると思うか?」

「私たちの記憶のことは? それこそ私たちの誰かが願ったからってことにならない?」

 嫌な空気が流れた。確かに僕たちの記憶がなくなったことは、五人が同じクラスになるより不可解で、それこそ誰かが願わなければ起こりえないことだ。それはすなわち四季以外の四人のうちの誰かがそうなるように願ったということでもあった。誰も何を言い出せないまま沈黙が続いた。

「たぶん俺かもな」

 夏野は俯きながら言った。

「星野に性癖をバラされたことが嫌になって俺が願ったのかもしれない」

 みんなが夏野を見る。

「なんだよ、そんなジロジロと見て。ジョーダンだよ、ジョーダン。俺は願った覚えもないし、みんも同じだろ? 仮に誰かが願ったとしても何か理由があったんだよ」

 夏野のおかげで場が一瞬にして和んだ。

「それにしても四季ってそんなこと考えてたんだね?」

「なんのことだよ」

「僕たちとまた同じクラスになりたいって願ったんでしょ?」

 人間は恥ずかしさの限界を迎えると叫んで走り出したくなるのだろう。四季はあっという間に姿が見えなくなった。

 一連の話に千冬は加わろうとはせず僕たちを眺めて満面の笑みを浮かべていた。

「どうしたのそんな顔して」千冬のあまりに幸せそうな顔に思わず口に出てしまった。

「女の子にその言葉はいかがなものかな」千冬は腕を組み僕の事を睨んだ。

 素直に「ゴメン」と言うとすぐに笑顔になった。

「なんかこーゆーのいいなあって」

「こーゆーのって?」

「文化祭の準備で夜遅くまで教室に残って、みんなでお喋りしてさ。なんか青春ってカンジ」

「一、二年のときにクラスの出し物はあんまり力入れてなかったから、なんとなく盛り上がりに欠けてたけど、やっぱりこういうのはクラス一丸で頑張ることに意味があるよな」

「夏野のクセになにいいこと言ってるの。私はあんまり行事には参加するタイプじゃなかったから、別に文化祭とかどうでもいいんだけど、ちーちゃんたちと何か一緒にするってすごく久しぶりな気がして楽しいよ」

 秋山さんのあまりに素直な発言に驚いてみんなで顔を見合わせてしまう。

「今ちーちゃんたちって言ったよな? それって俺たちも含まれてるってことだろ?」ここぞとばかりに夏野が秋山さんを茶化す。

「今の発言は撤回。夏野以外のみんなって意味ね」

 そんな秋山さんの言葉にめげずに茶化し続ける夏野。

 教室の扉が開き星野先生が入って来た。

「お前たち、やる気があるのは構わないが下校時刻はとっくに過ぎてるぞ」

 時計を見ると二十時を回っていた。みんな慌てて帰り支度をして足早に学校をあとにした。


 文化祭当日、開店早々にホットプレートが壊れた。不測の事態に備えてあった予備のホットプレートの電源も点かず、別の物を買いにいこうとしている最中に前田さんと安斉さんが教室へと入って来た。安斉さんは前に見た通りキッチリとしたスーツ姿だったけれど、隣にいる前田さんは濃いストライプの入ったダブルのスーツを着ていた。強面でガタイの良い前田さんがそんなものを着ていれば教室の中がざわつくのも無理はなかった。ここまで先生に止められなかったのが奇跡だと思うくらいだ。

 前田さんが事情を聞いてすぐにどこかに電話をかけた。すぐに電話が終わり「あと十五分で用意ができると思うんで」と前田さんは言った。その言葉どおり、明らかにガラの悪そうな男の人が両手に大きな紙袋を抱えて教室へと入って来た。

「もっとちゃんとした格好で来れなかったのか!」ドスの利いた大声で教室は静まりかえった。

「前田、それはないよ」四季の言葉に、みんなも心の中で頷いていたに違いない。

 協力してくれた前田さんには申し訳ないけれど、二人が教室にいるとお客さんが怖がって入ってくれないのは明白だった。現に何人かのお客さんは逃げるように教室をあとにしていた。このままではマズイと思い、僕と四季が二人を連れ出そうとしたとき、四季は焼きそばを二皿僕らに手渡した。

「せっかく協力してくれたのに何もしないのは良くないだろ?」

「でも他のお客さんが怖がって入ってくれなくなるし」

「あの二人は奥の席にやって、見えない様にしとけばしばらくは大丈夫だろ」

「見えない様にってどうすればいいんだよ」

 夏野は少し考えたあとに「あれだ! 保健室に布が垂れ下がった仕切りみたいなのがあったろ。それで席を隠したらいいんじゃないか?」

 突然の思いつきにしてはいい案だ。協力してくれたのに無下に追い出すことに引け目を感じていたので、すぐに夏野の案を実行することにした。仕切り一枚で隠そうにもうまくいかず、結局もう一枚使ってどうにか隠すことはできたけれど、不格好な半個室ができあがった。これにはさすがの前田さんも怪しんだ。

「坊ちゃん、なんで私らがこんな人様から隠れるようなことをしないといけないんで?」疑いと若干の怒りを含んだ声に足がすくんだ。

「こんな大勢の高校生に囲まれたらせっかく料理も落ち着いて食えないだろ? 気を使ったつもりだったんだけど迷惑だったか?」

 苦しい言い訳だ。みるみる前田さんの顔が歪んでいった。

「坊ちゃん! そんなに私のことを気遣ってくれるなんて」そう言って前田さんは泣き出した。

「いつも世話になってるからな。いいってことよ」四季は前田さんをなだめながら僕に向けて親指を立てた。

 教室の入り口の方から女子の悲鳴が聞こえた。悲鳴といっても死体を発見したような事件性があるものではなく、好きなアイドルに向けて発せられる声援に近いものだった。何事かと思い僕らが確認しに行くと、秋山さんのお父さんとホストのような恰好をした彫の深い端正な顔立ちの男性がいた。

「パパ、来るなら来るって事前に言ってもらわないと」そう文句を言いながらも秋山さんはすごく嬉しそうだった。

「直前まで行くかどうか迷っていたんだけど、紗江子の学校行事に参加したことがなかっただろう?いい機会だと思ったんだ。迷惑なら帰ろうか?」申し訳なさそうに言った。

「そんなことない、来てくれて嬉しい。それで――隣にいる人は誰?」

 みんなで男性を見つめる。黒のスーツに黒いシャツ、首元を大きく開けてサングラスをかけていた。金髪で坊主に近い短髪。高身長でスタイルが良く、芸能人と言われれば納得できるほど格好良かった。

「私よ。なんで気が付かないの」

 見たことはあるし、聞いたことのある声をしていた。けれどどうしても僕の記憶に紐づくことはなかった。みんなも僕と同じような反応だった。

「カズミよ、カズミ。他の子はともかくサエちゃんが気付かないなんで傷つくわ」

 僕たちが前に会ったときには濃い化粧をしていたので気が付かなかったけれど、化粧のないカズミさんは本当に芸能人と言われてもおかしくないほど格好良かった。どことなく秋山さんのお父さんとも似ている。改めて二人は兄弟なんだと思った。

「このあいだみたいに化粧してないんですね」

「ティーピーオーがわからないほど世間知らずじゃないわよ。あんな恰好で来たら学校に入れないじゃない」

 いつもしている恰好が普通でないことは理解しているようだ。

「とりあえずさ、場所を変えないかな?」

 周りには女子が群がっていて、とてもじゃないけれどまともにお店をできるような状況ではなかった。案内できる場所といえば一つしかない。

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