第86話 罠

「ふうっ……丁度良かった、身体は温まったな」

「クゥ〜ンッ……」



ファングの返り血を拭いながらもナイは赤毛熊との戦闘が始まる前に身体を解す事が出来たと判断し、ここで彼は自分の掌を覗き込む。赤毛熊との戦闘の前に余計な体力の消費は避けるべきだが、この時点でレベルを上げて置く事は悪くはない。


レベルが上がれば身体能力が上昇し、その分にナイも優位に立てる。そういう意味では今回の戦闘は赤毛熊と戦う前にナイ自身も強くなれたので悪くはないが、だからといって楽観視できない。これ以上に余計な戦闘を挟めば体力を無駄に使ってしまう。



(あいつと戦う前にこれ以上無駄に体力は消費出来ないな……)



赤毛熊と戦う時は万全の体調を整えておきたいナイはこれ以上の戦闘を避けるため、ここで薬草の粉末を取り出す。薬草の粉末を身体に振りかければある程度の臭い消しの効果があり、これで臭いで気づかれる可能性は低い。



「よし、先を急ごう」

「ウォンッ」



ビャクにナイは指示を出すと、彼と共に更に森の奥へと進む。この時にナイは倒したファングの死骸は放置した理由、それは今回の目的は狩猟ではなく、赤毛熊の討伐だからである。


倒した魔物の素材を回収するなど余計な行為でしかなく、一刻も早く養父の仇を討つため、ナイは森の奥へと進んでいくとここで以前に赤毛熊と遭遇した川原へと辿り着く。



「ここか……この上流の方に滝があるんだよな」

「クゥ〜ンッ……」



川の上流には滝が存在し、その裏側にはミスリル鉱石が採れる鉱洞が存在した。元々はビャクが住処に利用していたが、赤毛熊が森に住み着くようになってからは利用していない。


現在はナイも鉱洞がどうなっているのか知らず、そもそも今回の目的は鉱洞ではなく、赤毛熊の捜索である。鉱洞に向かう予定はないのでナイは探索を再開しようとした時、ここでビャクが何かを発見したのか鳴き声を上げた。



「ウォンッ!!ウォンッ!!」

「どうした、ビャク!?」

「クゥンッ……」



遂に赤毛熊を発見したのかと期待したナイだったが、ビャクは足元の地面を示す。その行為にナイは不思議に思って覗き込むと、そこには熊のような足跡が存在した。


足跡の大きさから考えても普通の熊よりもかなり大きく、もしかしたら赤毛熊の可能性もあった。ナイはビャクが足跡を発見した事を褒め、早速足跡を追う。



「ビャク、よく見つけたな。偉いぞ……この足跡を辿ろう」

「ウォンッ!!」



足跡を頼りにナイとビャクは捜索を再開し、赤毛熊の姿を探す。足跡を辿れば赤毛熊に巡り合えると思ったナイは急ぎ足になり、気持ちが落ち着かない。



(爺ちゃん、もうすぐ仇が討てるよ……)



赤毛熊に殺されたアルの事を思い出したナイは表情を険しくさせ、その様子に気付いたビャクは心配そうに顔を向ける。だが、ナイは足跡を追うのに夢中で気づかなかった。



(何処だ、何処に隠れている……絶対に見つけ出してやる!!)



足跡を辿りながらナイは気配感知の技能を発動させ、周囲への警戒も怠らない。やがて足跡は森の中に存在する渓谷に続いている事が発覚し、どうやら赤毛熊は渓谷の向かい側に移動したらしい。



「向かい側に移動したのか……流石にこの距離は飛び越えられないか」

「ウォンッ……」



渓谷を覗き込んだナイはとてもではないが「跳躍」の技能を発動させても飛び越えられない距離だと判断し、流石の白狼種のビャクも無理なのか首を振る。赤毛熊を追うには自分達も渓谷の下まで降りて向かい側まで移動するしかない。


もたもたしていると赤毛熊に逃げられる可能性が存在し、仕方なく危険を承知でナイとビャクは渓谷を降りていく。渓谷の下には川が流れており、川の深さを確認したナイはビャクに気を付ける様に注意する。



「結構深いぞ……足元に気を付けるんだぞ」

「クゥ〜ンッ……」



ビャクは川に踏み入れるのに躊躇するが、ナイだけを先に行かせるわけにはいかないため、恐る恐る川の中に入り込む。ナイはビャクと離れない様にしっかりと彼の身体に捕まりながら川の中を進む。



(しまった……服を水で濡らすと動きにくくなる。服を脱いでから渡ればよかった)



ナイは腰元まで水に浸かった時点で服を脱がずに川の中に入り込んだ事を後悔する。それでも先へ進む事は諦めず、川の向かい側まで移動しようとした時、不意にナイは嫌な予感がした。



(何だ……何か、忘れている気がする)



川を渡り切る寸前、ナイは自分達が大きな失敗したように感じられ、咄嗟に顔を見上げる。すると、そこにはナイ達を見下ろす生物が存在し、それは全身が赤毛に覆われた大型の熊が立っていた。


ここでナイは自分達が罠に嵌められたと知り、赤毛熊は渓谷の向かい側で待ち構え、まんまと足跡を辿って追ってきたナイ達を待ち構えていたのだ。赤毛熊は川の中に沈んだナイとビャクに視線を向け、咆哮を放つ。

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