第11話 変化

 俺を乗せたベッドはゆっくりと穴へと入っていった。ハッチが閉じられ、真っ暗な中へ入るとオレンジ色のランプが点灯して、空間はオレンジ一色に染められた。微かに機械の唸るような音が聞こえ、多分今電磁波を浴びせているのだな、と俺は一人納得する。三十分もそうしていただろうか? プシュッと入り口のハッチが開く音がして、俺はベッドごと元居た部屋へと押し出された。


「お疲れ様。終わったよ」

富永がそう言ってベルトを外す。もう終わりか? 随分とあっけないものだな、と俺はいささか拍子抜けだった。服を着た俺は富永に礼を言って、鞄から現金を取り出して渡した。

「お約束の金です」

「ああ、どうも」

富永は丁寧に札を数えると、ニンマリ笑って、

「これからの貴方の人生は、きっと素晴らしいものになりますよ」

と俺の背中を軽く叩いた。


 俺と美樹は再び車でマンションへと戻った。その日の夜、美樹はいつになく俺を求めた。余りの貪欲さに、俺が思わず

「なあ……どうかしたのか?」

と訊くと、

「うん……何か今日は凄いわ……やっぱり貴方、治療を受けて正解よ」

と喘ぎながら言う。

「なあ、やっぱり俺以外の男と寝るのは止めてくれないか?」

「そうね……考えても良いわ」

俺は心の底から富永に感謝した。明らかに治療の効果だ。そうに違いない。

「金の事なら心配するなよ。一緒に暮らそう。そうすれば他の男に体を売らなくても暮らしていけるだろ?」

「分かったわ」


 それから俺は自分のアパートを引き払って、美樹のマンションで一緒に暮らす事になった。二人で家賃を払えばやっていける。美樹はとうとう他の男と手を切り、晴れて俺達は真の意味で恋人同士になったのだ。俺はまるで夢に描いたような甘い時をしばらく過ごした。それは至福の時間だった。夢なら覚めないでくれ――俺は毎日眠る前にそう唱え続けるのだった。


「山下さん」

ある日の夕方の事である。職場の事務員の女の子が、俺に声をかけてきた。その子は二十歳位の若い女性で、髪をお団子にした、中々可愛らしい顔立ちの娘だった。三橋加奈子という名前だ。

「何です?」

俺がパワースーツ越しに答えると彼女は

「ちょっとお話があるんです。こちらへいらして下さい」

そう言って、俺に付いてくるように促した。俺はパワースーツを脱ぐと彼女に付いていった。給湯室に入ると、加奈子はモジモジしはじめた。赤らんだ頬が可憐だ。

「話っていうのは?」

「はい……あの……好きです。私と付き合ってもらえませんか?」

「えっ?」

俺は正直驚くと共に、少々戸惑った。嬉しい申し出だが俺には美樹がいる……。

「あの、いや、実は俺には彼女がいるんだ。悪いけど」

俺は気の毒そうな目で加奈子を見つめた。

「良いんです」

「は?」

「私は本当に山下さんの事好きですから。だから、貴方に他の女がいたって構わないんです」

「……」

俺はしばらく絶句した。加奈子は思い詰めた表情で、

「私、山下さんと付き合えなかったら死んじゃいます!」

と俺に抱きついた。俺は激しく動揺した。まさかこんな展開になるとは。ここでイエスと言えば、美樹を裏切ることになる。だがこの時、俺の心に魔が差した。以前は美樹だって他に男が居たのだ。ここで加奈子の思いに答えたところで、お相子ではないか?

「……分かったよ。でも、俺に他に女が居るっていう事は理解しておいてくれ」

「はい……嬉しい! 今日この後一緒に食事に行きませんか?」

「う、うん」


 仕事が終わった後、俺達はイタリアンレストランで食事をし、ラブホテルへ直行した。初々しい加奈子の体を堪能した俺は、富永の言葉を思い出していた。


――貴方の人生は素晴らしいものになりますよ


全くその通りだ。やはりこれは治療の効果に違いない。美樹に悪いと思わないわけではなかったが、せっかく降ってわいた幸運を、俺は無駄にする気はなかった。


 それからの俺は、美樹と加奈子の間を行ったり来たりした。ある夜の事だ。加奈子と逢瀬を楽しんだ後帰宅した俺に、美樹が詰め寄った。

「ねえ、前から言おうと思っていたんだけど、貴方他に女が居るんじゃない?」

美樹は疑いの眼差しで俺を見据える。

「何言ってるんだ」

「女の勘よ。それに……」

そう言いながら美樹は俺のシャツの匂いを嗅ぐ。

「やはり、女ね。私のじゃない香水の匂いがするわ」

そう言われて俺はなすすべもなく廊下に立ち尽くした。こんな時どうすれば良いのか、俺の辞書にはない。取り敢えずその場を取り繕おうと、嘘を付いた。

「これか? 今日職場の女の子が急に具合が悪くなって倒れてね。一番近くに居たのが俺だったんで、抱き抱えて応接室のソファーに寝かせたんだよ。その時移ったんだろ」

我ながらスラスラと口を付いて出る言葉に、俺は驚いていた。


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