23.影使い

 沸々と湧き上がる怒りが全身を駆け巡る。

 いや、これを怒りと称するにはいささかいき過ぎている。

 だって僕は、今すぐあいつを殺したいとさえ思っているのだから。


「良い目ですね。私が憎いですか?」

「……そう見えるか?」

「ええ。ですが安心してください。その感情こそが新たなる神に必要なものだ。やはり貴方こそ我々と歩むに相応しい」

「はぁ……もういい」


 腹が立つ。

 それと同じくらい呆れる。

 

「僕の母さんを、神を侮辱し……大切な友人まで傷つけた。その時点でもう――貴方は僕の敵になったんですよ」


 思考の余地はない。

 いくら勧誘されようと、言葉を並べられても変わらない。

 僕は絶対に、そちら側に立つことはないのだから。


「……そうですか。未だに理解して頂けないとは悲しい限りです。ならば仕方ありませんね」


 彼は目を細める。

 睨むではなく、僕を見据える。


「力づくで黙らせて、連れて帰りましょう」

「やれるものなら」


 僕も再び臨戦態勢をとる。

 魔力を高速で循環させ、起源に刻まれた術式に流し込む。


「そう身構えなくても良いですよ。今日は天気が良いので、影が濃く広く覆っている……地の利は私にあるのですから」


 瞬間、僕を中心にした四方の影がざわつき出す。

 母さんを攻撃しようとした時と同じ。

 影が濃くなり盛り上がり、無数の刃となって僕を襲う。


「手荒いですが死にはしません。串刺しにして――」

「この程度で」


 迫る刃は砕け散る。

 僕の周りに纏う水が、盾となって影の刃を防いだ。


「串刺しには出来ないよ」

「それは……」

「水霊濡法、留衣りゅうい。僕への攻撃を、自動反射で防御する水の盾だ。僕に不意打ちは通じない。それに――」


 僕は右手を握り、甲を彼が立っている湖にかざす。


 水霊濡法――


「地の利があるのは僕も同じだよ」

「これは!」


 彼の足元、湖の水がざわつき出す。

 波紋が大きくなって揺れ始め、水しぶきが舞う。


牙顎水龍ががくすいりゅう!」


 巨大な水の龍が顎を開きシャドウを呑み込む。

 そのまま水の龍は空高くまで登り、とぐろを巻いて固まった。


「黒影操術――縄運び」

 

 影の鞭が水の龍の中でしなり蠢く。

 瞬く間に龍は切り裂かれ、爆発のように水しぶきが四方に飛び散る。

 中からは無傷のシャドウが現れ、ニヤリと笑みを浮かべた。


「素晴らしい……素晴らしい素晴らしい! これこそ新たなる神の力、真なる強さ。さぁ始めましょう、後世に語られる一頁を! 神話の戦いを!」

「……まったく、よく一人で盛り上がる」


 一人は寂しいと知った僕には、彼の喜びは全く理解できない。

 神の代行者だとか、新たなる神だとか、それも全て戯言。

 しかし、完全に否定できない自分もいる。

 戦いが始まり徐々に冷静さを取り戻しながら、彼の中にどす黒い異質な力を感じ取れる。

 性質は全く違うが、あれは神力だ。

 人間である彼は、内に神の力を宿している。

 故に油断はできない。

 

「最初から加減はできないな」


 僕は両手を合わせて術式を発動させる。

 空を水の幕が覆い隠す。


「水の幕で空を覆う。試験で見せていた技ですね」

「そうだよ」


 彼は試験での僕の戦いを見ている。

 あの時に使った技はすでに知っていて、この水天もその一つだ。

 だけど水天はあくまでも広域攻撃のための準備。

 見られていたとして関係ない。


 僕は右手を空にかざす。


「水霊濡法水天――天気雨てんきあめ!」


 水の槍が無数に降り注ぐ。

 水天で効果範囲を広げ、降槍を無数に生成して放つ技。

 一本一本が岩をも砕く貫通力を持つ。

 魔力の弱い者なら防御は不可能な威力だ。


「黒影操術、影縫い」


 シャドウは自身の足元の影を操り、鞭のようにしなる刃を無数に生成した。

 影の刃が水の槍を次々に弾いていく。


「雨にしては随分と攻撃的ですね~」


 シャドウは意に返していない。

 無論、これで倒せるとは思っていないし、様子見のつもりだった。

 

 今のでハッキリした。

 術式を展開せずに効果を発動し、立て続けに僕の攻撃を防いでいる。

 彼は僕と同じように、起源に術式を刻んでいるんだ。

 しかも【黒影操術】という術式は、僕の【水霊濡法】に酷使している。

 影を生み出し、自在に操る術式だ。


 最初からわかっていたとは言え……


「一筋縄じゃいかないか」

「もちろん。ではそろそろ私から行きますよ。黒影操術影縫い」


 天気雨を防いだ影縫いを、今度は攻撃に使用してくる。

 彼を中心に生成された影の刃が渦を巻き、僕へ目掛けて迫る。

 留衣は常に発動中。

 不意打ちを含め、ほとんどの攻撃を自動防御する。

 

 直感。


 僕は咄嗟に水を操り防御を固めた。

 水の盾が影縫いを防ぐ。

 もしも防御を強化していなければ、今の攻撃は僕の腹を貫いていただろう。


 そして遅れ気付く。


「――いない」


 彼の姿がどこにもない。

 戦っていた眼前から忽然と姿を消している。

 

 逃げた?

 いや違う。

 彼の目的は僕を連れていくこと。

 そのために狙うのは――


「母さん! ミラ!」

「残念」


 振り返る僕の足元から声が聞こえる。

 視線を下に下げると、影の中からシャドウが顔を出す。

 右手には黒い刀身の剣が握られていた。


「くっ」

「無駄ですよ」


 後退しようとしたが動かない。

 両脚が地面にくっついたかのように。

 その直後、彼の剣が僕を襲う。

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