第3話⁂偽装家族?⁂
実はこの家庭は普通の家庭ではないのです。
妻の詩織、娘のすみれ、百合の3人は親子なのですが、夫の雄介とは夫婦関係ではないのです。
又隼人も全くの赤の他人なのです。
これからこの家族の闇の部分が徐々に頭を出してくるのです。
2000年11月肌寒い残虐な事件が起きる朝の事です。
「会社の売上の一部から北朝鮮に送金しなくては税金対策の為もあるが人質状態の妹や弟が北に残っているから!だから朝鮮総連に顔出してくるから」
万景峰号(マンギョンボンごう、まんけいほうごう、ばんけいほうごう)は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の資金で建造された。北朝鮮と日本を往来し、北朝鮮への送金や工作活動に活用されていた工作船です。
「私は今日あの男とかたをつけて来ないと大変な事になるから、ちょっと遅くなるから!」
夫?の雄介と妻?の詩織はこの会話を最後に永遠の別れとなったのです。
この残虐な事件の裏には一体何があるのでしょうか?
1910年には日本が朝鮮を併合し、植民地化した。
日本ではこの時期を日本統治時代と呼んでいる。一方、【大韓民国】においては、日帝時代、日帝統治時代、日本統治時代、日政時代など様々な呼称があった。
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1950年から朝鮮戦争勃発。
南北分断状態のまま休戦協定が結ばれ、現在に至る。
大韓民国(韓国)
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
2つに分断したのです。
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1930年代後半には、日本は朝鮮人(南北)動員を開始。工場や炭鉱で強制労働させたり、日本軍兵士として徴兵したりしたのです。
丁度その頃、北朝鮮から強制連行されて来た岸田太郎(リ・ジフン)20歳は炭鉱で強制労働をさせられる事になったのです。
この岸田太郎(リ・ジフン)が、貧乏のどん底からパチンコチェ—ン『キシマル』を
一代で起業した男なのです。
最初は露店商から始めて今や日本一のパチンコチェ—ン店にまで上り詰めたのです。
【在日同胞(韓国人・北朝鮮人)の経営するパチンコ会社に従事するケースが多い理由の一つには、彼らに対する就職差別という社会的背景がありました。最近は改善もされているようですが、少なくとも1970年代くらいまでは、在日の人たちはなかなか良い会社に就職できなかったので、生活の基盤としてそのような方向に発展せざるを得なかったのです。
戦後、日本が徐々に復興していく過程で、パチンコが復活しブームとなりましたが、昭和30年(1955年)に、それまで大人気を博していた「連発式」が禁止され、更に人気の高かった「オール20」と呼ばれる機種も禁止されたことによりパチンコ人気が急落するという、業界にとって大きな事件と言っても良い出来事がありました。当時、パチンコ業界に従事していた日本人は、それでも別の業種に転職・転業することが比較的容易でしたが、在日の人たちは先述の事情のため、他の仕事に就くことが困難で、かと言って他にできることも無く、やむなくパチンコ業を続けざるを得ませんでした。その結果、ピーク時には4万5千軒以上あったパチンコ店は、一気に1万軒以下にまで激減して、結果的にパチンコ店の経営者に占める在日の人の比率が著しく高まりました。
その後、パチンコ人気も一定規模まで回復しますが、つい最近までパチンコ業界は堅気の人が働く場ではないと一般からは見なされており、実際、景品買いの利権を巡る暴力団の要求に応じなかった店が荒っぽい営業妨害をされたり、また、1990年代くらいまでのパチンコ店は、流れ者や刑務所から出てきたばかりの人など、まともな就職が難しい人の受け皿としての機能が期待されるような業界だったこともあって、敢えて新たに参入しようとする日本人はあまりいませんでした。】
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