第135話 神の庭
ふと気づいた時には、温かな場所にいた。
お約束のアレである。
(ん? でもいつもと違う感じ……)
甘く優しい香りがする。それからそっと頬を撫でるそよ風が吹いている。
遠くに聞こえる小鳥の囀りや、小川のせせらぎに誘われるように目を開けると、そこには不思議な空が広がっていた。
太陽が、ない。
代わりに淡く七色に変化する雲が、綿毛のようにふわふわと浮かんでいる。
横を見れば一面の花畑。私はどうやら花畑の中で横になっていたらしい。
身を起こすと、色鮮やかな花畑は遥か遠くまで続いているようだった。
「何ここ、天国……?」
「似たようなものかな」
ひとりごとのつもりが、背後から返事があって驚いた。
振り返ると、小さな丸いテーブルに着き、優雅にお茶を飲む創造神デミウルがそこにいた。
「デミウル!」
「やあ、オリヴィア。僕の庭にようこそ」
そう言って笑ったデミウルの後ろには、幻想的な極彩色庭園があった。
様々な花のグラデーションで出来たアーチ、幹から枝葉まで真っ白な不思議な木、小さな滝の下の池には、孔雀のような形の花が浮いている。
色で溢れ過ぎた景色に、一瞬目が眩みそうになった。
よく見れば、デミウルの傍らには神獣シロが寝転んでいる。
いくら呼びかけても姿を見せないと思ったら、こんな所で昼寝をしていたのか。
「ここ、あんたの庭なの? どうしていつもの場所じゃないの?」
辺りを見回しながら近寄ると、デミウルは何もない場所から指先ひとつ動かすだけでカップを生み出した。
「まあまあ。せっかく来たんだから座って。お茶でもどうぞ」
まったく、と私はため息をついた。
本当にどんな時でもマイペースショタ神だ。
抵抗しても仕方ないので、仕方なくデミウルの向かいの席に着く。
「いつものあの場所は、火竜のいる地底湖の祭壇だったのね?」
デミウルは私に紅茶を淹れると「その通りだよ」と満足そうに笑って言った。
実際の場所ではなく、あの地底湖を模してデミウルが造り出した空間だったらしい。
「ありがとう、オリヴィア」
「何よ、いきなり……」
突然の感謝の言葉に、ついつい警戒してしまう。
けれどデミウルは茶化す様子もなく、胸に手を当て目を伏せ微笑んだ。
「竜は僕にとって息子であり、古い友人のような存在なんだ。彼を救ってくれたことに、深く感謝しよう」
いつもの軽い調子じゃなく、落ち着いた語り口のショタ神は……正直気味が悪い。
私はデミウルの態度にも、感謝されることにも、微妙な気持ちになりながら「やめてよね」と目の前の神を睨んだ。
「あんたにお礼を言われても、マ・ジ・で・嬉しくないのよ」
「わあ。前世の口調で神をディスると、悪役令嬢っぽいねぇ?」
「ほら。そういうとこよ、このショタ神」
私が嫌悪感露わに指を突き付けると、デミウルはケラケラと笑った。
妙に嬉しそうで、それもまた気味が悪い。
でも私が嫌がれば嫌がるほどデミウルが喜ぶので、もう一度深くため息をつくことで我慢する。
「ほーんと、相変わらずオリヴィアは手厳しいなぁ」
「あんたが緩いのよ。……ねぇ。真面目に答えてほしいんだけど、デミウルは私に火竜を助けさせる為に、二度目の人生を与えたの?」
別にそのことについて、利用されたと怒っているわけじゃない。ただの確認だ。
私だけが世の不条理を嘆いたり、神を恨んでいたということはないはず。きっと他にもたくさんの人々が、私と同じように世界や神を呪いながら亡くなっていっただろう。
それなのに、なぜ私だったのか。
私が二度目の人生や、前世の記憶や、毒スキルを与えられたのはなぜなのか。
ずっと不思議で、疑問だったのだ。神の気まぐれと言われるよりも、神の目的の為に選ばれたと言われたほうがずっとすっきりする。
「君を憐れに思ったのは本当。でも、君が火竜の為に、世界の為に選ばれていたのも本当」
「世界の為に……?」
「オリヴィア。選ばれし神子よ。君の前世の記憶にあるゲームの世界の本当のラストを教えてあげよう」
そう言ってデミウルが手をかざすと、突然光を帯びて宙に現れたのは、見覚えのある四角い板。
透明の板は今世では見たことがないけれど、前世では見慣れたプラスチックケース。
ケースを飾る、美しい少女や少年たちの描かれたイラストは間違いなく――。
「救国の聖女!」
「の、ファンディスク~」
まるで青いネコ型ロボットみたいな口調のデミウルに、私は衝撃を受ける。
「えっ⁉ それって、私がまだプレイしてないやつ……!」
私は未プレイだったけど、本編よりかなり壮大なストーリーで裏設定てんこ盛りだと話題になったあの!
デミウルは手のひらでディスクケースをくるくると回転させながら頷いた。
「その通り。このファンディスクで、聖女たちは王妃を倒し、火竜を救うことで、真のエンディングを迎えるんだ」
「王妃を倒す……セレナが?」
王妃の手先に連れ去られてしまい、行方不明なのにそんなことが出来るのか。
しかも私が最後に見たセレナは、まだまだ大神官にも及ばない神力レベルだったはず。
「いまの聖女じゃ無理だから、君がいるんだよ。ゲームと似た世界とは言ってもまったく同じにはならない。ゲームよりも魔族の毒はもっと強力だし、火竜のダメージは大きかった。人の心の闇もまた、何倍も深かったね」
デミウルの他人事のような言い様に、ついムッとして言い返してしまう。
「当たり前でしょ。ゲームじゃないんだから。皆生きていて、必死で、喜びも悲しみもすべて本物なのよ」
はじめの頃は、自分以外の世界や人すべてを、ゲームの中のものとして考えていた。
でも、違った。皆それぞれ生きていて、私と同じひとりの人だった。命はひとつで、夢や希望や、大切なものを持つ人だった。
私はゲームの中のノアを、父を、友人たちを愛したわけじゃない。
私は私の生きる世界と、人々を愛している。
デミウルは「まったくその通りだね」と、芝居がかったように大きく頷いた。
「安心したかい? これで君の《乙女ゲームの悪役令嬢》という柵を終わるだろう。ここから先は何も決まっていない、正真正銘君だけの物語だ」
お疲れ様、と手を差し出され、私はやはり微妙な気持ちになりながらその手を握り返す。
初めて触れるデミウルの手は温かみがなく、存在をまるで感じない。
まるで雲をつかんでいるかのような、不思議な心地だった。
「じゃあ、あんたとはこれでお別れってことね?」
つまり、もう私は毒で危険な目に遭うことはないということか。
という確認の為に聞けば、なぜかそっと目をそらされた。おい、コラこっち見なさい。
「ちょっと……。何で目をそらすのよ」
「いやあ、だって、ねぇ? それはどうかな~って」
可愛い子ぶって小首をかしげるデミウルの手を、全力で握り締める。
「いったたたたたた!」
「それはどうかなって、どういう意味よ」
「だ、だって! オリヴィアって、自ら危険に飛びこんでいくタイプだし!」
それは父やノアに散々言われてきたことだったので、咄嗟に言い返せない。
デミウルは私の手を振り払うと、涙目で唇を尖らせた。
「だから、これからも会える予感がするんだよねぇ」
「やめてよ! それって神の預言みたいじゃない!」
「みたいっていうか、僕神だし」
「撤回して! もう神子とかいう称号もいらないから! 返上するから!」
むしろ返上させてほしい。ただの侯爵令嬢として今度こそ平穏に生きたい。
「ひどいな~。神子なんてレアな称号、後にも先にも君だけだよ? ものすご~くありがたいことなんだよ?」
「全っ然ありがたくないから! 私は平穏に慎ましく暮らしたかっただけなのに!」
私の叫びにデミウルは「今更だよねぇ?」と傍らのシロに同意を求めた。
目を瞑っていたシロだけどしっかり起きていたらしく、耳をぴくぴくさせて顔を上げた。
「どうでもいいけど、僕お腹すいたよぅ」
平常運転の食いしん坊神獣に、がくりと力が抜ける
「何言ってるのよ。私が呼んでも来ないで、こんな所でサボってたくせに」
「サボってたわけじゃないもん。デミウル様に止められてただけだもん」
何と、いくら呼んでも来ないと思ったら、デミウルがシロを引き留めていたらしい。
何してくれとんじゃわれぇ、という思いでデミウルを睨みつけると、ショタ神は引きつった顔でわざとらしく手を叩いた。
「さあ! シロもこう言ってるし、そろそろご飯の時間にしてあげないとね!」
「それで誤魔化せると思ってるの?」
「ああ、ほらほら! オリヴィアも起きる時間だよ! 皆君を待ってるよ! タイヘンダー!」
棒読みで立ち上がるデミウルにあきれた時、懐かしい音が遠くから響き始めた。
太陽のない空を見上げれば、朝を告げるような柔らかな音色の合間に、私を呼ぶ声も聞こえてくる。
本当だ。もう起きなくちゃ。
「デミウル」
「は、はい」
私が立ち上がり振り返ると、デミウルは固い顔で返事をする。
「次会った時は、三発くらい殴らせなさいよね」
「は、はいぃ……」
がくりと項垂れるデミウルの肩を、シロが前足で器用に叩く。
その姿に笑いながら、私は愛する音たちに耳を澄ませた。
「それから……デトックスお菓子を持ってくるから、またお茶でもしましょ」
私の言葉に、デミウルは目を見張り、それは嬉しそうに笑った。
デミウルが生き返らせてくれたから、今の私の幸せがある。
利用されていたんだとしても、お菓子のお礼くらいはしておいてもいいだろう。
(出来ればしばらく会いたくないけどね)
そう思いながら目を閉じた時、空気の読めないショタ神が弾んだ声でこう告げた。
「ちなみにオリヴィア。竜の目覚めの歌は、【救国の聖女】のファンディスクのOP曲だよ!」
「その情報、心の底から聞きたくなかった!!」
薄れゆく意識の中、デミウルのケラケラ笑う声が響いていた。
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