第112話 火急の報せ


 その日の夜、私は自室で母の肖像画を眺めていた。

 父が帰ってきたら、母のことを聞いてみよう。これまで何となく母のことを聞けずにいたが、父は答えてくれるだろうか。

 答えてくれたとしても、父は母のすべてを知っているのだろうか。


 私が物思いにふけっていると、馬のいななきが聞こえてきた。

 父が帰ってきた。急いで出迎えに向かうと、険しい表情の父が屋敷に入ってきたところで、その後ろには見知った顔が続いていた。



「オリヴィア。急いで王都を出る準備をしなさい」


「お父様! それにシリル様、トリスタン様まで……え」



 父、シリル、トリスタン、そして最後に現れた人物に私は仰天した。



「セレナ様⁉」



 そこには沈んだ顔のセレナがいた。

 先日王の寝所で見かけたときより、更に顔色が悪い。



「お会いしたかったです、セレナ様。ご無事でよかった」


 セレナに駆け寄ると、彼女は私を見て大きな瞳をうるませた。


「オリヴィア様……」


「ああ、泣かないでセレナ様」


「私、私……っ」



 震えながら泣き始めるセレナをなだめながら、私は父たちを振り返る。

 父だけでなく、シリルたちも深刻な顔をしていた。

 私はまだ護衛で家にいたヴィンセントと目を合わせる。ヴィンセントもこの状況が理解できないようで軽く首を振った。



「それで……一体何があったのですか?」



 私たちは応接室に場所を移した。

 父が何やらフレッドやアンたちに荷造りをするよう指示を出していたけれど、私には何が起きたのか見当もつかない。


 セレナを抱きしめながら父を見つめる。不安が顔に出ていたのか、父は優しく私の頭を撫でてくれた。

 そしてすぐに表情を引き締め、語り始める。



「王の象徴が奪われた」


「王の象徴って……」



 イグバーン王家には、代々伝わる三つのレガリアが存在する。

 王冠、王笏、そして宝珠。この三つは戴冠の儀で使用される国宝で、国教の大神官がそれらを新しい王に授けるのが習わしだ。

 王の象徴が三つが揃うことで王位を継ぐことが出来る。逆を言えば、三つ揃わなければ王位を継ぐことは出来ないとされていた。



「盗賊が王宮に押し入ったのですか?」


「そうではない。国王陛下が再び昏睡状態に陥った」



 セレナが私のドレスをギュウッと握り締める。

 細いその手を包むように、私は手を重ねた。



「国王陛下が? でも、陛下は快復に向かわれていると……」


「容体が急変したのだ。陛下の意識がなくなるのを見計らったかのように、王妃が動いた」


「王妃が……まさか」



 父は眉を寄せながら「そうだ」とうなずく。



「王冠と王笏を、王妃が手に入れてしまったのだ」


「なぜそんな! 陛下はご存命なのですよね?」


「当然だ。だが、まるで陛下は助からないと確信していたかのような動きだった。水面下で準備されていたようで、私も総団長も、宰相も向こうの動きに気づくことが出来なかった」



 口惜しげな父の言葉に、私は動揺しながらも確認しなければならないことを聞く。



「そんな……。では、ノア様は? ご無事なのですか?」


「王太子殿下はご無事だ。残った王の象徴、宝珠を探しておられる。どうやら宝珠の保管場所は国王陛下だけがご存じらしく、王妃も突き止められていないようだ」


「宝珠……」


「王妃の手に渡ってしまう前に、なんとしても宝珠を見つけなければならない。



 父の切羽詰まった声を聞きながら、私は自分の中の違和感に集中していた。

 王の象徴の強奪。宝珠の隠し場所。このキーワードが引っかかり、気になって仕方ない。

 頭の中が霞みがかったようになるこの現象。これは前世でプレイした【救国の聖女】に関する記憶が浮かび上がり始めている証拠だ。


 王の象徴、宝珠、王の象徴、宝珠――。

 頭の中で繰り返しながら顔を上げる。その時、父の後ろに立つシリルと、トリスタンの姿が映った。



(そう……そうだ! これは大神官シリルと、神殿騎士兼神学教師トリスタンルートで起こるイベント!)



 確かシリルルートでは宝珠の行方の謎解きがメインで、回復や解呪が必要なシーンが度々あり、ふたりで協力し犯人を追っていくような話だったはず。

 トリスタンルートでは強奪に魔族が関わっていて、戦闘を繰り返しシナリオが進行していく。戦うトリスタンを聖女が補助し、絆を深めていくのだ。

 現在ここに、主人公であるヒロイン聖女と、ヒーローの大神官と神殿騎士が揃っている。

 どちらかのルートを進むのか。だがセレナはギルバートルートがほぼ確定していたはずなのに――。



「すでに王宮では騎士団同士の衝突が起きている。王妃派、王太子派双方が正統性を主張し混乱状態だ」


「そんな……それではノア様が危険ではありませんか!」


「ああ。だから私もすぐに王宮に戻らなければならない。だがその前に……」



 父がシリルに視線を向ける。

 シリルはうなずく、笑顔を浮かべながら一歩前に出た。



「王太子と第二王子両名から、神子と聖女の保護を頼まれたんだ」


「ノア様と、ギルバート殿下が……?」


「教団と王家は不仲だからね~。中央政権との関係も希薄だ。私と共に古都に身を移した方が安全だと、王子たちは判断したんだろうねぇ」



 こんな時でもシリルはマイペースに語る。

 笑顔も平常時と変わらないもので、逆に違和感がある。



「何とな~く嫌な予感はしていたんだ。だから王都に長居するつもりはなかったんだけどねぇ。まあ、神子に聖女にも会えたから、目的は達成できたし、私たちは今すぐにでも引き上げるよ。巡礼も途中だけど、今は古都にいたほうが良さそうだ」



 ということで、私たちと一緒に行こう。

 シリルに手を差し伸べられ、私は戸惑った。



「私たちだけ安全な場所にいろと? セレナ様は納得されたんですか?」


 セレナは私にぴたりと寄り添いながら、苦し気に首を振る。


「私だって、ギルバート様と一緒にいたかったです! でも……」



 ギルバートに頼みこまれたらしい。

 どうしても、王宮から離れてほしいと。お願いだから、と。

 あまりにも必死なギルバートの様子に、セレナは断ることが出来なかったと泣いた。


 セレナの気持ちはわかる。わけるけれど、私は――。



「オリヴィア。王都にいれば、いつこの政変に巻きこまれるかわからない。私もお前には古都で事態が落ち着くのをまっていてほしい」


「ですが、ノア様をひとり残しては行けません!」



 私とノアは一蓮托生なのだ。

 彼が苦しむ時は私も苦しむ。死ぬときも一緒だ。気持ち的にも、設定的にも。

 父はそんな私の肩をつかみ、珍しく声を荒げた。



「聞き分けなさい! 殿下はいま王宮を離れるわけにはいかないんだ!」


「お父様……」


「そしてお前がもし敵に捕まりでもしたら、殿下の足を引っ張ることになる。それこそ殿下の身を危険に晒すことになるのではないのか」



 そんなことはわかっている。わかってはいるが――。


 父のもっともな言葉に何も言えなくなった時、第二騎士団の騎士が駆けこんできた。

 青褪めた騎士の様子に、応接室に緊張が走る。



「団長! 急報です!」


「何があった」



 父親の顔から騎士団長の顔に戻り、振り返った父に、騎士は敬礼もそこそこに衝撃の事実を告げた。




「王妃殿下の父、ハイドン公爵が挙兵しました!」



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