第92話 騎士の覚悟、王太子の激怒
それまで黙っていたヴィンセントはおもむろに一歩踏み出し、頭を下げた。
「護衛騎士の解任、承知いたしました」
素直に受け入れてしまった彼を、私は慌てて止める。
「ヴィンセント卿! 本気で取ってはいけません。これはノア様の冗談です。王太子ジョークというやつです」
「僕は至って本気だが」
「ノア様!」
私のわがままを聞いたことで、ヴィンセントが解任されてしまうなんて。
結果事件は解決して、皆無事。私もスキルがアップしたし、毒で苦しんでいた人たちも救えたしで問題はないだろう。と考えていた自分が甘かったと言う他ない。
「俺は構いません。……オリヴィア様」
ヴィンセントは何の動揺も見せず、いつも通りの無表情で私と向かい合うと、膝をついた。
「ヴィンセント卿……?」
「たとえ護衛騎士の任が解かれても、俺はオリヴィア様に忠誠を誓います。あなたのおかげで俺は呪いから解放されました。この命尽きるまであなたをお守りします。どうか傍に置いてください」
以前聞いたとき以上に、切実な響きの騎士の誓い。
私が驚き固まっているうちに、ヴィンセントは私の手をとり、そっと指先に口づけた。
まるで、前世で見た【救国の聖女】のスチルのような光景に、一瞬ときめいてしまう。
(相手が
ここにいるのが私ではなくセレナだったら、と遠い目になったとき、背後でバチバチっと火花が散るような音がした。
振り返ると、圧のある笑顔のノアが、全身から放電させていた。
「情状酌量の余地など必要なかったようだな……」
「ノ、ノア様! 落ち着いて!」
「衛兵を呼べ! 投獄したのち極刑に処す!」
部屋の外にいる護衛にそう叫ぶノアの目は、まったく笑っていなかった。
私はノアとヴィンセントの間に腕を広げて立ちながら、ユージーンに助けを求める。
「ユージーン様! ノア様をお止めしてください!」
ところが、ユージーンは考える素振りも見せず軽く首を横に振った。
「私には荷が重いです」
「そんなあっさり!?」
「いや、衛兵を待つまでもない! この場で僕自ら切り落としてやろう!」
「何をですかノア様! まさか首? 首ですか? ちょっと、剣を抜かないでください~!」
騒ぎを聞いて駆け付けた父が、なんとかその場を収めてくれたが、もう少しでヴィンセントの首が飛ぶところだった。もちろん、比喩的な意味ではなく、物理的に。
結局、父とヴィンセントの養父であるブレアム公爵のとりなしによって、ヴィンセントの護衛騎士の任は継続ということになった。
なったはいいが、ノアが王宮へと戻るまで「監禁……離宮に……いや国外か……」と、何やらぶつぶつと呟いていたのが気になってしかたがないのだった。
*
二日後、私はユージーンに招待され、メレディス公爵邸を訪れた。
学園の帰りで、聖女セレナも一緒だ。ちなみにノアは一連の毒事件の事後処理が済んでおらず、王宮で留守番である。
【毒を吸収します】
ベッドの上のユーフェミアに手をかざすと、ユーフェミアの体と私の手の平が熱を発しながら輝いた。
『毒吸収スキルは別に口づけなくてもできるみたいだよぅ?』
ここに来る前に、シロが何でもないことのようにそう言ったことで判明したのだが、口づけなくてもスキルが発動することを知っていたなら、もっと早くに教えてほしかった。
そうすればヴィンセントに口づけすることもなく、業火坦のいらぬ怒りを買わなくても済んだのに。
【毒の吸収に成功しました】
【経験値を500獲得しました】
電子音とウィンドウが消え、輝きが収束していくと、ユーフェミアが小さく呻きながら、ゆっくりと口を開いた。
「……あ……ユージー、ン?」
「姉上!」
ユージーンが驚きとも喜びともつかない顔で、ユーフェミアの手をとる。
「痛みが、消えたわ……どうして? 私、もしかして天国に来たのかしら……」
意識はしっかり戻ったようだけれど、ユーフェミアの瞼は閉じたままだ。
毒の影響でただれた皮膚は、毒が消えてもそのままだからだ。長年ユーフェミアを侵していた毒は、彼女の肌を固くさせてしまっていた。
「いいえ……いいえ、姉上。あなたを苦しめてきたものが、消え去っただけです。姉上はもう、苦しむことはないのです……」
あのユージーンが、涙を耐えながら微笑んでいる。
長年苦しむ姉を、傍で見ていることしか出来なかったユージーンの苦しみや悲しみはいかほどだっただろう。
姉弟の様子を見ているだけで、私は胸がいっぱいになった。
ここに来る前に、治癒院でノアの騎士にもすでにスキルを使っていた。
ヴィンセントに続き毒の吸収は問題なく出来て、大丈夫なはずだとは思っていたが、無事ユーフェミアが意識を取り戻してくれてほっとした。
毒が体から消えたとはいえ、ユーフェミアの体力気力はすっかり落ちてしまっている。
すぐに眠りについたユーフェミアをユージーンは心配していたが、私はステータスを確認していたので、衰弱しているだけで、食事と休養が取れれば元気になるだろうと伝えた。
「皮膚や粘膜の後遺症は、聖女様の光魔法を受けていけば徐々に回復していくと思います。少し時間はかかるかもしれませんが……」
「出来る限り通わせていただきます! なかなか自由にとはいかないんですが……」
「学園帰り、私がご一緒します。女子会という名目なら、少しは邪魔されずに動けるでしょう?」
「オリヴィア様がいてくださったら心強いです!」
微笑み合う私とセレナを見て、ユージーンは深々と頭を下げた。
「お二方、姉をどうぞよろしくお願いいたします」
セレナは早速と、ユーフェミアに光魔法をかけ始めた。
治癒院で繰り返し魔法を行使していたおかげで、魔法レベルや魔力がアップしたらしい。
頼もしい姿を見守りながら、私はベッドから距離をとっていたヴィンセントに声をかけた。
「ヴィンセント卿は本当によろしいのですか?」
「何がでしょう」
「あなたの瞳のことです。セレナ様にお願いすれば、あなたの瞳も元の色に戻るかもしれません」
ヴィンセントの毒は私が吸収したけれど、長年毒のダメージを受け続けた瞳は赤く変色したままだ。
眼帯が必要なくなり、ヴィンセントはいま赤い瞳を隠さなくなった。その瞳を手で一度覆うと、彼はゆるりと首を振った。
「……俺は、このままで構いません」
「なぜでしょうか。その瞳の色であなたはつらい思いをしてきたのでしょう?」
少し考える素振りを見せたあと、ヴィンセントは私を見つめて言った。
「オリヴィア様。俺はあなたに救われました。その恩を忘れないよう、右目は証として残しておきたいんです」
なんだか熱烈な告白をされたように感じて、頬が熱くなる。
「わ、忘れてくれていいのに」
「忘れません。絶対に」
「頑固ですね」
ぶんぶんと首を振るヴィンセントに、思わず笑ってしまう。
ヴィンセントもそんな私を見て微かに微笑んだ。
「それに……オリヴィア様は、この目をきれいだと言ってくれました」
「……ええ。あなたの目は、とてもきれいです」
魔族の目とはまったく違う。
美しさと力強い意思、それから透きとおるような誠実さをヴィンセントの赤い瞳からは感じるのだ。それは間違いないことだった。
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