第37話 逃れられない運命

 ひと気のない学園の裏庭にたどり着いた私は、シロを呼び出した。

 持ってきていたデトックスクッキーを出すと、嬉々として食べ始めるシロ。


『これこれ~! なんかこの黒さがクセになっちゃったんだよねぇ』

「ふふ。シロのマイペースさに救われる日が来るなんてね……」

『ん? なんかいま失礼なこと言った?』

「全然?」


 炭クッキーをご機嫌で頬張るシロをモフモフし癒されていると、すぐ後ろで足音がした。

 振り返ると、予想もしていない人物が私の手元をのぞきこんでいた。


「……やっぱりお前があのときのメイド、ビビアンだったか」


 第二王子ギルバートが、じとりと私を見てどこかふてくされたように言う。

 しまった、と内心思いながらも顔には出さないよう微笑んだ。


「ご機嫌よう、ギルバート王子殿下。私の名前はオリヴィアです。どなたかとお間違えでは?」


 頬に手を当て、渾身のキョトン顔を作ったが、ギルバートは騙されなかった。なぜか若干挙動不審になったが。


「し、しらばっくれてもムダだ。呪いのクッキーなんてものを作るのはこの世でひとりしかいないだろう」

「呪いの効果なんてありません。色が黒なのは炭が入っているからです」


 呪いだの悪魔崇拝だの、この世界の人たちはデトックスに対する偏見がひどすぎやしないだろうか。


「炭ぃ? お前、王子になんてものを食べさせたんだ。俺を殺す気だったのか?」

「そんなわけないでしょう! 実際食べても大丈夫だったじゃない!」


 つい言い返してしまってから、ギルバートのにやけ顔を見てハッとした。

 いまのは炭クッキーを渡したことを認めたことになる。完全にしてやられた。

 舌打ちしたい気分だったが、仮にも相手は王子。仕方なく、ため息ひとつで我慢した。本当は殴って気絶でもさせて、記憶を失うことに賭けたいくらいだ。


「やっと会えたな。なぜあのときはメイド姿だったんだ?」

「……あのときのことは忘れてください。色々と事情があるのです」


 本当に、なぜギルバートは覚えていたのだろう。しかも私が使っていた偽名まで知っている。あのとき私は名乗っただろうか。


「無理だな。この三年、ひとときも忘れたことはなかった」


 誤解を生みそうな言い方だなと、思わずうろんげに見てしまう。


 何だか変だ。ギルバートはこんなことを言う男ではなかったはずだ。少なくとも、一度目の人生ではありえなかった。彼は私に対し、名も知らぬ他人よりも冷たい態度ばかりだったのだ。

 だから私はギルバートが嫌いなはずなのに、いま目の前にいるギルバートは一度目の人生とは違いすぎて調子が狂う。


「それで? 私に何か御用でしょうか、ギルバート王子殿下?」

「ああ。あのときの約束を果たそうと思って」

「約束……?」


 はて。ギルバートと約束などしただろうか。なるべく関わりたくなかったので、当たり障りのない会話しかした覚えはないのだが。

 思い出せずうんうん唸っていると、急にがしりと手を掴まれ驚いた。


「な、何ですか?」


 若葉色の瞳が、じっと私を見つめてくる。

 木漏れ日を内包したようなきれいな瞳は、王太子宮の入り口でこっそり泣いていた頃のギルバートのものと変わっていなかった。


「恐らく、兄上は本物の聖女を妃に迎えるだろう」


 ギルバートの言葉に、唐突に刃物を突きつけられた気持ちになった。

 思わず彼の手を振り払おうとしたが、しっかりと握り締められ叶わない。まるで逃がさないとでもいうような強さだ。


「そんなことはわかっています。いったい何をおっしゃりたいんですか?」

「三年前、俺のメイドにしてやると約束しただろう。だから……その」


 なぜか急に顔を赤らめ、もじもじし始めるギルバート。

 そういえば、そんなことを一方的に言われたような気がしないでもない。


 ギルバートは何を言い淀んでいるのか。そんなキャラではなかっただろう、気持ち悪い。と言ってやりたいのに言えない。一度目の人生での彼とは違いすぎて、そのギャップに鳥肌が立ちそうだ。


「何です? はっきりおっしゃってください」

「だ、だから! どうしてもと言うなら、お前のことは俺が、き、妃にしてやっても——」


「オリヴィア!」


 ギルバートが何かぼそぼそと喋っている途中で、焦ったような声に呼ばれた。

 聞き覚えのあるその声に、ハッとして振り返る。そこには息を切らしたノアが、険しい表情で立っていた。


「こんなところで何をしている?」


 肩で息をしながら、ノアが近づいてくる。

 私の傍らにいるギルバートを睨みつけ「それも、ふたりきりで」と声を低くした。


「特に何も……。ただ、世間話をしていただけです」


 私が目を反らしながら言えば、ノアは鼻先で笑った。


「手を握りながらする世間話とは、いったいどんな話か興味があるな」


 そう言われてはじめて、まだギルバートに手を握られていたことに気づいて慌てる。

 私が払う前に、ギルバートの手を振り払うノア。そのまま私の手をつかみ引き寄せてくる。まるで抱きしめられているようで、顔が熱くなった。


「の、ノアさまこそ。側近候補の皆さまはどうされたのですか? きっと皆さん心配されているのでは?」

「僕の婚約者を蔑ろにする者など不要だ。それよりオリヴィア、話をしよう。なぜそこまで僕を避けるんだ」


 すがるように聞いてくるノア。

 兄のそんな姿に、ギルバートが信じられないといった顔で「兄上が必死だ」と呟いた。


「避けているわけではございません」

「嘘だ。……なぁ、オリヴィア。君の考えはなんとなくわかっている。僕のためなんだろう?」


 私は俯き答えなかった。

 けれど聡い彼ならそれが答えだとわかるだろう。


「本当に僕のためと考えるなら、どうか傍にいてくれ。僕に君を守らせてほしい。約束しただろう?」


 約束。

 ギルバートとの約束はわからなかったが、ノアがしてくれた約束は覚えている。

 私を守る、と彼は言ってくれていた。本物の聖女が現れても、その約束を守ろうとしてくれているのがうれしい。


 でも私は、私がノアを守ると決めているのだ。

 以前は毒殺の危機から守る、というだけだったがいまはちがう。私はノアを、あらゆるものから守りたい。毒からも、彼の立場を危ぶめるものからも。彼を愛しているからだ。

 だから私自身が彼の立場を危うくするのなら、私からも彼を守らなければならない。けれど……。

 制服の胸元をギュッと握った。その下には、ノアからもらった指輪の固い感触がある。


「ノアさま。私は——」


 言いかけたとき、バタバタと廊下を駆けてくる足音があった。

 三人同時に振り返ると、男子生徒が血相を変えて裏庭に飛びこんできた。


「王太子殿下! 大変です!」

「何があった」


 尋常ではない様子に何かが起きたと判断したノアは、先ほどまでの切なげな雰囲気をかき消して現れた男子生徒と向き合う。

 男子生徒は青褪めた顔で言った。


「聖女さまが倒れました……!」

「何だと?」


 訝しげに聞き返すノアだったが、私はハッとした。

 何だか既視感のある状況だったのだ。人生をやり直すことになる前に起きた、怖ろしい出来事に。


 学園。昼下がり。そして裏庭。


(まさか、これってギルバートルートの最終分岐イベントの……)


 いや、ありえない。あの事件はこんなに早く起きるはずがない。

 本来は卒業間近の、様々なイベントをクリアしたのちに起こる運命の出来事で——。

 否定したい私を嘲笑うかのように、複数の慌ただしく走る音が聞こえてきた。


「何事だ!」


 ノアが私を守るように前に立つ。

 裏庭に現れたのは、生徒を守る学園の衛兵たちだった。


(ああ……どうして)


 思わずよろめき、ノアの背中にすがる。

 衛兵のひとりが前に出てきた。ノアの制服をギュッと握ると、彼が「どうした?」と一瞬振り返る。けれど私は答えられなかった。



「オリヴィア・ベル・アーヴァインさま。聖女毒殺未遂の疑いがかけられています。我々にご同行ください」


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