少女騎士団 第六話【前編】

少女騎士団 第六話

Das armee Spezialpanzerteam 3,

Mädchen ritter Panzer team 8."Hartriegel"

Drehbuch : Sechs.


…………………………


 イリアルが「あーん」と、わたしの唇に柔らかく温かい感触を置いた。唇を開くと彼女の指から落とされた甘い香りと、ほのかに苦い味が広がる。


「美味しいかい?」

「うん」


 はじめて食べたビターチョコレートの味は、窓に打ちつける雨の音とゆっくり流れる娯楽室の時間のなかで、いつまでもイリアルの膝に頭を預けていたいと思わせる味だった。


「ねえ?イリアル?」

「ん?」

「イリアルもティーチャーのこと……」




「好きだよ」


…………………………


 陸軍北部方面局は名の通り国土の北部に構える陸軍北部方面軍の中枢。また、空軍基地が北部に多い事から戦略の拠点として重要な役割を担っている。局長室の無駄に高い天井と老人たちの趣向を満たすための冷たい石の床。そこに映り込む私の姿を踏み付ける、私の革靴。


「今朝の新聞は読んだかね?」

「ええ。チェスと今夜の献立以外は全て目を通しました」


 やはり、私を呼び出した理由は『暗殺』の件らしい。


「誠に残念な事件です」


 部屋に大きな堆積として張り詰める空気が抱えられる。国旗と陸軍旗を従え、革張りの大きな椅子に座った紳士がペンを持ち変えた。


「あれは君が犯行に関わった、いや……計画の中心的存在ではないかという話がある。事件の前後どこにいた?」


 なるほど『君たち』や『君の隊』ではなく『君の犯行』か、実にうまい切り口だ。


「新聞に書かれていた日時は隊と行動していました」

「隊の行動とは?」


 最初に疑いを個人に向けておいて、私が『隊』と言葉に出してから矛先を集団に向ける。こうする事で反撃がしにくくなる。


「作戦の性質上、閣下であってもお答えできません」


 私の少女騎士団である【第八騎士団ハナミズキ隊】は所属こそ北部方面軍だが、指揮系統は第三特殊機械化隊や北部方面軍などの上位組織ではなく、その一番上に位置する陸軍省に由来する。そして、その陸軍省内でも『一部の者』が主導権を持つ組織により実権が握られているのが実態だ。紳士はそれを知らず、その意味が分からない種類の人間ではないだろう。だから、私の「答えられない」は「私ではなく陸軍省や、その連中に問い合わせてくれ」と同義だという事も察するに安い。大きな机にペンを置いて、眉間を摘むように指で押さえる。彼も一歩誤ると『上に楯突く行為』だという事を知っているのだ。息苦しそうにネクタイを緩め、渇いた唇を舌で潤し、土足の言葉で踏み込んでくる。




「少女騎士団は許された範囲が広い…………」


 その発言に、わざと苛ついたような演技を見せ「閣下が何を疑っているかは分かり……」と切り出すと『止めろ』という意味だろう、紳士が掌をこちらに向けたが構わずに続けた。


「もし『私の少女たち』が事件に関わっていたとして、それは『中央の総意』だとお考えになるべきでは?」


 【中央】の決定に口を挟むことは、彼の権限を超え、さらにその件で「実行部隊」だとする仮定において召喚まで行い、私を非難することへの意味、その答えは陸軍省、またはその組織内一部の幹部への批判や批難の類と取れなくもない。ただ、数多の戦場を駆け抜け、革の椅子にたどり着いた紳士は、私のような若輩者に屈するような人間ではないらしい。


「君は『南方二州五県奪還派』だと聴いている。中でも強硬派に属するとか」


 この人間は面白い、実に面白い。私情、さらに政治的でデリケートな問題に踏み込んでまで聴き出したい理由があるらしい。


「閣下、暗殺には派閥が関係しているのですか?」


 私の言葉に紳士の顔が少し歪む。


「私の出身が南方で『南方二州五県放棄措置』について憤りを感じているのは確かです」


「しかし、個人の思想が召喚理由というのであれば、ただの粛清。この件を【中央】は関知しているのですか?」

「それは………」


「では『噂話』だけで権限を行使した、と。閣下こそ北部へ遷都しようとする『中部首都放棄思想』の一派が喜ぶ行為では?」


 北部出身の将官や政治家の中には公国からの脅威を理由にして、現在国土中南部に位置する首都を放棄し、北部に移すという『北部遷都』を望む者がいる。今回の召喚には、そういった者の後ろ盾もあるのだろう。


「我々が得た情報は間違いだったようだ。

 君の気分を害する思いをさせてしまったみたいだ………。

 無益な時間を作ってしまったな。

 下がっていい」


「最後にひとつ質問を許していただきたい」


「何だ?」




「まだ私の正式な召喚理由を閣下の口から聴いていません」


 紳士の眼が開かれ、喉が鳴った。


「申し訳ない、もうひとつあった。







 閣下が今仰った『我々』とは?」


 紳士の顔が引きつる。


 待ち合わせの食堂で不味く安物のコーヒーを味わっていた。このコーヒーはこんなにも不味かったのか。戦場で飲む物と同じと聴いているのだが………改めて、いかに戦場がおかしい場所かが分かる。人が多いという事は、質を落としてまでも大量生産しなければ回らない。普段は安いコーヒーですら品質という言葉を使うくせに、人間ってやつは手に入らなくなると途端に安物の不味いコーヒーに慣れ、欲するようになる。もうコーヒーではなく、カフェインを溶かした液体でもすすっていればいいのではないだろうかとも思うのだが、それでは脳が欲する物質を摂取しただけであり『コーヒーが飲みたい』という欲求は満たされず不満らしい。この温かく薄い香りがする黒い液体で『コーヒーだ』と騙されないといけないなんて、本当に愚かだ。偽物だと知っていて、そこに安心を得るなんて馬鹿馬鹿しい。


 結局、紳士は『召喚理由』と『我々』について、明確な答えを避けた。私のような者をよく思わない人間が存在しているのは知っているし、今回、そのような者が手を出してきたであろう事と、内閣府や独立情報収集分析局が大きく動いた訳ではないという事を確認出来ただけでも大きな収穫だ。


「陸軍北部方面軍第四大隊所属、陸軍特殊機械化隊第三機械化隊第八騎士団ハナミズキ隊隊長リエドロ・アカサ大尉。お待たせしました」


 まったく長ったらしく無意味な肩書きだ。


「これは、これは、陸軍北部方面軍以下略エド・ホムラ中尉殿。そちらも終わりましたか?」


 彼女もまた、私の側近として同じような質問を投げかけられただろうが、その顔には『悦び』が満ち溢れていた。サディスティック、まったく怖い女だ。


「貴方の事ばかり聴かれました。大尉は異分子であるそうですね」

「それは、それは。またえらく国に至誠な異分子だな」


 紙コップに落書きをしたペンを制服の胸ポケットにしまい、通りかかった清掃員に「すまない、この紙コップを預かってくれ」と渡して、基地に戻ることにした。


…………………………


 イリアルは真っ直ぐな眼でティーチャーのことが好きだと言った。何故かはわからないのだけど、涙が止まらなくなり、しばらく彼女の胸で泣いた。ふらふらになりながら、彼女に手を引かれ、二〇九号室に向かう。ナラの板が張られた廊下を歩くのだが、硬い樹を踏んでいる感覚はなく、支えられて歩くのがせいいっぱいだった。イリアルのベッドの縁にふたりで座る。肩を抱いてくれている彼女が、またやさしく頭を撫でてくれた。


「落ち着いたかい?」


 どれくらい泣いていただろう、時計を見るのだけれども、視界がボヤけて針が見えない。


「ごめんね………イリアル」

「気にすることじゃあないよ」


 イリアルがガラスのボトルからコップに水を注いでくれる。ひとくち口につける、ただの水なのに、


 こんなにも、おいしい。


 隣に彼女が座り直すとベッドが少し沈み、しばらくして、彼女の声が鳴るのだ。


「あたしはティーチャーが好きだ」

「うん」


「………よく分からないけど……………キスをしたいとも、触れられたいとも思う。それくらい好きだ」

「…………うん」


 わたしがコップを置いて覚悟をしたとき、イリアルが急に「あーっもうっ!」と言って、わたしをベッドに押し倒し抱きついて、わたしの髪を力強く雑にくしゃくしゃにする。


「でも!あたしにとってティーチャーは上官で!

 それを超えられるとは思えない!

 想像すらできないから、ずっとモヤモヤしてるんだ!

 ナコみたいに、いつも追いかけちゃうくらい好きって思えないんだよっ!」


 首もとに埋められたイリアルの顔や息が驚くほどに熱かった。


「だから、ナコがうらやましー。

 恋ができるナコがうらやましー。


 あたしに……………………恋はできないらしー。




 ねえ、ナコ?

 ずっとナコはティーチャーを好きでいて?

 約束…………して?


 お願い」







「うん………約束、する」


 それから昼食までの時間を、熱くなった身体で抱き合って寝ていた。


…………………………


 イリアルの提案で昼食後にハナミズキ隊は、娯楽室にお菓子を持ちよって、お茶の時間を過ごすことになった。リトが鼻歌混じりにプレーヤーの前で、紙のケースからレコードを出して「こうやって集まるのって初めてじゃない?」と針を落とす。ゆったりと流れ出す音楽が、窓から差し込む雨上がりの光を唄っているみたいだ。


「いつもは、いつの間にか集まってるもんな」


 仲間だからだけじゃない、本当に仲のいい四人だとわたしは思うんだ。ファブが熱心にソファの横に積まれた『第三特殊機械化隊ぬいぐるみ大隊』の中から、今日の『親衛隊』を探していた。今日は大きな熊のぬいぐるみが栄誉あるファブ姫の護衛に選ばれたようだ。わたしは娯楽室の本棚にあった雑誌を持ってきて、みんなで服とか靴を眺めようとテーブルの上に広げる。


「このワンピースいいね」

「じゃあ、こっちにあった帽子は?」

「イリアルは、このスカートに………これを合わせるといいよ」

「あたしにしては女の子しすぎじゃないか?」


 いつの間にか、リトとイリアルのふたりの間が………………距離が縮まり肩をよせ、笑いあっている。少し前までは、ただ、ぎこちないふたりだったのにな。窓の外、雲の間から注ぐ光を見た。こんなにも穏やかな午後を過ごせるわたしたちが、月華に乗って戦争をしているなんて嘘みたいだ。学校に行って、温かい紅茶や甘いお菓子を食べて、おしゃべりして、恋もして…………ただのおんなのこじゃないか、と思ったとき、ぴくっと右手の人差し指が動いた。うん、わかっている、大丈夫、忘れていないよ。何度もマメが潰れ、皮が厚くなった操縦桿を握る手を見る。やっぱり、身体は戦場を忘れさせてくれないみたいだと微笑んだ。ファブが熊のぬいぐるみの衛兵に頬ずりをしていて、その反対側の頬にケーキのホイップがついていたから、それを「ファブ。ホイップがついているよ」と、指で彼女の頬を撫で、取る。


「ん……ほんとだ。ありがとう、ナコ」


「ねえ、ファブ」

「なーにー?」


「わたしはティーチャーのことが好きなんだ。

 ティーチャーに振り向いてもらいたい、

 ずっと想っていたい。



 これはもう、どうしようもなくてね。

 止めることも、変えることもできない。







 わたしがファブの気持ちに、

 応えるのは、



 できないんだ」


 ファブの眼が濡れて、鼻をぐずつかせて「わかってた!わかってたもんっ!ナコはティーチャーが好きだもん!」と涙をたくさん流して、泣いた。だから、みんなでファブを抱きしめたり、頭を撫でたりして、彼女がたくさん涙を流せるように安心させた。涙は………何かを変えるときに落ちるものだから、我慢しないほうがいいと聴いたことがある。季節が変わるときに雨が降るのと一緒なんだと。それから、しばらくファブは眼と鼻を真っ赤にして泣いて、たくさん涙を流しながら、たくさんお菓子を食べたあと、またたくさん泣いて、たくさん笑っていた。


…………………………


少女騎士団 第六話【後編】へ続く。

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