第12話 暗闇

 とにかく俺がメイドにイジメられる方が好きだということで日向は納得してくれたようで、その後は大人しく晩飯を食っていた。どうやら、日向氏は俺にイジメられるのを喜んでほしいらしい。


 何故なら彼女はドSだから。


 が、常にドSかというと決してそういうわけではない。いや、常にドSではあるのだけど、それなり波も存在する。


 食後、彼女の淹れてくれたコーヒーを飲んで一休みした俺は今日の昼に出された課題をすることにした。ちゃぶ台に教科書とノートを広げると、洗い物をしていた変態メイドが俺のそばに腰を下ろした。彼女はタオルで手を拭きながら俺の顔を見上げる。


「まだ終わらせていなかったんですか?」

「まあ、あんなサーカスみたいな光景見せられながら課題ができるほど、俺は人間出来てないからな?」

「サーカス? あぁ……緊縛プレーのことですか?」

「わざわざマイルドな表現にした俺の苦労を返せ……」


 と、言いながら俺は教科書に目を落す。


 あぁ……何が書かれているのかちっともわからねえ……。俺はこの世で数学ほど嫌いなものはないと言っても過言ではないのだ。ちなみに次点はゴキブリだ。


 俺が目を回しながらも課題を解いていると、日向は興味深げに俺のノートを眺めていた。


 彼女は気づいていないのだろうが、俺の教科書を覗き込むもんだから、彼女は俺に寄りかかるような姿勢になっている。正直なところ、ドキドキが止まらない。


「メイドに興奮ですか? ご主人様の性欲は天井知らずですね」


 ちゃんと気づかれていたらしい。こいつ後頭部に目でも付いてるのか?


 彼女のセンサー的な何かに愕然としていると、ふと彼女は頭を上げて俺を見つめる。


「もしかして解けないんですか?」

「お、煽ってるのか?」

「はい、煽ってます」

「そ、そうっすか……」


 素直でいい子……ということにしておく。


「というか、日向はもう終わらせたのか?」

「終わらせましたよ。こんな簡単な課題」

「いや、隙あらば煽るな……」


 日向は相変わらずじっと俺を見つめたまま不意に首を傾げた。


「写させてあげましょうか? 課題」

「ほ、本当かっ!?」


 俺は日向の思いがけない提案に、目を丸くする。


「はい、ご主人様のためであれば課題程度いくらでも見せますよ」


 そう言うと彼女は学生鞄に手を伸ばしてそこからノートを取り出した。そして、彼女は俺にノートを差し出す。彼女の浮かべる屈託のない笑みが可愛い。


が、その可愛い笑みを見た瞬間、俺は何かを察した。


 冷静に考えろ。この女がこんなにもあっさりと課題を見せてくれるのか?


「要求はなんだ?」

「何の話ですか? もしかしてご主人様は、女を対価でしか動かしたことない男なんですか?」

「いや、なんなら今の俺は対価を払っても、イジメられているぐらいだと思うけど」

「なるほど、対価を払ってまで女の子にイジメられたいということですね?」

「いや、それがお前の根本的な勘違いだ」


 などとショートコント繰り広げていると、彼女はちゃぶ台に自分のノートを広げた。ノートには彼女の達筆な文字で、俺がこれから取り組むべき課題の回答が書かれている。


「おい、正気か?」


 何もなく俺に課題の答えを見せてくれるだと?


「本当にあなたは俺の知っている柊木日向さんですか?」

「疑うのであれば、確認していますか? ご主人様の体はちゃんと目の前の女が私だと記憶しているかと」

「いつ俺がお前の体を覚えたっ」

「それは自分の体に聞いてください。とにかく、私はこれからお風呂に入るので、それまでにしっかり移しておいてください。では」


 そう言って彼女は脱衣所へと消えていった。


 が、すぐにドアから半身を出すと相変わらず無表情で俺を見つめると、


「あ、言い忘れていました。その回答、一問に一つずつ誤った式を書いていますので、そのまま写すと全て間違いになりますよ」


 なるほど、俺の知っている柊木日向だった。



※ ※ ※



 日向が入浴を楽しんでいる20分ほどの間、俺は必死に彼女の問題を写してから彼女の書いたという誤りを探していく。


 が、そもそも問題自体ちんぷんかんぷんな俺には彼女がどこを間違えているのか、さっぱりわからない。


 これって普通に解いた方が早く解けるんじゃ……。


 俺は「うぅ……」とうなり声を上げながらノートと睨めっこをしていると、脱衣所から純白のネグリジェ姿の日向が姿を現す。彼女は濡れた髪をタオルで拭いながらちゃぶ台を見やった。


 どうでもいいけど、日向のネグリジェ姿は高校生男子には少々刺激が強い。ワンピース型のネグリジェのスカートからは少しピンクになった足が伸びており、カップの付いた胸元は大きく膨らんでおり、襟元には小さなリボンがついている。


「ご主人様、まだ写し終えてないんですか?」


 彼女はそう言うと相変わらずタオルで髪を拭いながら俺のすぐ横で腰を下ろす。彼女のシャンプーの匂いが俺の鼻腔を刺激する。同じシャンプーを使っているはずなのに、可愛い女の子の髪から漂ってくると、何だかフェロモンのような謎の魅力が付与される。


「いや、写しはしたんだよっ!! 問題はお前が書き残したという誤りを正す作業だ」


 正直なところお手上げだった。さっぱりわからん。せめてヒントだけでも貰わないと、朝まで解ける気がしねえぞ……。


 などと考えながら彼女を助けを求めるように眺めると、日向は不思議そうに首を傾げた。


「ご主人様、この回答に誤りなんてありませんが……」

「なっ……」


 どうやら俺はしてやられたらしい。


「おい、騙したのか?」

「いえ、回答を見て誤りがないことに気づけないご主人様の知能の問題だと思いますが?」

「くそっ……正論なのが腹が立つ……」


 俺が下唇を噛みしめていると、彼女は「そんなに唇が美味しいですか?」と追い打ち煽りをかましてきたが、すぐに「この程度のからかいで課題が丸写しができたんです。安いものだと思いますが?」と尋ねられ妙に納得してしまった。


 確かに何時間もかけて課題を解くことを考えれば安上がりかもしれない。


「それにただ写すよりも、少しは頭を使えて身になったと思いますが……」

「あ、ありがとうございます……」


 と、素直にお礼を言うと彼女は「いえ、別に」と天狗になった美人女優のように素っ気なく答えて、美容液のボトルを自分の顔に噴射した。


 よし、何はともあれ今日やるべきことは全てやり終えた。完全な他力本願だが達成感に胸を膨らませる。


「お疲れ様です。ご主人様」


 そう言うと彼女はにっこりと微笑むと俺に少し体を寄せるとちゃぶ台の下に手を入れた。そして、べりっという音とともに、彼女は何かをちゃぶ台に置いた。


 それは『メイド様と奴隷様』の最新刊だった。


「ご主人様へのご褒美として買っておきました」

「お、お気遣いありがとうございます……。ですが、結構です……」


 どうでもいいけど、なんでこの女は俺が次に六巻を読むことを知っているんだ……。少なくとも四巻と五巻は彼女にバレないように隠しておいたはずなんだけど……。


 丁重にお断りをする俺に日向は首を傾げる。


「我慢しなくてもいいんですよ? 本当は喉から手が伸びるほど読みたいんですよね?」

「いや、それは……」


 読みたいよっ!! 読みたいに決まってんじゃねえか。が、ここで素直になるのは男として、熊谷家の人間として何か大切なモノを失うような気がする。


「ほらほら、素直になったほうが楽ですよ?」


 そう言って彼女は何やら頬を赤く染めると、俺に顔を寄せる。


「その漫画を読んで何を尊像するんですか? 私からイジメられるところですか? ご主人様がお望みであれば、いくらでもイジメますよ?」


 彼女の人差し指が俺の太ももに触れる。彼女は俺を挑発するように胡坐をかく俺の太ももに8の字を書いてくる。


 や、やばい……。髪から甘い香りを漂わせながら体を密着させて俺を挑発する日向。


 こんなことをされて耐えられる男子高校生などいるはずがない。俺は蛇に睨まれた蛙のように体を強張らせていると、彼女は不意に俺の耳に「ふぅ~」と息を吹きかけるものだから、全身から力が抜けて、ちゃぶ台に倒れ込んだ。


 ダメだ。誘惑に屈してしまいそうだ……。


「どうでもいいけど日向は俺が変な気を起こしたらどうするつもりなんだよ? 仮にも一つ屋根の下で年頃の男女が生活してるんだぞ? 俺が欲望を押さえられる紳士だなんて信用できないだろ?」

「本気で私を押し倒すつもりなのですか?」

「そういうわけじゃないけど」

「別に構わないですよ? ご主人様に押し倒されても」

「あのなあ、俺が本気にしたらどうするんだよ……」


 と、俺が呆れた顔で彼女を見上げた。すると、彼女の頬は風呂上がりのせいなのかわずかに上気しているのがわかった。彼女は少し驚いたように目を見開くと蛍光灯の紐を引っ張った。


「お、おい、消灯にはまだ少し早いぞ……」


 時刻はまだ九時だ。さすがに消灯にはまだ早い。俺は暗闇の中に薄っすらと見える日向のシルエットを見た。


「童貞を拗らせてないで早く寝ますよ。ご主人様」


 彼女の表情は見えない。きっとこの世でもっと汚いものを見るような目で俺を見下ろしているに違いない。


「いや、だからまだ早いって」

「私は眠いんです。とにかく寝ましょう」


 そう言って、彼女は暗闇の中、月明かりを頼りに押し入れから布団を取り出すと、それを床に敷いて早々に横になってしまった。

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