第8-1話
<”Talents are best nurtured in solitude, but character is best formed in the stormy billows of the world.”>
闇と眠りに沈んだ街。
街の地下には、ギャング達が会する秘密の城がある。
地上では鎬を削り合う組織同士の人間も、地下では争い事を持ち込まない。昔この街を治めていた組織の掟であり、それを破ることはどんな血の掟を破ることよりも恥ずかしいとされるほど、ギャング達にとっては神聖な場所であった。
誰がそれを作ったのかは、重要なことではない。
重要なのは、いまだにその場所が使われていること。その掟が守られていること。そして、この場を仕切るのが、現在進行形で街を支配しているモルテであることだ。
地下の城に来ることが出来るのは、選ばれた組織だけであり、その組織の中から選出された三名のみ。
当然、実力を持った者たちが集う。
大抵の場合は、組織の頭目とその腹心の部下だ。
故に、あまり変わり映えのない顔ぶれが集まるのが通例。
しかし、今日の会合はそうではなかった。
席次は、組織の規模と勢力の大きさで決まる。
前回までは、上座にモルテ、その両脇に、エテミータとラグーナの面々が陣取っていたのだが、今回はラグーナの席にテミスの頭であるノクスが腰を掛けている。
しかもだ。
後ろに、見慣れない金髪の男が立っている。
場をざわつかせるには十分過ぎた。当然だが、口に出す馬鹿はいない。動揺を見せたら最後、隙と見た輩に目を付けられるのは必至だ。そのせいで壊滅した組織を知っている人間ならば、黙することに徹する。
しかし空気というのには伝わってしまうらしい。張り詰めたような空気がずっと続いている。
その中でもモルテ、エテミータ、テミスの面々だけは涼しい顔をしている。
招待された組織の人間が全員席に着いた頃、モルテの頭目の後ろに立っていた右腕が声を上げた。
「皆さん、今日はお忙しい中お集まり頂きありがとうございます」
ちっとも礼を言う声色ではない、事務的な声だった。それを皮切りに会合は進んでいく。手元に資料があるにも関わらず、チラチラと飛んでくる視線。鬱陶しい羽虫のようなそれに、レオは顔を歪めないことで精一杯で、話は全く入ってこない。
明らかに浮いている。
本当にここに俺が来てよかったのか?
ちらりと目の前に座っているノクスの手元を見る。レオが心臓が飛び出そうなほど不安に駆られている時も、ノクスはいたって普通だ。ペンを指先で回して涼しい顔をしている。
――レオにも会合に出てもらう。
そんなことをノクスが言い出したのは、ラグーナとの抗争に終止符が打たれ、打ち破ったラグーナの財産をそろそろ分配しようか、という頃だった。
***
報酬の分配の相談に呼ばれた、というライエルと共にレオはノクスの執務室を訪れた。
「あぁ、レオも来たのか。ちょうどよかった」
書類から顔を上げたノクスは、表情を変えずにそういった。何がちょうどいいのか。当然レオには疑問符が浮かぶばかりで何の話か全く読めない。
「一週間後にある定例会だが、僕とライエル、それからレオも連れていく」
「はぁ!? 本気で言ってるんですか、ノクスさん」
定例会、と反芻してみたものの、内容は全くわからない。対してライエルは、珍しく声を大きくして明らかに不服そうな顔を向けている。
「本気だよ。その方が都合が良いだろう?」
「どこがですか。敵対組織から狙われるリスクを上げるだけですよ」
「何の話だ。定例会ってなんだ?」
まったく話についていけないレオに、説明をくれたのはノクスだ。
「この街を牛耳ってるモルテが開く、会合のことだよ」
「…………、は?」
明らかに場違いだ。確かにテミスの一員として活動はしていても、厳密にいえばテミスの人間ではない。ただの居候だ。
会合、と聞くと思い浮かぶのは”あの男”がやけに身綺麗にして出ていたもの。モルテの中でも”あの男”が信頼している精鋭のみが同行を許されるものだったはずだ。
もし推測があっているのなら、そんな会合にレオが出ていいはずがない。しかも確実に、憎くて仕方がない自分の父親と顔を合わせることになるに決まっている。
殺されることはないだろうが、父親が何かを仕掛けてくるかもしれないというのに。
「レオを会合に連れてって、テミスにいます~、なんて言ったらリスクしか……、ちょっと待て。……、もしかしてそういうことですか?」
ライエルは口を動かしている最中に何か答えに至ったらしい。ノクスの口元に小さな笑みが浮かぶ。
「さすがライエル。そういうことだ」
「……はぁ、どうして貴方はそういう危険な綱渡りするんですか」
「そういうことってどういうことだよ。俺にも分かるように説明してくれ」
完全に蚊帳の外のレオが吠える。大きな溜息を落としながら後頭部を乱暴に掻いていたライエルが、眇めた目をノクスに向けながら言った。
「だからこの人は、モルテの頭目の息子であるお前がテミスにいる、って敢えて周りに示すことで、安易に手を出しにくくするって言ってるんだ」
「はぁ? そんなに上手くいくのか?」
「考えてもみろ。俺たちは今回、ラグーナを壊滅させた。その功績で、テミスがラグーナの席に座ることになる。上から数えて三番目の席に座るってことは、喧嘩を売られることは格段に減るわけだ。更にだ。お前はモルテの頭目の息子だろ? 裏を読む連中にとっては、テミスにはもしかしたらモルテの息がかかっているかも、と思う奴が出てくる。そうするとますます手が出せない。俺たちに手を出すことと、モルテからの報復を受けることを天秤にかけたとき、リスクの大きい方を取る馬鹿はいない」
確かに、言われてみればそうかもしれない。
完璧な説明に思わず納得してしまったのだが、だがな、とライエルは言った。
「それだけ俺たちにとってもリスクは大きい。脳なしの好戦的な奴らもいる。一発逆転を狙う組織にとっては、テミスは恰好の的だ。俺たちを潰すことが出来たら、地位が手に入るだけじゃなく、『モルテの一人息子』という交渉材料まで手に入ることになるんだからな」
「……、それはテミスにとってリスクが大きすぎるだろ」
「だろ? でもそれをこの人はやろうって言ってんだ」
ノクスに目を向ければ、反論は聞かない、と言いたげに瞼をおろしたまま笑みを浮かべていた。
レオにとっては確かに、メリットがある。追手に狙われなくなるのなら、自分が果たしたい目的にも近付くこともできるだろう。
しかしテミスにとっては逆だ。レオといういつ爆発するか分からない爆弾を抱えることで、敵対組織からの奇襲を常に頭の中に入れておかなければいけない。
それに対する備えが果たして、あるというのだろうか。
「どちらにしろ、レオが僕たちのところにいることは、今回の件で知れ渡ったはずだ」
不意にノクスは言った。まあたしかにそうですけど、とライエルは口先をとがらせる。
「だったらわざわざ隠すほうがリスクが大きい。さっきライエルが言っていたが、レオを連れていくことで、僕たちにモルテの息がかかっている、と思い込ませた方が、奇襲を受ける確率は減ると思う」
「でもノクスさん、それはノクスさんみたいに頭の回る人間が、組織内の高い地位にいるのが前提条件として必要ですよ」
「それは一応、今回の件で満たしていると僕は考えてる」
「ラグーナが嗅ぎ回っていた時に誰も手を出さなかったからですか?」
「少なくとも、エテミータは探らせてはいても手は出さなかった。それに、一発逆転を狙うような肝が据わっている、且つ、実力のある組織はそこまで多くない、というのがお前の見解だったはずだよ、ライエル」
そんなことまで調べさせているのか。感心しながらライエルを見たら、バツの悪そうな顔をしていた。まさか自分が出した情報に、このタイミングで足をすくわれるとは思わなかったのだろう。
「そこまで多くないだけでいないとは言ってません」
「でもお前は、実力値でいうなら僕たちの方が上だと言った」
細かいところを突いても、それ相応の事実で反論されてぐうの音もでないらしい。これ以上口を開けばより確証を与えてしまうと思ったのか、文句を言いたそうにしつつ口を動かさないライエルと、笑みを浮かべたままのノクス。
しばらくの時間を費やした睨み合いは、結局ライエルの溜息によって幕を閉じた。
「はぁ、わかりましたよ。どうせノクスさん言い出したら止まらないし」
「ふっ、それは悪口だな?」
「良くも悪くも、ってことです」
呆れたような声色のライエルにも、ノクスはどこ吹く風だ。
前々から思っていたがこの二人はお互いをよく理解している。引き際や、どうしたら納得させられるかの塩梅が絶妙だ。阿吽の呼吸、というのか、二人の間に流れる空気感が一朝一夕でできたものではないと知らしめるというのか。
チリッ、と僅かに疼いた胸。くたびれたシャツの上にそっと指先を乗せる。触れたのはあの日からずっと首にかけ続けている指輪。それが自分がここにいる理由を強く呼び覚ましてくれる気がするから。二人のような関係が羨ましいなんて、自分には関係のないことだ。いずれここを去ることになるのだから。
「ということだから、レオ。予定を開けておくように」
「まあ大した会合じゃないが、一張羅用意しとけよ。ノクスさんと俺が付いてるにしろ、怖い男共がうじゃうじゃ来るからな」
いきなり話が飛んできて、パッと顔を上げる。ノクスはすでに笑いを消していて、ニヤついたライエルにはトンと肘で腕を突かれた。もちろん、レオに拒否権は許されておらず。
渋々頷いたのだ。
***
会合は滞りなく進み、やがて上納金の話へと移っていく。
未納のところは猶予がないことを忘れずに、という感情のない声で会合は締めくくられた。
その場を後にする面々から何気なく送られてくる視線。今にも出てしまいそうな舌打ちを、気合で押し込めて代わりに鼻から大きく息を吐き出した。
ライエルがノクスに耳打ちしているのを横目に、今まで頑なに目を向けようとしなかった男へ視線を向ける。
目元に傷のある髭面の屈強な男。凶悪を人の形にしたような男が、出口をまっすぐに見ていた。どうしてこんな男に母が入れ込んでいたのか、全くわからない。自分がこの男の地を引いていると考えるだけで、臓腑がせり上がってくる気持ち悪さを覚えるのに。
歪みかけた顔をどうにか動かさずに、視線を逸らした。
その時だった。
「まさか、君たちのところに居るなんてねぇ」
張り詰めた空気の中で、場違いの軽薄さを持った声がその場に落ちた。
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