⑺深淵より這い出るもの

 航は、掌を見ていた。

 バスケットボールに打ち込み、肉刺まめ胼胝たこに覆われた歪な掌だ。今は其処に緑色の鍵があざのように浮かび上がっている。


 自分がオークションに出品されることを聞かされ、二日が過ぎた。不審に思われない程度の脱出は試みたが、警備に隙は無かった。


 湊なら、今頃、自分を救出する為に動いているだろう。タルフの話では軍資金を稼ぐ為に、再びカジノを荒らして行ったらしい。出禁にしてやったと嗤うタルフを前に、航は違和感を覚えた。


 


 何も出来ずにいた二日間、航は怪我を癒しながらその行動の意味を考えていた。


 カジノが造幣局を兼任している以上、オークションでの通貨に意味は無い。加えて、今の湊は金庫でしかなく、航の鍵が無ければ金は引き出せない。


 オークションは情報戦だ。カジノから幾ら金を巻き上げたって、情報が筒抜けでは意味が無い。わざわざ目立つ行動を選んだ理由は何だ。


 衝動的な行動、単純な作戦。湊らしくない。何らかの理由で強行突破出来なかったのだろうが、ことごとく後手に回る意味が分からない。

 挑発か、腹癒せか、牽制か。


 監禁され、抵抗の術を持たなかった航は、湊の行動の意味を考えていた。


 迎えたオークション当日、航は窮屈な衣服を着せられた。まるで、ラッピングだ。航は苛立った。

 促された先は、窓一つ無い閉塞的な白い部屋だった。赤絨毯の上に足を踏み入れると、何処からか声が聞こえた。


 興奮に染まった他人の騒音だ。聞こえて来る単語から、それがオークション会場の音声であると理解した。恐らく、此方の様子は会場に映し出されているのだろう。


 航は、値踏みする他人に戸惑った。命が平等だなんて謳うつもりは無いが、倫理観の欠如した催しに生理的な嫌悪が込み上げる。

 司会者に煽られ、欲望を剥き出しにする参加者は、存在する価値も無いゴミくずだ。救いようが無い。そして、間も無く彼等に値踏みされる自分は一体何なのだろう。


 航の競売が始まった。

 歯止めを掛ける間も無く釣り上がる金額に、目眩がする。人間界にいた頃、湊は担任教師に性的な目で見られ、脅されていた。参加者の声は、あの爬虫類のような男に似ている。


 途中、昴らしき声が聞こえた。

 飾り気の無い澄んだ声からは、航を助け出そうとする真摯な姿が透けている。誠実さの塊だ。思考回路に遊びが無く、付け入り易い。けれど、そういう人間だからこそ、付いて行きたくなる。


 予算を超えてしまったのか、昴の声は途中で消えてしまった。嫌味な男の声、粘着質な女の声。彼等に値段を付けられていると考えると、不快感で吐き気がした。最後に上げられた声は女だった。昴の手は、届かなかった。


 もういい。

 何もかもどうでも良い。

 初めから助けなんて期待していなかった。自分の行動の責任は自分で取る。相手が何者であっても、膝は折らないし、抵抗は止めない。


 その時、音声だけだった部屋の中に映像が浮かび上がった。自分を落札した主人の顔を見せようと言うのだろう。悪趣味過ぎて、笑う気にもなれない。


 鮮緑色の髪をなびかせた女が、政治家みたいに周囲へ手を振っている。デネブだ。オークション主催者であるタルフの姉。全ては彼女たちの掌の上だったということだ。自分たちは踊らされたのだと悟った。


 失望に視界が暗くなって行く。その中で、航の目は双子の兄の姿を捉えた。

 デネブの隣、昴を挟んで湊がいる。生贄みたいに両手を投げ出す様は悲壮感に満ちていた。航は、怒りで頭が真っ赤に染まっていた。


 お前、その程度かよ!


 他人に値踏みされること、助けられること、邪魔されること。航が嫌うことは沢山ある。その中でも堪えられないのは、湊の正義が折れることだ。


 諦めるくらいなら、死んじまえ。

 航はそう思った。


 自分より先に湊が諦めることは許さない。衝動的に床を蹴り付けた時、映像の中の湊が立ち上がった。


 負け犬の退場だ。ーーだが、其処には胡散臭い程の笑みがあった。拳で胸を二度叩く。航はその時になって、雷に打たれたように全てを理解した。










 15.捻くれ者の美学

 ⑺深淵よりい出るもの










 ウルは、カジノの中にいた。

 昴にはオークションハウスの外で情報収集すると告げていたが、それは正確な作戦ではない。

 宿屋に篭っていた湊と話した時、二人は同じ結論に至った。


 オークションでは競り落とすことが出来ない。


 当然の帰結であるが、反骨精神旺盛な湊があっさりと認めた時には信じられなかった。逆境になる程にやる気を出すという厄介な性格だ。何か裏がある。ウルが問い詰める間も無く、湊の方から協力を求めて来た。


 作戦の概要として湊が提案したのは、自身を囮にして、航が脱出する隙を作るということだった。


 カジノ側からマークされている自分が衝動的な行動を起こせば、航への警戒は薄くなる。正攻法で取り返そうと躍起やっきになっていると見せかけて、水面下で動く。

 自分は動けない。腹芸の苦手な昴にも向いていない。元諜報部隊のウルにしか出来ない。


 頼む。

 顔では笑いながらも、血を吐くように言った湊の言葉を思い出す。不器用な奴だな、とウルは呆れてしまった。


 昴には作戦を伝えなかった。御人好しの彼は顔に出易いし、何か下手を踏んだ時に泥を被せる訳にはいかない。


 カプリコーンで王の軍勢が犯した虐殺は、王家最大の失態だ。結果として王家は、各都市に自治権を与えざるを得なかった。統率者は時として非情な決断を迫られるが、王家や革命軍に不満が募っている現時点、第三勢力の自分たちは正義を貫かなければならない。昴には綺麗なままでいてもらわないと困るのだ。


 オークション終了の合図が送られると同時に、ウルは風魔法による索敵さくてきを行った。相手が最も油断するのは、勝利を確信したその瞬間だ。ウルはカジノの中でうごめく無数の気配から、一つの魔法を察知した。


 航の掌には魔法が掛けられている。

 湊の掌と相補的な関係にある魔法の気配を見付けるのは、ウルにとっては造作も無いことだった。転移魔法が使えないのなら、泥臭くはあるが、自力で侵入するしか無い。湊と昴による陽動、落札した直後の油断、航への警戒が薄れた今が好機。


 ウルは迷路のように入り組んだカジノの奥へ、足を踏み入れた。

 オークションが行われている為か、内部は殆ど無人であった。煌びやかな表とは打って変わって、内部は雑多で寒々しい印象である。身を隠す場所にも困らない。

 航から発せられる魔法の気配を辿る内に、ウルは建物の外観からは想定不能な程の地下へ進むことになった。辺りの空気は凍り付くように冷たい。何処かで悲鳴と歓声が聞こえる。少しずつ酸素が薄くなり、耳鳴りがした。侵入者対策の罠も幾つかあったが、突破は容易かった。


 そうして到着した先は、牢獄のような薄暗い個室であった。幻想の魔法によって美しく整えられているが、所詮は張りぼてである。格子窓の向こうに航の姿が見えて、ウルは咄嗟に叫び出しそうになった。


 誘拐された現場の状況から、行動不能な大怪我を負っていることを予想していた。数日ぶりに見る航は不平不満を呑み込んでいるかのような不貞腐れた顔をしていて、外見上は無傷である。

 治癒魔法が施されたのだろう。商品として出品する以上は当然なのだろうが、無事で良かった。


 航は野生動物のような警戒を滲ませながら、辺りを睨んでいた。その眼差しは狩られるばかりの草食動物ではない。獲物を虎視眈々と狙う肉食獣だ。




「航」




 ウルが呼び掛けても、航は驚きもしなかった。拉致監禁されている少年とは思えない。ウルは苦笑し、おりを開いた。


 手首の拘束をいてやると、航は関節を鳴らしながら立ち上がった。ウルはポケットの中から小型化していたパルチザンを取り出した。


 航はパルチザンを肩に担ぎ、じとりと睨んだ。




「俺は助けなんて求めてねぇ」

「分かってるさ。でも、無事で良かったよ」




 航は鼻を鳴らした。


 救出が思いの外上手く行って、ウルは肩透かしを食らったような心地だった。拍子抜けというか、呆気無い。昴と湊の演技は素晴らしかった。音声だけでも悲壮感を煽り、作戦と知っていても焦りを感じた。だが、それにしても。


 まるで、逃げてくれと言わんばかりだ。


 その時、二人の足元が白く光った。転移魔法陣だ。

 ウルはすぐ様、魔法陣を上書きして相殺しようと試みた。しかし、先手を取られ、二人は酷い転落感と浮遊感の中に吸い込まれてしまった。


 目を開けると、其処は薄闇に染まった洞窟の中だった。露出した岩肌はてらてらと滑り、遠くから水滴の落ちる音がする。勾配の激しい道は蛇行し、天井には氷柱のように鍾乳石がぶら下がる。


 何処だ、此処は。

 航が呻きながら立ち上がる。強制的な転移魔法は凄まじく揺れる。三半規管の鋭敏なウルと航には最悪の相性だった。


 ウルは頭痛を堪えながら、風魔法による索敵を行った。洞窟内を微風が吹き抜ける。二人の現在地は丁度、山の頂上のような位置にある。前後には闇に包まれた下りの道が二つ。どちらが出口に繋がっているのか分からない。風も超音波も、行けども行けども出口へ到達しないのだ。


 自然の洞窟ではない。

 ウルは悟った。此処は誰かの魔法の中だ。


 航が覚束無い足取りで立ち上がる。ウルは手を差し伸べたが、弾かれる。誘拐されて救出されるという失態に、航の山より高いプライドは傷だらけだ。


 此処で感謝して手を取るなら、それはもう航ではない。


 航は辺りを観察して言った。




「此処も魔法か?」

「恐らくな」




 ウルは溜息を吐き、懐から明かりを出した。

 オレンジ色に発光する火の玉である。万一に備えて用意していた魔法具の一つだった。


 空間型の魔法は、内部からの攻撃に耐性がある。突破するには外部の協力が必要だ。残されているのが魔法の使えない昴と湊だと考えると、望みが薄い。


 索敵が無意味になるような広大な空間だ。外部からの破壊を狙ったとしても、相応のエネルギーが要る。航の突破力ならば可能だったかも知れないが、閉じ込められてしまってはどうしようも無い。


 敵は自分たちのことを研究している。無差別的な犯行ではなかったのだ。この街に来た時から向こうの掌の上だった。否、もしかすると、この街に来ることも策略たったのかも知れない。


 情報戦か。

 ウルは胸の内に呟いた。元々諜報部隊の出身だ。情報の重要性は痛い程に理解している。この状況を招いたのは自分の詰めの甘さだ。ウルが猛省していると、航が言った。




「行くぞ」

「出口が分からないんだぞ」

「迷ったとしても、立ち止まっているよりはマシだ」




 火の玉に照らされた航は、感情を押し殺したような無表情だった。ウルは溜息を呑み込み、立ち上がって歩き出した。


 転げ落ちそうな坂道を注意深く進むと、分かれ道があった。念の為に索敵したが、やはり出口は無い。ウルは火属性の適性が無い。魔法具に充填された魔力が尽きれば終わりだ。火の玉は足元を照らすだけで、道標にはならない。


 しかし、航は怖気付いたり、躊躇ためらったりしない。迷った時には直感を信じると言って、航は小さな灯火を頼りにぐいぐいと進んだ。


 どのくらい洞窟を彷徨ったのか分からない。足は棒のようになっていた。二人が疲労感に歩調を緩めた頃、それは現れた。


 初めに聞こえたのは、虚空を吹き抜けるような風の音だった。闇に紛れ、それは徐々に距離を縮める。


 

 


 逃げ場も無く、二人は身構えた。そして、次の瞬間、血のような赤い目が閃光となって走った。

 寸でのところで航が迎え撃つ。パルチザンに衝突したのは、腐った沼のような鱗の蛇だった。乳白色の鋭い牙からは液体が落下し、音を立てて岩壁を溶かしている。


 毒だ。

 航はパルチザンを旋回させ、蛇を振り払う。壁に打ち付けられた蛇の身体は、この世の果てまで続いているかのように長い。ウルは蛇の尾を探した。その先は闇の向こうへ続いている。


 足音が反響した。闇の先へ目を凝らすが、何も見えない。前触れも無く、蛇が矢のように突き出される。ウルは腰からナイフを引き抜いた。

 航が蛇を薙ぎ払う。ウルが躱す。蛇の尾は見えない。闇から蛇が生えているかのような光景に、背筋が冷たくなる。


 毒液によって異臭と瘴気が立ち昇る。

 何だ。何だこの気味の悪さは。くすくすくす。笑い声が聞こえる。蛇が這い、のたうち回る。


 くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。


 本能的な恐怖が身体を縛り付ける。


 くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。


 笑い声が聴覚を支配し、思考回路がまともに動かない。まるで闇が牙を剥いて襲い掛かって来るようだ。


 くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。


 航のパルチザンが蛇の頭を貫く。耳障りな奇声と青い血が撒き散る。その時、ウルは闇の中に白濁した二つの眼球を見た。


 何かが来る。何か恐ろしいものが。

 何かが来る。何か悍ましいものが。


 くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。くすくすくす。




「ーーウルッ!」




 航の悲鳴に似た怒声が響く。

 ウルは、はっとした。足元は蛇の群れに埋め尽くされていた。それがウルを呑み込む刹那、航のパルチザンが岩壁ごと薙ぎ払う。


 喉笛へ噛み付こうとする蛇を躱したウルは、違和感に戦慄した。泥濘にでも嵌ったかのように、足が動かない。恐怖によるものでは無い。


 両足に蛇が巻き付いている。足首、脹脛ふくらはぎ大腿だいたいへと迫り、蜷局とぐろを巻く。ウルの両足は痺れたように動かなかった。痛みは無い。感覚そのものが消えている。

 蛇の群れが取り囲む。航が顔を歪め、蛇を蹴散らす。闇の奥、小さな火の玉に照らされた人影が見えた。


 死人のような白い肌。赤い唇は耳元まで避け、鋭い牙がびっしりと生えている。乞食のような衣服の醜女しこめでありながら、それは蛇の女王として凛然と君臨していた。




「メデューサだ」




 航が、呆然と言った。

 人の形を取りながら、その頭髪は生きた蛇で出来ている。異形の化物だ。魔法界では、その化物を魔獣、或いはゴルゴーンと呼んだ。


 ウルは心が毟られるような焦燥を抱いた。

 ゴルゴーンの白い眼球はウルを捕らえて離さない。両足の痺れは徐々に身体を侵食し、一歩も動けなかった。


 ゴルゴーンの顔を見た者は石化する。ウルも例外ではない。

 ウルの身体は音を立てて石化して行く。辛うじて動く口で、ゴルゴーンの情報を伝えようとした。だが、ウルが声を発する前に石化は喉を覆い、声も気力も呼吸さえも奪っていた。

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