⑼宣戦布告

 昴は、湊と航が激しく殴り合うのを黙って見ていた。ベガばかりが責めるような眼差しで睨んで来たが、止めようとは思わなかった。


 多分、この二人はこれで良かったのだ。

 他の誰が諭しても、絶対に納得しない。賢い彼等には大人の正論なんてものは、一つも響かない。


 彼等を育てて来た両親を想う。

 和輝とその妻は、惜しみない愛情の中で、彼等を何より大切にして来た。その上で、激しい喧嘩を宥め、時には見守り、自己確立を促して来たのだ。


 昴は、彼等に魔法界の未来を見た。


 引き金を引かせない、救済を必要としない社会。

 和輝の語った理想論が、目の前に凛然と現れる。それは真夜中に虹が架かるような奇跡なのかも知れない。けれど、子供の彼等が血塗れになってでも証明したものを、自分達が簡単に諦めて良いはずが無い。


 互いの手当てを手際良く済ませた二人が、悪態吐きながら頭を突き合わせて作戦会議を始める。

 当初の目的は果たせなかった。このままでは徒労に終わってしまう。しかし、二人は足を止める間も無く次へ向かって進み出している。


 昴は作戦会議に割って入った。

 このまま何も出来ず、見ているだけの被害者ではいたくない。これは彼等の問題ではない。当事者は、昴だ。




「宣戦布告しよう」




 意を決して昴が言うと、航は呆れたように眉を下げた。まるで、当たり前のことを言うなとでも言いたげだ。


 負けず嫌いな航が、このまま黙っているはずも無かった。彼は決勝戦まで駒を進めながら、意に反した不戦敗のレッテルを貼られたのだ。それは惨敗を喫した湊も同様だった。

 徹底抗戦は、彼等のモットーなのだから。


 希望の残照が、朝日と共に差し込む。

 ヒーローの遺した光が、魔法界を照らす。そんな未来が、昴には確かに見えたのだ。









 12.かたちなき正義

 ⑼宣戦布告










 決勝戦までの試合を消化した闘技場は興奮に沸いていた。予定調和的に勝ち進んだシリウスをたたえる表彰式は、舞台の演目を見ているようで滑稽だった。

 何も知らない観客ばかりが歓声を上げている。中央で賞賛されるシリウスは冷たい眼差しをしながら、仮面の笑顔でそれを受け入れていた。


 昴は、闘技場を抱く観客席の上にいた。神の視点で見下ろしていると、魔法界そのものが誰かの筋書きの上を歩んでいるように思える。


 ロキもこんな気持ちだったのかな。

 昴は、トリックスターのエレメントを思い出していた。結末の決められた演劇を、永遠にも等しい時の中で眺め続ける。自分ならば堪えられない。だからロキは、それはつまらない、他の結末を見せろと、酔っ払いの野次みたいに一石を投じたのかも知れない。




「準備は良い?」




 湊は頬に大きなガーゼを貼って、不敵な笑みを浮かべていた。その手には青い洋弓が握られている。

 昴が頷くと、湊は弦を引き絞った。照準は闘技場中央、いけ好かないシリウスだ。


 空気を切り裂く微かな音がして、青い閃光が一直線に走った。昴にはそれが流れ星のように見えた。

 湊の放った矢は、正に司会者がチャンピオンから一言頂戴しようとしている場面に突き刺さった。予想だにしていなかった闖入者に会場は竦み上がった。


 愚かな観客が、混乱の中で射手を探して声を上げる。大勢の観客よりも一呼吸早く、シリウスの金色の眼がじろりと此方を見た。昴は睨み返すつもりで真っ向から対峙する。


 観客の一人が、昴達を指差した。




「あいつ等だ!」

「あれは、トーナメントに出ていた子供じゃないか」

「チャンピオンに惨敗したミナト?」

「尻尾巻いて逃げたワタル?」




 観客の言葉に、航が目を釣り上げる。


 俺は逃げてねぇ。

 蛇蝎だかつの如く観客を睨み付ける航は、未だに不戦敗扱いになったことに腹を立てている。


 憤る航を片手に宥めながら、昴は一歩前へ進み出た。




「僕は、昴。王家に名を連ねる犠牲の魔法使いだ」




 昴が告げると、騒めき立っていた観客は動揺しながらも聞き入る体勢を取った。




「魔法界は今、終わりの無い戦乱にある。これから大勢の罪無き命が権力者に搾取され、尊厳は踏み躙られる混沌の時代が訪れるだろう。誰も無関係ではいられない。犠牲になるのは貴方かも知れないし、貴方の家族かも知れない」




 水を打ったような静寂の中、昴の声だけが凛と響き渡る。ウルの魔法効果だ。空気を媒介として、声を拡声器でも通したように拡散させる。


 この声が何処まで届くのかは分からない。闘技場の中だけかも知れないし、街中に伝わっているのかも知れない。けれど、少なくとも闘技場の中にいる王の軍勢と革命軍には届く。




「凡ゆる希望は絶たれ、矜持は失われ、人々は家畜のように管理される。僕等は、戦わなければならない。愛する者の為に、信念を持って剣を取り、弱肉強食に支配される世界に、立ち向かわなければならない」




 昴の言葉は、彼等にどのように届くのだろう。

 侮蔑、諦念、憤怒、憎悪。凡ゆる負の感情の中にあっても、昴はそれを受け止めなければならなかった。




「王家の庇護は絶対ではないし、革命軍の謳い文句はまやかしだ。彼等は命を代替出来るものと看做し、犠牲を強いている。頭が挿げ替わったところで、歴史は繰り返される。この魔法界に於ける最大の悲劇は、貴方達がそれを当たり前と受け入れ、疑問すら抱けないということなんだ」




 漣のような動揺が広がって行く。

 昴は声を上げた。




「人の命は代替出来ない宝だ。人には己の生き方を択ぶ権利がある。僕等は支配者の無い世界を目指し、人の命を踏み台にする王族と革命軍に弓を引く第三勢力として名乗りを上げる」




 これは、宣戦布告だ。

 第三勢力の登場は、更なる争いのきっかけとなり、大勢の血を流すことになるかも知れない。だが、これは僕等のレジスタンスだ。王族や革命軍に選べない答えを、自分達なら選べる。弱肉強食と犠牲による統治を引っ繰り返す為の一石なのだ。


 上出来。

 湊がそっと笑った。衆人環視の素人演説だ。昴も思い切ったことをしたが、その横で笑っていられる双子もまともではない。


 その時、観客席から低い声が上がった。




「お前の話には根拠が無い! 王族や革命軍と何が違う!」




 声の方向を見てみると、見覚えのある男がいた。

 カルブだ。航が辛勝した対戦相手だった。毒々しい赤紫色の髪の大男は、猛獣が唸るようにして睨んでいる。

 大方、決勝戦を不戦敗した航が気に食わず、野次を飛ばしているのだろう。


 弾かれるように航が言い返そうとするのを、寸でのところで湊が押さえた。此処で感情に流されて台無しにされては敵わない。

 どうどうと馬を往なすように宥めながら、湊は言った。




「この世に絶対なんて無い。あんたは、勝敗の決まった戦いにしか乗らない臆病者なのか?」




 臆病者と言われて、黙っているカルブではない。

 航と対戦した時のように襲い掛かって来たら堪らない。昴が内心ヒヤヒヤしていると、航が挑発的な笑みで言った。




「この世で一番面白いのは、弱者が強者を打ち倒すジャイアントキリングが起こった時なんだぜ」




 この二人は、本当にどうしようも無い。

 昴は平静を装いながら、豪胆な二人の子供に呆れていた。根拠も勝算も無い戦いだと暗に認めているにも関わらず、信じてみたくなる何かがある。彼等は間違いなくヒーローの息子だ。


 もう限界だな。

 昴は掌を翳した。其処から広がる魔法陣は白亜に輝く睡蓮の花に似ていた。

 犠牲の魔法だと察した観客が色めき立つ。巻き込まれては敵わないと逃げの姿勢を取る観客の中で、昴はそれを空へ向けた。


 昴は魔法を制御出来ない。練度を重ねれば可能なのだろうが、人の命が懸かっている以上、安易に多用は出来ない。

 真っ白な魔法陣が闘技場を支配する。発動はしない。これは、昴が犠牲の魔法使いであると証明する最大限の譲歩だ。見るべき人が見れば疑う余地は無い。現に、闘技場にいる実力者の中にはその意味が分かったようだった。




「僕等は仲間が欲しい。王族支配を覆し、革命軍の暴虐を止め、肩を並べて歩けるような力強い仲間が欲しい」




 熱を帯びた風が吹き抜ける。――これは湊の入れ知恵なのだが、集団を煽動することは容易い。神秘体験を共にすることで人は都合の良い解釈をする。

 大切なのは、演出だ。昴が毅然と立ち向かえば、人は其処に根拠を見出す。騙しているようで居心地悪くはあるが、嘘は一つも吐いていない。


 種は蒔いた。

 収穫に備えて手入れをして、見守るしかない。

 きっと届く。昴の横には、子供ながらに魔法使いを相手に善戦を繰り広げたヒーローの息子がいる。




「お前等は何者なんだ!」




 それまで放心状態だった司会者が怒鳴り散らした。

 名乗っていなかったことを思い出し、昴は首を捻る。

 自分達は何者なんだろう。王族でも革命軍でもない第三勢力。僕等は。




「正義の味方かな」




 昴が言うと、双子が揃って笑った。

 馬鹿馬鹿しい。けれど、可笑しくて堪らない。


 三人の足元が光った。

 転移魔法だ。退却に備えて待機していたウルの魔法陣は、淡い光の中で幻想的に煌めいていた。


 開催者側の追求を待たず、昴達は光の中に消えて行った。最後に見えたシリウスの氷のような冷たい眼差しが、網膜に焼き付いていた。


 三人が転移した先は、スコーピオの郊外にある砂漠だった。灼熱の太陽が容赦無く肌を焼き、遠くに陽炎が滲む。


 昴は、未だに自分のしたことが信じられなかった。王族と革命軍を相手取って、原稿も無い演説を自分が行ったなんて信じられない。


 やれば出来るもんだな。

 何故か腹の底から可笑しさが込み上げて来て、昴は笑った。釣られるようにして湊が噴き出し、結局、航もウルも腹を抱えて笑った。




「何だよ、正義の味方って」




 責めるような言葉でありながら、ウルは親指を立てて褒めていた。

 自分達を導いたのはヒーローだった。例え、彼がこの世にいなくて、もう二度と会えないとしても、その事実は変わらない。そう思ったら、自然とそんな言葉が出ていた。


 暫く四人で笑い合っていた。

 湊と航は笑いの波が引いて行くと、いつに無く凪いだ声で言った。




「俺達、人間界へ戻るよ」




 湊が言った。隣で航も頷いていた。朝方まで殴り合いの激しい喧嘩を繰り広げたとは思えない穏やかな様子だった。


 昴は止めなかった。二人がそう言うことが解っていた。魔法界には彼等が必要だ。しかし、彼等はまだ子供で、此処は彼等の居場所じゃない。これ以上、巻き込む必要は無い。


 ウルは何処か寂しそうな笑みを口の端に浮かべていた。

 転移魔法なら可能だが、異世界への転移となるとウルには難しい。そればかりはエレメントを頼らなければならない。


 強い決意を滲ませて、航が言った。




「やらなきゃいけないことがある」




 そうだな。

 昴は答えた。


 彼等にはやるべきことがある。二人は説明しなかったが、昴にもそれは解っていた。


 ヒーローは、どうして死んだのか。

 何の為に命を懸けたのか。

 何を成し遂げたのか。


 彼等にはそれを知る義務がある。待ち受けるものがどれ程に不条理で理不尽な悲劇であったとしても、それを確かめる責任があった。

 徹底抗戦がモットーの彼等の出す結論がどんなものであったとしても、それは昴の介入する問題ではない。


 ウルは顔を上げた。




「じゃあ、取り敢えずはウンディーネの泉へ移動するか」




 足元に魔法陣が広がる。ウルは卒なくこなすけれど、見ている以上に高度な技術が要求されるはずだ。

 転移魔法なんてそもそも反則技に等しい。ウルは何者なんだろう。信頼はしているが、嘗て革命軍の勧誘を受けたという彼がただのコソ泥とは思えない。


 転移の寸前、皮肉っぽくウルが言った。

 



「クソ生意気なお前等の泣きっ面がおがめなくて残念だ」




 そうだ。この双子は泣かない。

 どんなに辛い劣勢で、どんなに苦しい状況の中でも、涙一つ見せなかった。それは彼等のプライドなのだろうと思っていた。


 泣かねぇよ。

 航が吐き捨てる。二人は声を揃えた。




「俺達が泣いたら、親父の死はになる」




 ああ。

 昴はそれを聞いて、誇らしいような、泣きたいような虚しさを感じた。まだ十歳其処等の少年が、肉親の死を前にして泣かなかった理由。


 いつか、彼等が声を上げて涙を流せる日が来ると良いな。自身の身に降り掛かった悲劇を嘆いて、身も世も無く泣き喚くような日が来ると良い。


 本来ならば、そんな状況は望むべきではない。しかし、彼等はまだ子供だ。何もかもを受け入れろとは思わないが、自分の境遇に涙を流すくらい許されたって良いはずだ。


 凛と前を見据える二人には、強い意志がある。それはヒーローと同じだ。他者評価を求めない彼等の意志を変えさせることは出来ない。もしも、出来るとしたら、それは朝日の中で殴り合った二人だけなのだろう。


 ウンディーネの泉へ行くと、状況を察したエレメントが出迎えてくれた。助力は惜しまないと誓った神の代行者だ。ロキも其処にいた。


 随分と久しぶりに会った気がする。

 色々と積もる話もあるが、兎も角、今は二人を家族の元へ帰してやりたい。


 異世界転移。渦を巻く水面を眺めて、湊は洗濯機みたいだと笑った。

 嘗て、ヒーローも同じことを言った。そして、航もそう言った。彼等は間違い無くヒーローの息子だった。




「元気でやれよ」




 生前のヒーローと交わした最後の約束をなぞって、昴は言った。転移寸前の二人は振り返り、照れ臭そうに笑った。




「またね」




 さよなら、ではない。

 もう二度と会えないかも知れないと思っていたが、彼等としてはそうではないのだろう。人間界側からの転移は不可能にも思えるが、彼等ならやってしまいそうな気もする。それはそれで、正直、不安だ。


 水面に吸い込まれて行く二人を見送り、昴はヒーローのことを思い出していた。

 ヒーローの残したものが何だったのか知りたいと思うが、今の昴にはやるべきことがある。


 寂寞せきばくに胸を締め付けられながら、昴は後ろで見守っていたロキへ向き直った。あの二人が死ぬかも知れないという窮地にありながら、結局、彼等は何もしなかった。苛立ちもあるが、魔法界と精霊界にはいにしえより不干渉の盟約があるのだ。


 相変わらず、何を考えているのか解らない顔でロキは笑っている。昴は溜息を一つ零した。




「これからの話をしよう」




 彼等は前へ歩き出した。昴も進まなければならない。

 静かに凪いで行く泉へ背中を向けて、昴は歩き出した。

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