⑹意味を与えるもの

 が見付かった。


 圧死、出血多量、窒息、焼死、中毒死。死因は様々なれど、全てはあの災害にも似た襲撃による犠牲者だった。その数は二百人を超え、未だに身元確認の取れない遺体が無数にあった。


 世間では地震ともガス爆発とも、犯罪組織によるテロ行為とも報道されている。だが、故人に縋り泣き叫ぶ遺族は、その理由を知ることも無い。原因不明の大災害。それが世間の下した最終的な結論だった。


 そして、不可解なことがもう一つ。


 病院の瓦礫の中から見付かった遺体は、皆一様に、どれもが達磨だるまのように四肢を損失していた。腕を引き千切られた者もいれば、爆発によって焼失した者もいた。


 その血腥ちなまぐさく凄惨な共通項は世間の恐怖をあおり、これはおごり高ぶった人間に対する神の鉄槌なのだとオカルト染みた噂が広まって行った。


 あの襲撃から三日が経った。

 昴は、根拠不明の報道をテレビで見ていた。早口にまくし立てるアナウンサーの表情に、昴は遣り切れない虚しさを感じていた。

 溢れ出す悲哀と嘆きは、先日の比ではない。続け様に医療施設が襲撃されたという事実は世間の義憤を煽る。


 病室は、テレビの音声だけが騒ぎ立てていた。

 白亜に染まった個室には、和輝が穏やかに眠っている。あの襲撃で救出された唯一の被害者だった。奇跡的な生還は、執拗しつようなマスコミの格好の餌食であった。彼は世間から隠すように地方の病院へ収容され、意識を取り戻した今も療養の身である。


 指先まで包帯に覆われているが、その怪我は全てが軽傷であった。以前の襲撃で負った筈の怪我は、何事も無かったかのように消えている。


 昴には、或る懸念があった。

 四肢を損失した二百以上の遺体――。

 あの怪我は、だった。彼は確かに日常生活に支障を来すような四肢の怪我を負っていた筈だったのだ。


 昴は、和輝を助ける為に魔法を行使した。それがどんな影響をもたらすのかなんて考えもしなかったし、きっと同じ場面に遭遇したとしても、同じ選択をしたと思う。


 こんな事は妄想だ。あの時体験したものが夢だった可能性だってある。だが、遺族の慟哭どうこくや故人の無残な遺体を見ていると、罪悪感に押し潰されそうになる。


 自分は選んだのだ。

 大勢の涙と引き換えに、和輝たった一人を。


 昴は両手を見下ろした。もしも、この仮定が真実ならば、自分は二百人以上を勝手な理由で殺したことになる。この手は、血塗れだ。


 透明人間は、忠犬のように和輝の側を離れない。




「あの時、何があったのか俺には分からない」




 葵が唐突に言った。




「だけど、和輝を失う以上の最悪の事態なんて俺には無かった」




 慰めてくれているのかも知れないが、笑う気力も無かった。

 その時、音も無く扉が開かれた。葵がはっとして振り返り、身構える。だが、其処にいたのは、燃えるような赤い髪を揺らしたロキだった。


 あの襲撃の後、ロキは姿を消した。その前もだ。彼は神出鬼没で、昴の前に現れたのは三日振りだった。


 彼が今まで何処に行っていたのかなんてことはどうでも良い。だが、昴は彼に訊かなければならないことがあった。




「ロキ、教えてくれ」




 ひざの上で、拳を握る。

 自分には失った記憶がある。取り戻したいとは思わなかった。けれど、知らないままでは済まないのだと、分かった。




「お前は、僕は何者なんだ。――王の器って、何のことだ」




 矢継やつばやに問い掛けると、ロキは観念したように深く溜息を吐いた。ロキが答えるより早く、葵が席を立った。




「場所を変えよう。お前等が何者で、何があったのかなんてどうでも良いが、――和輝には、聞かせたくない」




 そう言って、葵は部屋の外へ促した。


 昴は黙って部屋を出た。廊下は人払いでも掛けたように都合良く無人であった。中天の日差しが窓から差し込み、リノリウムの廊下を淡く照らしている。


 葵は腕を組んで扉に背を預けた。それは、病室への侵入を阻む番人のようでもあった。二度も巻き込まれた手前、和輝の側を離れる訳には行かないのだろう。


 昴が先程の問いを繰り返す前に、ロキが口を開いた。最早、何も隠す気は無いようだった。




「魔法使いとは、お前等の認知する現実とは別の次元に存在する種族だ。同じ世界で生きているが、お前等には魔法使いの存在を認知することは出来ない」

「仮想現実」

「或いは、そうだな」




 葵の言葉を、ロキが曖昧に肯定する。

 脳は凡ゆる情報を収集しながら、記憶として再構成する。その中で取捨選択を繰り返し、切り捨てられた情報は認知されない。


 人は、信じたいものしか信じない。常人は魔法の存在を認知出来ないのだ。だが、僅かにそれを認知する種族が存在する。それこそが魔法使いだと言う。




「魔法使いは、お前等とは異なる社会を形成している。それは能力至上の弱肉強食のヒエラルキーだ」

「能力の有無で決まるのは、俺たちも同じだ」

「否定はしないが、魔法使いの世界はその差が顕著けんちょだ。倫理や道徳においては、お前等が想像するよりも血腥ちなまぐさく陰湿だ。力の無い者を殺害したとしても、取り締まる法が無いからな」

「無法地帯って訳か」

「そうさ。だが、さっきも言った通り、魔法使いは実力社会だ。強者こそが正義。その強者次第だ。魔力は血筋に宿る。強力な魔力を持つ一族を、俺たちは王族と呼んでいる」




 魔法使いとは、賢者のような存在であると思っていた。けれど、それは話に聞く限り、もっと醜悪しゅうあくで低俗な人間臭い姿であった。抱いていた理想ががらがらと崩れ落ちて行くような、言い知れぬ虚しさが胸に残る。


 人は、力を持てば他者を支配しようとする。その結果が、弱肉強食のヒエラルキーなのだろう。




「昴は、その王族の末裔まつえいだ」




 突然、自分の名前が出て来て驚いた。

 葵は既に察していたかのように、驚きもしなかった。




「こいつが狙われるのは、王位継承の権力争いか」

「言ってしまえば、そうだな。昴は先代の王のめかけの子だった。だが、王族にのみ許された強大な魔力を持って生まれた」

「何だよ、その強大な魔力って」

「王族が王族と呼ばれるまでに至った特殊な魔法だ。その構造は、対価交換。犠牲の数だけ、力を増す」




 昴は唇を噛み締めた。


 魔法とは、もっと壮大で美しいものだと信じていた。闇の中に一筋の光が差し込むような奇跡の力だと思っていた。だが、その本質は対価交換。


 つまりあの日、昴が展開した魔法は奇跡なんかではなく、和輝と引き換えに大勢を犠牲にしただけなのだ。仮定が現実となり、昴は胸が潰れるような痛みを覚えた。


 自分が、彼等を死なせた。


 葵が、場所を変えようと言った意味がその時になって分かった。和輝の命と引き換えに、大勢の罪の無い人間が死んだなんて、知られたくない。しかも、それは彼自身が望んだことではなかった。


 泣き叫ぶ遺族も、凄惨な遺体も、世間の恐怖も、全ては昴の存在が引き起こした。昴が此処にいなければ、襲撃されることも、和輝が巻き込まれることも無かった。




「その魔法は、本来継承されるべき正当な嫡子ちゃくしではなく、妾の子である昴に発現した。その為に、昴は権力争いの道具として幽閉されていた。そして、――俺は昴を脱出させた。追手から逃す為に記憶を消し、人間社会へ隠した」




 辻褄つじつまは、合っている。

 昴は問い掛けた。




「どうして、僕を助けたんだ」

「こんなところで死なせるには、惜しいと思ったからね」

「お前は、一体――?」




 ロキが何かを言おうとした時、扉の向こうから声が聞こえた。寝起きの掠れるような声は、確かに葵を呼んでいた。


 和輝だ。目を覚ましたのだろう。

 葵は溜息を吐いた。




「……到底信じられる話ではないし、納得出来ないこともある。でも、この話は一旦終わりだ」




 追及した割に、葵はあっさりと言った。昴は肩透かしを食らったような心地だった。


 葵が、仄暗い水の底のような目で睨んでいた。




「和輝には、何も言うな」




 葵はくぎを刺すように言って、身をひるがえした。

 ふと横を見るとロキは跡形も無く姿を消していた。昴はたまれなさに背を丸くしながら、葵の後を追った。








 2.レゾンデートル

 ⑹意味を与えるもの









「寝過ぎて頭が痛い」




 窮地から奇跡的な生還を果たしたヒーローは、相変わらずの呑気さで顳顬こめかみを揉んでいた。


 テレビの電源は落とされている。

 葵が消したのだろう。今の和輝には、何も知られたくないからだ。


 和輝は安楽な顔をしているが、自分が五体満足であることを不思議そうにしていた。当然だ。彼は四肢に大怪我を負って入院していたところで、襲撃に巻き込まれたのだ。




「テレビが見たいな」

「このテレビは壊れているんだ」




 手元の雑誌に目を落としながら、葵が平然と嘘を吐く。和輝は一言だけ「そうなのか」と言って窓の外を見た。


 彼は人の嘘が分かると言う。

 どうして追求しないのか、昴にはよく分からない。


 みがかれたような透き通る美しい蒼穹だった。春の日差しが降り注ぎ、先日の事件など、悪い夢だったのではないかと思ってしまう。


 その時、和輝がぼんやりと遠くを眺めながら、言った。




「……俺さあ」




 葵が視線を上げた。和輝は窓の向こうを見ている。




「あの時のこと、よく覚えてないんだ」

「ああ」

「でも、覚えていることが一つあるんだ」




 嫌な予感がした。

 御人好しでいい加減な癖にかんの鋭い彼が、何を言い出すのか予想も付かない。

 和輝は仮面のような無表情だった。




「あの時、目の前に子供がいたんだ。たまたま俺の病室に迷い込んで、仲良くなって、ベッドの上で遊んでた。難病をわずらっていて、ずっと病院暮らしの闘病生活だって言っていた。……俺は、約束したんだよ。病気が治ったら、一緒にキャッチボールしようって」




 その眼差しは遠くを見詰め、やけに透き通って見えた。消えてしまいそうな儚さで、和輝は淡々と続けた。




「そうしたら、事故に巻き込まれた。俺は咄嗟とっさにシーツごとあの子を抱え込んだんだ」




 その言葉に、昴は和輝を発見した時のことを思い出した。確かに、あの時、和輝はシーツに包まっていた。




「でも、目を覚ましたら、あの子はいなかった。……なあ、俺はあの子を、助けられなかったのかな」




 其処でようやく、和輝が葵を見た。

 人形のような無表情で、葵は答えた。




「分からない」

「生存者は」

「崩落に巻き込まれて助かったのは、お前だけだ」




 無慈悲にも、葵が言い捨てる。

 昴は口を挟むことが出来なかった。


 あの時、和輝は目の前の子供を守ろうとしたのだ。そして、昴は和輝を助ける為に大勢を犠牲にする魔法を使った。


 建物の崩壊に巻き込まれた人間は、例外無く犠牲として死亡し、その遺体の四肢は損失した。恐らくきっと、その子も犠牲となって死んだのだ。


 和輝は「そうか」と短く相槌あいづちを打って、独り言みたいな小さな声で言った。




「助けたかったな」




 そうだな。

 目を伏せたまま、葵は言った。


 昴は、全てを打ち明けるべきか迷った。和輝に罪は無い。罪悪感を抱く必要すら無い。もしかしたら、和輝はその子を守ることが出来たのかも知れない。その可能性を奪ったのは、他ならぬ昴だった。


 昴が何かを言おうとすると、葵が鋭く睨み付けた。

 何も言うなと、脅し付けるように。


 葵はすぐに目を逸らして言った。




「今は、生きていることを喜んでおけよ。そんな顔をされる俺たちの気持ちも考えろ」

「うん」

「後悔するのなら、いましめにしろ。それは自分の身一つ守れなかったお前の未熟さだ」

「分かってるよ」




 和輝が泣き出しそうに笑って、目を伏せた。

 辛辣しんらつではあるが、的を射ている。そして、葵の言葉はきっと慰めなのだろう。


 ふと、葵は昴を見た。




「本来、生死そのものに意味は無い。死者に意味を与えるのは、生きている人間だけだ」




 葵は視線を逸らすことなく、真っ直ぐに昴を見ていた。鋭い眼光が、まるで刃のように切り捨てる。







 それは和輝に言い聞かせているのではない。

 葵は昴に言ったのだ。


 後悔するのなら、戒めにしろ。

 犠牲者を無意味にするな。


 葵の言葉が頭の中でくるくると回る。

 嫌なことは考えたくない。怖いことからは逃げ出したい。けれど、この言葉を忘れてはならないと思った。


 ヒーローの後悔も、透明人間の戒めも、胸に刻み、教訓としていつでも思い出さなければならない。


 昴は唇を噛み締めた。微かに感じる血の味が、皮肉にも生きているということを嫌でも知らしめた。

 苦い後悔が沸き立つ中で、和輝が昴を呼んだ。




「昴」




 泣き笑いのような、何かを堪えるような顔で和輝が笑った。いつもの完全無欠な美しい笑みではない。まるで、傷付いた子犬みたいだった。


 不甲斐無さに、意味も無く叫びたくなる。こんなものは望んでいなかった。求めていなかった。目の前のヒーローが、何もかもを受容するかのように温かく微笑む。


 大勢の犠牲と引き換えに昴が守ったのは、傷付いたヒーローたった一人だ。そして、ヒーローは目の前の一人すら守れなかった。


 和輝が、言った。




「助けてくれて、ありがとう」




 昴は、返す言葉が無かった。

 彼は何も知らない筈だ。けれど、何かの確信を持ったその言葉は、一滴の水がおびただしい波紋を起こすように、昴の胸の中に染み込んで行った。


 きっと、彼は今まで大勢の人間を救い、そして、救えなかったのだ。それでも、人を救いたいと願い、此処にいる。


 昴には、何故だかそれが、とても尊いものに見えた。


 お前なんてさっさと寝ちまえ。

 葵が吐き捨てる。和輝は幼子の癇癪かんしゃくなだめるようにして、どうどうと往なしていた。


 目の前のいる彼等はあの日、昴が初めて守ったものなのだ。後悔しても後悔しても、吹っ切れる日は来ないと思う。けれど、彼等が笑っていられることを無意味にしてはならないと、思った。

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