第39話 持ち物検査
私はヤバい『アレ』をある場所に隠し、教室のある新校舎の2階に戻って来た。
「多分、取られないよね? 見つかっても私のだってバレたりしないよね?」
不安が隠せない私に、河野さんは白けた様子で肩を竦めた。
「あんなもの、誰も取らないよ。てか校則違反でもなくない?」
「だって。東先生だしさ」
「それはまあ分かる」
河野さんは立ち止まり、私に向かって敬礼した。
「じゃ、健闘を祈る!」
「うん。頑張る」
私達は互いに頷き、それぞれの教室に向かった。気合を入れて教室に踏み込んだ途端、誰かが近づいてくる気配がした。
「あの、渡辺さん。その」
戸村君だ。何かを言いたげにしながら、苦しそうに口ごもっている。その様子を怪訝に思っていたが、すぐに察した。
――私のこと、知っちゃったんだ。
私はなぜか寂しさを感じながら、静かに微笑んだ。
「おはよう」
「あ。あ、おはよ……」
戸村君は消えそうな声であいさつをして、何かを迷いながら戻っていった。男子が何やら冷やかしているのを横目で見つつ、私は窓際最後尾の自席に鞄を置く。
いつものように窓の外を見やると、グランドが真夏の太陽にじりじりと熱されていた。暑い風がこちらに流れ込み、不快感に顔が歪む。
「起立」
戸村君の号令が聞こえ、私も周囲も前を向いて立った。
が。現れた東先生の姿に、私は目が点になった。目の吊り上がった濃いメイク、濃いグレーのパンツスーツをジャケットまできっちり着こなして、いつもより更にヒールの高い室内履き。
まるで、特撮番組の悪役だ。康人が見ていたから、それくらいは知っている。
「気をつけ!全員そのまま!」
東先生は怒鳴るように命令した。そしてスーツの胸ポケットから銀色の指示棒を忙しなく取り出し、一気に伸ばした。
それを、教卓の上に力いっぱい叩きつけた。男女を問わず、生徒数名がびくりと身を震わす。
「今から持ち物検査をします!全員今すぐ鞄を開いて、机の上によく見えるように置きなさい!」
――佐野先生の言った通りだ。
周囲はざわつき戸惑っている。良くないものを持っているのか、何かを手にこそこそと辺りを窺う人があちこちにいる。
やっぱり『アレ』を隠してよかった。私はひとまず安堵しつつも、すぐに気を引き締めた。今日の東先生は以前にも増して攻撃的だ、些細な事で揚げ足を取られかねない。
東先生は、廊下側一番前の席からチェックを始めた。持ち物の内容だけではなく、制服の着方、髪の長さ、スカートの長さまで細かく確認している。
「あなた、こんな髪型が許されると思ってるの!」
襟足が少し長い男子の頭を、東先生は伸ばした指示棒の先でぐりぐりといたぶっている。持ち物検査の開始から既に10分近く経っているのだが、終わったのは10人にも満たない。
強い緊張と教室の暑さで、私の頬を汗が伝っていく。まったく、いつまでこうして立っていなければならないのだろう。
と、私の少し前に立つ女子が少し揺れたように思えた。気になってしばらく観察していると、揺れが次第に大きくなっているように感じる。
声をかけたいが、私は彼女と話した事がない。どうしようかと思い悩んだ私は、隣の男子の肩を叩いた。
「え、何」
男子は小声で答えつつも、少し迷惑そうな顔をした。私はさっきの女子を指さし囁いた。
「あの子、なんか様子おかしくない?」
「知らねえよっ、先生に見つかるから離れろよっ」
仕方なく男子から引き下がったその時、彼女の体が大きく斜めに倒れた。
――やばっ!
私は全力で彼女の方に駆け出して、誰かの机に背中をぶつけながら抱き止めた。
「大丈夫!?」
彼女はわずかに痙攣していた。大声で呼んでも反応がない、気を失っているのは明らかだ。
「そこ、何してるの!」
東先生の怒声が聞こえたが、今はそれどころじゃない。
私は保健体育の副読本を思い出しつつ、彼女の様子を観察する。顔が赤いし体も熱い。汗もあり得ないほどびっしょりだ。
おそらくは熱中症だとアタリをつけて、急いで応急処置を施す。頭が上になるよう抱えつつ、スカートのホックと制服のタイも外す。
「おーい、しっかりして!聞こえてる?!」
必死で呼びかける私の所に、カツカツと荒々しい靴音が近づいてきた。
「渡辺さん、またあなたなの!」
誰かの机が、指示棒で派手に叩かれた。
「すぐ自分の席に戻りなさい!訳の分からない行動はしないで!」
「この女子が倒れたから」
「戻りなさいって言ってんのよ!」
かんしゃくのように暴れる東先生に、私の中がすうっと冷めた。
――こいつに従ったら、この子が死ぬわ。
私は周囲を見渡して、東先生よりも大声で叫んだ。
「誰か!保健の先生呼んできて!熱中症で、女子生徒が一人倒れたって伝えて!あと担架も借りてきて!急いで、早く!」
しばらく沈黙が続く。畜生、やっぱり私なんかの話は聞かないか。
しかし、やや大きな返事が返って来た。
「僕が行く!」
戸村君だった。戸村君は、そのまま廊下を飛び出して行った。
私はそれを目の端で確認しつつ、周囲に次の指示を出した。
「誰かあおぐ物かして、下敷きでもノートでもいい!あと、そうだ、私のハンカチ濡らしてきて!軽く絞るくらいで、お願い!」
するとさっきの男子が、慌てて下敷きを持ってきた。私のハンカチは、名前も知らない女子が受け取って水道へと持っていってくれた。私は二人にそれぞれお礼を言って、彼女の額に濡れたハンカチを置いて、下敷きで扇ぐ。
「渡辺さん聞いてるの!先生を無視して勝手な事をしてはいけません!」
やかましい東先生をきっぱりと無視して、私は彼女に呼びかけ続ける。
「おーい、君。いやアナタ?聞こえるー?」
「その子、カシワギユウっていうの」
女子の誰かが教えてくれた。
「ありがとう。カシワギさん、起きてー、反応してー」
「ユウ、聞こえる!?しっかりして!」
辺りから、いくつもの彼女の名前を呼ぶ声がする。しかし彼女は目を開けない。もしかしたら、結構な重症なのだろうか。
「みんな大袈裟にしないで!ただの貧血でしょう!」
東先生がそう叫んだ直後、教室の外からバタバタという足音が駆けこんできた。
「渡辺さん!」
担架を抱えた戸村君と、白衣を着たお姉さん。保健の先生だ。
私は戸村君に頭を下げ、すぐ保健の先生に向き直った。
「10分ほど立たされた後で、急に倒れました」
「そう。この処置は誰が?」
「私です。顔が赤いし体も熱いから、熱中症の可能性があると思って」
「なるほどね。見立ては合ってるわ」
私はほっと胸を撫で下ろした。保健の先生は、彼女の首や手首を触り、まぶたの裏を見たりした。
「気を失ってどれくらい?」
「多分、5分くらいじゃないかと」
「頭は打ってないか分かる?」
「打ってないはずです、私が守ったんで」
「よく分かった」
保健の先生は、私の肩を2回叩いて立ち上がった。
「救急車呼ぶから、このまま動かさないでね!」
「分かりました!」
保健の先生は、ほぼ全速力と言っていい状態で教室を飛び出して行った。
「え、嘘でしょ……そんなおおごとなの?」
東先生が、半笑いの声で呟くのが聞こえる。私とみんなは、ただひたすらカシワギ、ユウちゃんと、名前を呼び続けていた。
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