第48.5話 師匠と先輩の隠し事⑫
パチリ、パチリ、パチリ…………
部屋の中に、駒音が優しく響き渡る。師匠と将棋を指すのはこれで何回目だろうか。僕が中学一年生の時から今まで。三年以上。もう、その数は、数えきれないほどになっているはずだ。
次の手を考え、駒を持ち、盤上に打ち下ろす。相手が考えている間に、また次の手を考える。単純なようでいて、とても複雑。そこにあるのは、僕と師匠の無言の会話。
駒を持つ師匠の手は、ほんの少し震えていた。僕と初めて将棋を指した時のように。
きっと、あの時の師匠は、必死で恐怖を押し殺していたに違いない。自分との将棋を楽しくないと思われたらどうしよう。そんな恐怖を。
今の師匠は、一体何を思っているのだろうか。
将棋が中盤に差し掛かる頃、はっきりと形勢差がついてきた。僕の玉の囲いはまだ崩されていない。だが、師匠の飛車が龍になり、遠くから僕の囲いを崩してやろうと圧力をかけている。
一方、僕はまだ、師匠の囲いに何の圧力をかけることもできていない。このままでは、防戦一方。ズルズルと攻められ、負けてしまうだろう。それでも、諦めたくない……。
パチリ、パチリ、パチリ…………
終盤、もう、僕の負けは明白だった。師匠の囲いは、一部崩れてはいるが、王手をかけられる状態ではない。だが、僕の玉は裸同然。師匠の手には、僕の玉を積ませられるほどの駒の量。ここで投了しても、全くおかしくはない。おかしくはないが、僕は、投了しない。それはなぜか。師匠と、最後まで全力で将棋を指したいからだ。
パチリ、パチリ、パチリ、パチリ、パチリ、パチリ…………。
それでも、その瞬間は訪れる。
「……負けました」
「ありがとうございました」
そう言って、僕たちは、お互いに軽く礼をした。
「完敗……ですね」
「…………」
師匠は何も言わなかった。ただ、対局の終わった盤上をじっと見つめていた。おそらく、師匠は待っているのだろう。対局前、「将棋をしてれば、何かが分かる気がする」と言った僕の言葉を。
「師匠」
「……うん」
師匠が、ゆっくりと顔を上げる。その目に映る僕は、今、どんな顔をしているのだろうか。いや、考えるまでもない。きっと、あの時と同じ顔をしているのだ。そう、初めて師匠と対局をした、あの時と。
「すごく楽しかったです!」
僕は、そんな当たり前のことを、師匠に向かって叫んだ。
僕の言葉に、師匠の目が大きく見開かれる。次の瞬間、「フフッ」という声が、師匠の口から漏れ出した。
「な、何で笑うんですか?」
「ごめん。こらえきれなかった」
「ええ……」
「……やっぱり、君は優しいね。こんな私との将棋を、楽しいって言ってくれるなんて」
師匠の顔には、いつものような穏やかな表情が浮かんでいた。
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