第36話
師匠との帰り道。学校から駅までの道のり。
「師匠と先輩って、どっちの棋力が上なんですかね?」
ふと気になったことだ。僕にとって、師匠も先輩も雲の上の存在。今まで何局も将棋を指してきたが、一勝もしたことがない。では、師匠と先輩の二人で対局をしたとすると、一体どちらが上になるのだろうか。
「…………さあ?」
僕の質問に、師匠は首を傾げる。
何だろう。今、変な間があったような……。まあ、気のせいか。
「師匠、一度部室に来て、先輩と対局して……」
「嫌」
「ですよねー」
ええ、分かってましたとも。将棋部に関わろうとしない師匠のことだ。断られるなんて、承知の上。
しかし、気になる。いっそのこと、師匠が将棋に誘ってくれた時にでも、こっそり先輩を誘って……いや、やめよう。師匠にこっぴどく怒られそうだし。何より、師匠との二人っきりの時間が……って、何恥ずかしいこと考えてるんだ僕は。
頭をブンブンと振り、恥ずかしい思考を頭の外に追い出す。
「……何やってるの?」
怪訝そうな顔で僕を見つめる師匠。
「いえ、何でも。ちょっと頭の中を整理してるだけです」
「……そう」
その言葉を最後に僕たちの会話は途切れた。無言で、テクテクと駅までの道のりを歩く僕たち。いつも通りのゆっくりとしたペース。師匠の歩幅と僕の歩幅はぴったりと重なって、不思議な統一感を醸し出している。師匠の隣を初めて歩いた時は、二人の歩幅は全く合っていなかった。でも、今は違う。コミュニティーセンターからの帰り道。学校からの帰り道。何度も師匠の隣を歩いてきた僕は、その歩幅を感覚で理解できるようになっていた。
「ねえ」
突然、師匠がそう呟いた。
師匠の方に視線を向ける。師匠は、前を向いたままだった。僕に、視線を合わせてはくれない。まるで、何かに怯えるように。
「……何ですか?」
「……君、私が、君以外の誰かと将棋を指すの、見たい?」
「え……」
思いもよらない質問だった。僕の頭が混乱する。
僕が足を止めると、師匠もつられて足を止めた。だが、相変わらず、こちらを見てはくれない。
師匠の質問にどう答えればいいのか、全く分からない。ただ、妙に取り繕った答えを言ってはいけないことだけは分かった。
「……もちろん、見たいです」
「…………」
「……けど」
「…………」
「師匠が、無理したり、苦しんだり……とかは、絶対に嫌です」
これは、僕の本心だ。将棋は、楽しんでやるものだ。無理してやるものでも、苦しみながらやるものでもない。そんな将棋、将棋じゃない。
師匠は、僕の方にゆっくりと顔を向けた。その顔には、いつものような穏やかな表情が浮かんでいた。
「将棋教室で、『将棋を指すのは嫌だ』って言う私に、将棋を指したいって頑なに主張してた人の言葉とは思えないね」
師匠の言葉に、僕の顔の温度が急激に上昇するのが分かった。
「あ、あれは……若気の至りというか、何というか……と、とにかく、そういうやつです」
「君、その年で若気の至りって……」
クスクスと笑う師匠。先ほどの師匠の様子は、もしかしたら幻だったのかもしれない。いや、そんなことはないのだが……。
「し、師匠、あの……」
「ありがとね」
「……へ?」
「さっきの言葉、嬉しかったよ」
そう告げて、師匠は再び駅に向かって歩き始めた。僕は、急いでその横に並び、いつも通り、同じ歩幅で歩くのだった。
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