第15.5話 僕の師匠④

「え? あ、あれ? なんで? 私、泣いて……」


 彼女は、自分が泣いていることにひどく困惑しているようだった。


 彼女の目からは、涙がとめどなく溢れ出る。彼女がいくらそれを拭っても、一向に止まる気配を見せなかった。


 ついに、その状態に耐えきれなくなったのだろうか。彼女は、部屋からものすごいスピードで飛び出していってしまった。


 一瞬呆気にとられていた僕だったが、ハッと我に返り、急いで彼女を追いかけようとした。だが、背後から、肩を強く掴まれ、走り出すことはできなかった。振り向くと、いつの間にか、そこには先生がいた。


「せ、先生……僕、悪いことしちゃったみたいで……あの人が……泣いちゃって……えっと……あの……ああ、もう!」


 どうにか状況を説明しようとしたが、うまく言葉が出てこない。そんな自分に腹が立ち、思わず小さく叫んでしまった。


 だが、そんな僕に、先生は優しく微笑みかけた。


「大丈夫。あの子のことは、私が追いかけるよ。君は、そこに座っていて」


 そう言って、先生は部屋からゆっくりと出ていった。


 仕方なく、僕は、先ほどまで対局を行っていた席に座り直した。


 二人が戻ってきたのは、しばらく後のことだった。彼女の目は真っ赤に腫れ上がり、長い間泣いていたことが容易に想像できた。


 彼女は、僕の前の席にストンと腰を落とした。じっと盤上を見つめ、僕と目を合わせようとはしなかった。


「あの……ごめんなさい」


「…………なんであなたが謝るの?」


「だって……僕のせいで、あなたが……」


「…………」


「…………」


 僕たちの間には、気まずい雰囲気が漂っていた。


「……ねえ、君。もしよかったらだけど、来週もここに来てくれるかな。それで、この子と一局だけでもいいから将棋を指してほしい。あ、もちろん、私が言っていたお金の話は、なしってことにするからね」


 先生は、先ほどと同じ優しい笑みを受かべながら、僕にそう告げた。


「え!! またこの人と将棋を指してもいいんですか!? やった!!」


 僕の声が、部屋全体に響き渡った。


 テンションが最高潮になるとはまさにこのことだろう。彼女とまた将棋を指すことができる。それは、僕にとって、これ以上ない喜びだった。


「……やっぱり、嘘じゃないんだ」


 彼女がボソリと何かを呟いた気がしたが、よく聞き取れなかった。


「何か言いましたか?」


「……別に」


 僕が尋ねると、彼女はプイっと横を向いてしまった。


 僕の目に映る彼女の左頬は、少し赤みを帯びている。


「さて、今からだけど……君たち、二局目、やってみる?」


「はい! やりたいです!」


「……やり……ます」


 僕たちは、将棋教室が終わる午後五時まで、対局を繰り返した。何度も、何度も。

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