第26話 Height Phobia

 冷蔵貯蔵庫には、チーズの他にヨーグルトやマヨネーズ、漬物まで保管されていた。

 俺のジャムやバターも名札付きで、きちんと管理されていて、人界には謝って発送されないようになっていた。

 実はジャムやバターは人界に依頼されて、やはりここで既に作っていたようだ。

「俺が作らなくても、監一さん達、ジャムとか食べれたじゃん」

 と疑問を投げかけたが、耕三には上手に無視された。

 俺は、修行の一貫だと納得するしかなかったが、これまでジャムの存在を知らなかった監一達が、少し可哀想になった。

 冷蔵貯蔵庫を後にした俺は、畜生界の耕作地に案内された。とはいえ、ここの耕作地には、田園風景は広がっておらず、その変わり乳製品工場が建っており、まるで現世に戻ったように近代化された景色が目の前に現れた。

「これは、まるで地球みたい」

「残念だが、工場内には関係者以外入れない決まりだ。ここから眺めておけ」

「うん、全然いいよ。ここから見てるだけで十分」

 工場を出入りする耕作鬼は、耕三達と若干違っており、角の無いモノも多く、工場着に身を包む姿はまるで人間のようだった。

「あそこで、チーズとか作ってるんだよな。凄いな。あの建物を設計したのも、耕三さんだったりして~」

 冗談のつもりだったが、そこにいる2人は無反応だった。

「それでは私はこれで失礼いたします。玄殿、お会い出来て光栄でした」

 丁寧な挨拶をすると、畜生界の耕作鬼は俺の前から消えた。

「俺みたいな罪人にあんな礼儀正しい態度、勿体ないよ」

 きっと耕三が居たからだ。俺にまで気を使わせてしまったことに、俺は恐縮した。

「ここの耕作鬼さん達は、畑仕事はしないの? チーズとか作る担当ってこと?」

「まぁ、皆、好きな分野で自由に仕事をしているからな」

「地球と比べると羨ましい限りだよ」

「ああ」

「耕三さんは勿論だろうけど、耕一さん達もここでチーズ作りも出来るんだ」

「まぁな、そうはしないと思うがな。耕一は、育苗が命の男だからな」

「そうなんだ」

「耕作地は、地獄や天界と並行してある。気温によって下から

 熱帯ー乾燥帯―亜熱帯―温帯―冷帯―寒帯―極寒帯―氷雪帯

 に分かれており、好きな環境、好きな仕事を自由に選べるのだ。いいだろう」

 耕三は鼻高々に俺に説明してくれた。

「働く環境の気温まで選べるって本当にいいよ。耕三さんが考えたんだったりして」

「さて、帰るとするか」

 俺の質問の答えを、何度も耕三にはぐらかされている気がする。

「うん。チーズをゲットした事を、勇と義晴に早く伝えたい」

「そうだ、さっきの奴がバターもこちらで余る事があれば、少しは回していいと言っていたぞ。欲しいか?」

「まじで? あっでも自分たちで作れるものは頑張るよ。俺達には修行だからね。お気持ちだけ有難く頂ますと、伝えておいて」

「わかった。それから、耕一の耕作地で見せるのを忘れたが、デーツは要るか? ナツメヤシの実だ」

「うんうんうん、うんを何回言っても足りないくらい、欲しい! スコーンと言えば、デーツスコーンとチーズスコーン! 有難うごじゃいます」

 俺は、上半身を前に倒し頭が地面に着く勢いで、一礼をした。

 耕三は、そんな俺を愉快そうに笑い声をあげた。

「では、そろそろ戻るか。ピザやデーツスコーンが食べてみたいからな」

「俺も早く作って皆に食べてもらいたい! で、どうやって戻ったらいいの? また携帯のボタンを押したら帰れるの?」

「いや、畜生界との転移は設定していない。ここからなら、落ちるだけだ。簡単だろ?」

「え――」

 俺は、平然と応える耕三に対して、冷や汗をかきながら、無理だと訴えた。

 及び腰になっている俺を後目に、崖の端まで歩いた耕三が手招きをしていた。

「俺がそこに着いた瞬間、背中押して突き落さないって、約束してくれないと、そっちに行かない」

 俺自身まるで駄々っ子だと思ったが、高所恐怖症なのだ。なので、ここに青龍に乗ってやって来た自分を褒めてやりたいくらいだ。

 現世でだって、観覧車にも乗ったことがない。そう、デートの定番だ。あ! もしかして、これも女の子に振られた原因かも?

「俺様はそんなガキみたいな真似はせん。重力の影響がない空洞を、教えてやろうと思ったが、必要ないなら好きにしろ」

 耕三は半ば呆れながらも、俺に帰路を指し示そうとしてくれていた。俺は自分の肝っ玉の小ささに情けなくなった。

「分かった。耕三さんごめん。落っこちたって、もう死んでるんだもんね」

 まだ恐る恐るだが、崖の淵になんとか足を運んだ。

「あの空洞が見えるか?」

「ぎゃ――」

 下を見た俺は、一瞬怯意だが、よく見ると白靄が立ち込めていて、真下を見下ろす事は出来なかった。

「あ、ここの下だけ、青く光ってる。蛍が沢山生息してるみたい」

「飛翔石。あれがある場所は、重力がないため全てが宙に浮かぶ。玄は地獄の住人だから、これ以上は上に行けん。なので、この青い光を追っていけば、フワリと浮かびながら降りて行き、地獄に辿り着くはずだ」

「すごい。それなら俺だけで地獄に行けるよ」

「ただし、地獄に近づくごとに上昇気流の影響が現れる。残念なことに飛翔石の影響で、携帯転移は使えん。乱気流が発生したら、どこかに飛ばされてしまうかもしれん」

「え? それは怖いな」

「一緒に行ってやりたいが、予定よりも早く人界に行かねばならなくなった。そのため神通力を莫大に使うのだ。転移もしてやれん。そうだな、、、、」

 耕三がふいに、コンを目で探した。

「コンの尻尾を掴んで行け。奴が地獄まで連れて行ってくれるだろう。万が一、飛ばされた時は、心配するな、きっと何処かに辿り着く。飛翔石内と畜生界でなければ、携帯の9番を押してみろ、運が良ければ玄の厨房に到着するだろう」

 まるで他人事のように淡々と説明しているが、耕三の様子から俺を心配してくれているのが見て取れた。過剰に不安を誘ってる風でもない。コンと携帯があるのだ。何とかなるのだろう。

「分かった。大丈夫。俺やってみるよ。耕三さん忙しいのに、色々と有難う」

「何かあったら、飛翔石の空洞外に出て、携帯で俺を呼べ。人界にいても恐らく気付くはずだ」

「人界には長く滞在するの?」

「そうだな、行ってみないと分からんが、今回は長いかもしれん」

「そうなんだ。じゃあ気を付けて行って来て。俺も頑張って地獄に戻るから。ピザ楽しみにしてて」 

 耕三は俺の言葉を聞き終えたと同時に姿を消した。

「さ~てと、コンよろしくな」

 俺はコンが何の躊躇もなく飛んでいる姿をこの目で見た。信用していいはずだ。万が一落下しても、また蘇生される身体だし、きっと大丈夫。

「あ、でもさぁコン、俺とまた地獄に戻ってもいいのか? ここに居たいんだったら、俺は何とか1人で地獄に帰るからさ、心配してくれなくてもいいよ」

 この時ばかりは、コンの本心が聞けたらと願った。耕三に確認して貰えばよかった。コンは俺の言葉が分かるのだろうか? じっと俺の話に耳を立てていたが、ふいに1歩前に歩みを進め崖の淵に座ると、尻尾をフワリと上に立てた。

「いいのか? 俺とまだ一緒に居てくれるのか? だったら嬉しいよ」

 俺はコンの横に並ぶと、崖に腰掛けた。

「うわ~ 下を見たらやっぱ怖いな。でもコンが手伝ってくれるなら鬼に金棒だ! そういや、ここで金棒持ってる鬼っていたっけ? ま、いいか。じゃあ、帰ろう。勇と義晴が待ってるし、早くピザ焼きたい! コン行くぞ」

 俺は、コンの尻尾を掴むと、崖を飛び降りた。

 最初に地獄に堕とされた時と同じように、真っ逆さまに落下するのだと想像していた。

 耕三が「フワリと浮かびながら降りる」と教えてくれたが、半信半疑だった。

 だが、正しく俺はその「フワリ」状態だった。時折吹く風に横に持って行かれそうになるが、コンがしっかり舵を取ってくれた。慣れてくると、先程の恐怖心は消え、楽しい気分になり、時折姿を見せる飛ぶ白兎達に挨拶が出来るほどの余裕も持てた。

 やがて、辺りの空気が徐々に暑くなってきた。地獄に近づいて来た証拠だ。

「コン、有難う。もう少しみたいだな」

 コンは俺の呼び掛けに応じるように、チラリとこちらを見てくれた。

 すると、俺とコンは急に押し返されるように上へと舞い上がった。俺はコンの尻尾を離さないようにシッカリと掴んだ。

「こんなに尻尾引っ張って、コン痛くないか? ごめんよ~」

 上下左右、風に翻弄されながらも、少しずつだが地獄に降りて行っているようだ。今まで立ち込めていた白靄が、赤色に染まって来たからだ。

 俺は、改めて自分は、地獄に送られたのだと認識させられた。

「仕方ない。あそこで頑張るしかない!」

 自身にしっかりと言い聞かせた。

「あ、コン、あそこ俺の作業場だ。上から見るとあんな感じなんだ。でっかいバージョンの厨房みたいだな」

 上空から眺めた俺の厨房は、使い勝手良く配置されていたのだ。俺達が監一の大きさであれば窯、コンロ、作業台、水場、蒸気場、正しくキッチンだ。

 すると、蒸気道辺りでキラリと銀色に輝く物体が見えた。

「耕三さん、もう送ってくれたんだ。本当に仕事が早いよな。あ、勇と義晴だ」

 地獄に引き戻される現実に憂鬱だった俺だが、2人を見た瞬間、気分が晴れた。

「いーさーむー! よーしーはーる!」

 俺の声にふと上空を見上げた2人を見て、

『俺は本当にあいつらが好きだ!』

 心で叫んだ。

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