奇跡は告げる


「石井が帰ってこない?」


ほっとけンなモン、と幸平はそっぽを向きゲーム画面に目を落とす。

が、同室の男子生徒は焦ったように僕らに訴えた。


「そういう訳にもいかねえよ!先生にバレたら俺らだけ明日の自由行動無しだぞ!?」

「あー、それはだりぃ」

「だろ?頼むよ、2人も探すの手伝ってくれ!」


高校3年生にあがってから、僕は幸平の人望に助けられてある程度クラスに受け入れられるようになっていた。

僕に怯える人間がいない訳ではなかったが、あからさまな嫌がらせも格段に減ったのだ。

そのおかげと言えばいいのか、3年の修学旅行も特に仲間外れにされることなく、クラスメイトの班の中に入ることができている。

1つだけ懸念点があるとすれば石井零士も同班だったことだが、彼はあの一件以来僕に対して必要以上に話しかけてくることが無くなった。


「くっそめんどくせえなー、あの野郎迷惑しかかけてきやがらねえ……」

「まぁ、明日遊ぶ下調べがてらって事でいいんじゃないかな」

「お前があっけらかんとしてんの、俺マジで腑に落ちねえんだけど」


都内で闇雲に探すわけにもいかないが、幸い旅行前に班メンバー共通で入れた携帯端末アプリによって、僕たちは過去30分以内に立ち寄った場所がお互いに把握できる。

石井零士はどうやら僕達が泊まるホテルの近くをうろついているという事は分かっていたので、2人ずつに別れて捜索する形となった。班は6人だが、残りの1人は先生を誤魔化す係だ。


「ったく……何してんだ?」

「何だろうね。1時間くらい前から、ずっとここを円状に回ってる」

「とうとう頭でもバグったかアイツ……」


呆れた表情を浮かべながらも、幸平は迷うことなく道を進んでゆく。

その後ろをついて歩くが、都会らしい都会に出てきた事がほぼない僕の目には全てが珍しく映るのだ。きょろきょろと辺りを見渡しては、幸平に「気になんのか?」と問われ立ち止まる。

いつの間にか夜の都内見物と化した僕らの捜索は、別に回っていた3人と合流を果たして強制終了を余儀なくされた。


「あ、コーヘー、カズヨシ!あいつ、いたか?」

「いや、こっちは会ってないぜ。アプリだとこの道順通ってるはずだから、どっかですれ違ってんのかねー……って、うぉ!?」


端末をいじる幸平が、突然声をあげて顎を引いた。


「どうしたんだ?」


幸平はそう問いかける僕に一度目配せをして、自身の端末を耳に当てる。

着信か。そう合点がいくと同時に、胸にチクリと針が刺さるような感覚があった。


「よぉ、石井か?お前何してんだよ?今班の皆でお前の事……」


そこまで口にして、ふと幸平の顔が曇る。幸平は僕たちの顔を一瞥すると、すぐに耳から端末を離した。

全員の前に突き出した彼の端末から聞こえてくるのは、恐らく石井零士の声だ。


「俺は悪くない、俺は、俺は悪くないんだ。悪くない――」


スピーカー設定のなされた電話口から流れてくる、そんな言葉。

異常。いや、どちらかといえば狂気の方が近い。石井零士の声がまるで巻き返した動画のように垂れ流されている。


「先生たちに知らせよう。コイツ、何か変なことに巻き込まれ――」


幸平が顔をあげ僕を見やる。だが、彼がその言葉を最後まで言い切る事はなかった。

徐々に大きく見開かれる目。僕が疑問に思う間もなく、幸平が僕の方へと手を伸ばし


「――カズ!!」


突き飛ばした。


瞬間、轟音が劈く。

吹き飛ばされ、肩から地面に激突した感覚。僕の視界は何を映す事も無く、ただ暗転した。


激痛が身を襲い、口から意図せず嗚咽が漏れる。どれほどの時間気を失っていたのだろう。一瞬だったのかもしれないし、長い時間が過ぎたのかもしれない。

が、辛うじて死んではいない。こうして思考できている事がその証拠だ。


耳に届くのは、悲鳴。それから火が弾ける音に、遠くからのサイレン。

何が、起こったのだろうか。

痛みに耐えながらゆっくりと身を起こせば、焼き切るような頭痛が襲った。右手をあてようと動かして、そこで初めて自らの身体の異常を知る。

破れた服の下からは皮膚が擦り切れて赤黒い肉がのぞいていた。ぼたりと垂れた血液を呆然と見つめ続ければ、徐々に痛みが身を裂いてゆく。どろりと赤い液体が右目に被る。目の上を切ったのかと左腕で拭った。

判然としない僕の視界に映るのは、瓦礫と炎。覚束ない炎から黒い煙が立ち込める。

辺りに落ちている布を纏った肉片が何なのか、それを理解するための処理を僕の脳は拒否していた。

少し離れた位置に、大型トラックが横倒しになっており、建物の破片と数台の車がひしゃげていた。

先の一瞬でこの光景が生まれたのか、それとも僕が気を失っている間に作り出されたのか。どちらにせよ、これが現実なのだと激しい頭痛が僕に突き付ける。

霞む意識を奮い立たせ、僕は何とか両膝に力を入れて立ち上がった。


「だれ、か……」


声がかすれた。火の粉交じりの煙を吸って思わずむせ返る。

さっき幸平が僕を突き飛ばした理由も、何がこの光景を作り出したのかも何も分からない。分からないが、動かなければ。動いて、探さなければ、アイツを


「――カズヨシ、くん」

「!」


不意の声。反射的に振り返って体が軋む。思わず悲鳴が漏れ出そうになりながらも、歯を食いしばって押しとどめた。


「……石井?」


背後から僕の名を呼んだのは、確かに見慣れた顔だった。

つい先ほどまで僕らが探していた人物。石井零士が煙の中から顔を出す。

僕は胸をなでおろした。こんな状況、生きている人間の顔を見て安堵しない人間などいないはずだ。

今まで何をしていたんだ。一体何が起こったんだ。お前は大丈夫なのか。

そう混乱した頭の中で作り上げた疑問は、終ぞ僕の口から問われる事はない。


「……おい」


全身の痛みが止んだ。

煙の中から現れたのは確かに石井零士だ。だが、その目は僕を捉えてはいなかった。頭から血が滑り落ち続けていることなど一切意に介していない。というよりも、自身の負傷に気づいてすらいない様子で、彼は煙の中から一歩、また一歩とこちらへ歩みを進めてくる。


「カズヨシ、くん。オレは、救いたい。オレが、オレが皆を」


その異常さに一歩後ずさり、瓦礫に足を取られてしりもちをつく。

ざり、と石井零士の顔をした怪物が僕へと歩みを進めた。ゆっくりと、ただし確実に近づいてくるそれを、僕は凝視する事しかできない。

目の前にいる既知の人物は、あからさまに狂気のさなかにいた。だが、それを理解しても、それはただ僕の身体を強張らせる事にしか繋がらない。恐怖なのかももう、自分では判断が付かなかった。

ただ心臓が何度も跳ね上がり、鼓動を繰り返している。


「……石井」


口から転がり落ちたのは、震える自分自身の声だった。

あぁ、なんて情けない声なんだと、その場にそぐわない感想が脳裏を過る。その拍子に、僕の意識は怪物の異常さを帯びた目から解放された。

大きく心臓が脈打つ音が、自分の耳と、そして痛みが続く頭を殴る。


「――幸平」


ふと落ちた視線が捉えたのは、石井零士の左手。赤く染まったその手は、人間の頭部を掴んで引きずっていた。捕まれて引きずられた人間を、僕が見間違えるはずはない。

力が完全に抜けた身体は、――その半身が、引きちぎられて


光景が焼き付いた瞬間、身体が弾けるように前に出た。

助けようとしたのか、それとも殴りかかろうとしたのか、最早分からない。ただ痛みも何もかもを忘れて、石井零士へととびかかる。

ガツ、と言う音と共に、視界が明滅した。


「がッ……!」


どう殴られたのかも分からないまま、地面に顎が激突する。

衝撃に脳が揺さぶられ、胸を圧迫感が襲った。腕をついて身を起こしすが、内臓が掻き混ぜられるような気持ち悪さに目眩がする。脳が焼き切れそうなほどの頭痛に、意識を手放しそうだ。

明確に横たわる死の怖気。それが僕の身体から発される最後の警告なのだろう。

だが、すでに焼ききれた僕の脳は、転がっていた小ぶりの瓦礫を掴み取る以上の行動を取らせなかった。


胸がざわつく。こんな感情が自分にあるなどとは知らなかった。

これは、ただ一方的に奪われたことに対する明確な怒りだ。

今まで感じた事が無い訳じゃない。けれど、表にしてはいけないと塞いでいた感情。

これ以上声をあげれば喉は張り裂ける。だが、それを止める事はできない。焼き付くような絶叫をあげ、僕は目の前の人間へと殴りかかった。


耳鳴りがする。心臓の鼓動がうるさい。

いつの間にか瞑っていた目をゆっくりと開けば、目の前には石井零士の顔があった。


頭に瓦礫が突き刺さり、彼はぐるんと眼球をひっくり返す。そして、ゆっくりと僕にのしかかった。全体重を預けてくる石井零士を、僕は足に力を入れて抱きかかえる。

ただ熱い。まるで腕と頭が鼓動を繰り返すかのようで、焼け爛れる程の温度が襲う。

痛みとも違う熱に耐えながら、抱えていた石井零士の体躯を横たえた。つい先ほどまで怪物にすら見えた彼は、しかしただの人間で、割れた頭からゆるゆると血を流し絶命している。


幻覚だと思いたかった。いや、だとしても。

石井零士の手から落とされ、うつ伏せに倒れた親友の姿は消えてなどいない。幻覚ではない事を告げる激痛の中、僕は声を吐き出す。


「……幸平」


名前を呼ぶことに、意味がないと分かっていた。

幸平は、その身体は、下腹部から下が消失している。それでも僕は声をかけることをやめられなかった。どうしてもできなかった。


「――カズ」


やめておけばよかったと後悔したのは、その掠れた声が耳に届いたからだ。

聞きたかった。聞きたかったが、そんな奇跡は望んでない。


「幸、平」

「あぁ……良かった……」


下半身が引き裂かれても、人は生きられてしまうのだろうか。いや、この燃え盛る炎にあぶられて出血が抑えられでもしたのだろうか。

良かったってなんだ。苦しそうな顔で、何を言ってるんだ。

今すぐ人を呼べば間に合うのだろうか。そんな――


「カズ……」


絞り出される声。散らばった思考が停止する。

僕の方に伸ばされていた手はもう動かない。


「――――」


幸平の口は、数文字の言葉をこぼれ落とした。そして少しずつ、僕を映しているのかも分からない瞳が、瞼が落ちる。

必死に這いよった。そして触れる。赤く染まった右手の温度のせいで、幸平を触る感覚が届かない。


この耳を劈く慟哭は、どこから聞こえるのだろうか。

鼓膜が破れる。喉が張り裂ける。胸を焼き切る。

身体の痛みは消え失せていた。自分の身体を失ったように、


目の前にかざされたものがただの現実であることを。

どうして受け止められるのだろうか。


挽き潰れたその半身は、もう二度と言の葉を紡がない。


僕はその日、親友を喪った。

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