第2話

 亜希がビールを紙コップに注ぐ姿を見ていたら、由紀が

「ああ、幕さん。今お母さんのこと見てたでしょ」

と幕井と亜希の間に入ってきた。

「一緒に写真撮るよ。はい、かんぱ〜い」

三人が画角に納まるように由紀を中心に体を寄せ合っているのだが、由紀の幕井への体の寄せ方は亜希に自分のモノであるとアピールしているようだった。亜希は由紀が幕井に好意を寄せていることはわかっていた。それに由紀が幕井に連れられて帰ってきた時に由紀の口から「私の大事な人なの」と紹介されたのだ。あの時、何がなんだか訳がわからずとっさに「あなた、この子に何したんですか。いい歳の大人が子供を誘惑して許されると思ってるんですか」と幕井に激昂したことを思い出したらおかしさがこみ上げてきた。


  ※ ※ ※


 五年前の初夏。

 幕井が脱サラして始めた弁当屋はようやく軌道に乗り始めていた。その日は賞味期限が近くなった処分間近のパック牛乳を安く仕入れることが出来、上機嫌だった。サンプル用のモノを持って店を出ようとした時に雨は降り出した。「明日まで降るのだろうか」少し憂鬱な気分になり家路を急いだが、途中の神社に参拝することが幕井の日課になっている。この日もいつものように参拝をしに神社に寄ると境内で雨宿りをしている少女がいた。二礼二拍手一礼の作法終わりを待っていたかのように少女が声をかけてきた。

「ねえ」

自分しか参拝者は見当たらない。幕井は無視するわけにもいかずその呼びかけに返事をした。

「どうかしましたか」

「ねえ、可愛いでしょ」

最近の若い娘は随分とストレートにアピールしてくるんだなぁと幕井は少し警戒した。

「怖がらなくても大丈夫だよ。ねえ、可愛いと思ったでしょ」

確かに可愛い。それに雨に濡れた制服が体にぴったりと張り付き下着が透けている姿はかなり挑発的だ。

「こっちに来てよく見てよ」

幕井は変な美人局でないように半分祈りながら雨宿りの少女に近づいた。

「うわっ、可愛い」

思わず声を出してしまった。さっきから少女が「可愛いでしょ」と聞いていたのは彼女の傍らにある段ボールの中身のことだった。

「名前は」

今度は幕井が尋ねた。

「由紀よ」

「違うよ。この子たちの名前だよ」

少しバツの悪そうな顔になって「もうっ」と唇を尖らせた。

 段ボールの中には白と黒の子猫が震えていた。生まれたてのようにも見える子猫たちはきっとお腹も空いているのだろう。まだ声にもならないような声で必死に何かを叫んでいる。幕井は持ってきたパックミルクを出した。由紀は二匹をタオルで包み抱きかかえながら幕井を見ていた。その表情は二匹の猫が助けを求めるのと同じように不安げに変わった。

「名前はどうしよう。名前つけたら飼わないといけないよね」

「そうだね、可愛い名前にしてあげなよ」

幕井はパックミルクのストローをスポイト代わりに中身を吸い取り子猫たちに与えた。

「おじさんって優しいね」

幕井は子供をあやすように子猫たちにミルクを飲ませていた。

「そうだ、良いこと思いついた」

由紀のさっきの不安な顔はどこかに飛んでいき明るい表情に変わった。

「おじさん、私と結婚しよう。そしてこの子たちを一緒に育てようよ」

幕井は由紀の軽いノリに付き合うつもりで「オッケーだよ」と口を滑らせてしまった。由紀はケラケラと笑いながら

「神様、聞きましたよね、この人は……おじさん名前なんていうの……」

「え、幕井。幕の内弁当の幕に井戸の井」

「……幕井さんは、私と結婚するそうです」

「え、いや、冗談だよ、冗談。あんまり、からかわないでくれよ」

「あー、神様、そして町内のみなさま、聞きましたか、この幕井という男は私の、嫁入り前のこの私の乙女心をもてあそび、この雨の中まるでこの子猫たちのように捨てようという魂胆なんです」

「いや、もう、勘弁してよー、困ったなぁ」

すっかり由紀に主導権を握られてしまった幕井はこの場を去るに去れない雰囲気にどうしていいかわからなくなっていた。

「幕井さん、この子たち放って置けないでしょ」

「そうだけど、ウチ弁当屋だから動物つれてはちょっと無理なんだよ」

「そうなんだ、幕井さんってお弁当屋さんなんだ。じゃあ私がこの子たちをつれて帰るしかないのね」

今度は悲しそうな表情で子猫たちを見つめている。

「お母さん飼っていいっていうかな。ねえ、幕井さん一緒に来てお母さん説得してくれないかな」

すっかり主導権を握られた幕井は「わかったよ」と従った方が変なトラブルにならないと考えた。

 

 由紀は猫の入った箱を抱え幕井の傘に守られていることが嬉しかった。父親を知らない由紀は歳の離れた男性に魅力を感じているので、同級生たちが騒ぐようなアイドルや同世代の男の子には全く興味が持てずに孤立気味の学園生活を送っていた。周りと同じように異性に甘えてみたいと思っていても自分の好みが特殊なので友達にも相談できず悩んでいたのだ。由紀は由紀なりに思い切って勇気を出したのだ。

 

 二人が由紀の家つくと亜希が奥の部屋から玄関まで出てきた。

「あんた、それ何、で、えーっとどちら様かしら」

何から驚いていいのか、箱の中の猫と知らない中年男性と交互に視線を送りながら言った。

「あ、私、幕井といいます。商店街で弁当屋をやっていまして、そこの神社で、その、猫とえーと……」

幕井はいくら少女に頼まれたからとはいえ、のこのこ家まで送ってきたことを後悔した。母親が怪訝になるのも無理はない。

 お互い気まずい感じになった時、由紀が

「この人は、私の大事な人なの。ね、幕井さん」

まるで恋人でも紹介するような口ぶりだったので、亜希の混乱はとっさに母親の防衛本能に変わり思わず声を荒げてしまった。

「あなた、一体この子に何をしたんですか」


   ※ ※ ※


「やだ、お母さん、何でニヤついてるの」

「由紀と幕井さんが一緒に帰ってきたときのことを思い出したのよ」

「時間が経つのは早いよね、私ももう立派な成人女性ですからね、こうしてビールも飲みますよ」

 幕井は親子の会話を聞きながらハラハラと落ちてきた花びらをビールの入ったコップで受け止めた。

 二枚の花びらが浮かんで揺れていた。

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