第18話 貴族令嬢VSインドカレー屋
「インド……カレー屋……? どうせバングラディシュかネパール人が作ってる店なんでしょ?」
「……やってる?」
昼だというのに薄暗い店内、ドアをくぐる貴族令嬢マリーはどこかおっかなびっくりに声を出す。
「ヤッテルゥ、ヤッテルヨーオ客サァーン」
店内奥から人懐っこい声で店員が出てきた。浅黒い肌のアジア系、だが何人かはよくわからない。多分インド人ではない。
「オ客サァーン、コチラドゾー」
案内された席にマリーは腰をかける。隣の席に仕事着が入ったリュックを置いた。
「ふぅー」
仕事終わりの疲れから一息吐く。メニューをめくりなにを頼むかしばし思案した。
「えーと、タンドリーチキン、あとバターチキンカレー。それとナン。瓶ビール」
「ハイネー。辛サドースル?」
「一番辛いやつで」
貴族は迷わない。
「死ヌヨー」
店員の警告はドストレートだった。
「いいからやって」
「ワカッタヨー」
スタスタと店奥に引っ込む店員。なんというか毒気を抜かれる接客だ。
「相変わらず緩い接客ですわねぇ。私、友の裏切りは許せても辛くないカレーは許せませんの……」
貴族令嬢には許せないものが三つある。辛くないカレー、辛くない麻婆豆腐、ノンアルコールビールだ。
「ストレスがたまると、無性に辛いものが食べたくなりますわね……」
就職活動は現在15連敗。辛さだ。辛さだけがマリーの心を癒すのだ。
「アイヨー ビールネー」
栓を抜かれ運ばれるビール瓶。アハヒスゥパァドゥラァイだ。
「これこれ」
トクトクと、コップにビールを注ぐ。泡3に液体7の黄金比に整えた。
そして一息に飲み干す。
「ふぅー……ストレスが緩和されますわぁ」
コップにビールを注ぎつつ、薄暗い店内から外を見る。マスクをした高校生達、帰りのサラリーマンやOLなどがいた。
「もうすぐ夏休みねえ……どうせコロナだし、特に仕事しか予定はないんだけれど」
遊ぶ予定はない。遊ぶ相手もとくにいない。ついでに海もここ最近行ってない。
「ないんだけれど」
ついでにそんな余裕もない。
「ないんだけれど!!!」
カレーは、
「オ客サーン チキンヨー」
店員の姿より先に匂い立つ芳香がマリーの元に届いた。複雑なスパイスの香り。焼きたてのタンドリーチキンの香り。
「タンドリーチキン、まあようはカレー味のチキンなんですけれど、カレー屋にくるといつも頼んでしまいますわね……」
フォークで黄金色の鶏肉を口に持って行く。
「ここは本式のタンドリーでパリッと焼いてくれるのが売り。そこにアサヒビール……」
グビリと、呑む。
「印日同盟成立ッッ!!」
日本とインドの共同歩調、平和への道のりがマリーには見える。
「なぜビールとカレー味はこんなにも合うの……」
ムシャムシャと鶏肉を食い、ビールを呑む。インドの奥深い文化にマリーはおぼれていた。
「しかしUber EATSも参加者が増えてなかなか仕事がこない…」
「十万円給付も来たはいいけどいろいろ支払いで大して残らないし……」
「アイヨー カレートナンネー」
救いだ。
「……悩むのは後回しにして食べましょう。蒸し暑くも冷たい世の中でもバターチキンだけは私を包み込んでくれますわ…ナンをちぎってカレーにつけて」
ぶちっとちぎってカレーをとっぷりとつける。
「食べる!」
かぐわしいカレーの芳香、奥深い香り。そして鮮烈な辛さ。
「追ってビール!」
飲み干す一杯。
「ナマステッ!!」
旨さに思わず挨拶してしまった。
「辛いッッ!! そりゃ辛さマックスで頼んだわけだから当たり前だけど、やはりカレーは辛くないと食べた気がしませんわ!!」
ナンをちぎる、カレーに漬ける。食べる。そしてビール。手が止まらない。美味い。
「海外では中華とインド料理はどこにでもあると言われているそうですが、たしかにあらゆる民族にこのスパイシーさはウケて当然ッッ!」
インドの強さ、ここにあり。
「それに酒が合えば向かうところ敵なし……ゼロの概念、インド映画のボリウッド、テレポートにヨガフレイム。インド恐るべしですわ…」
貴族令嬢のインド観はかなり貧弱だった。
「店員さん、ビールお代わり。あとほうれん草のカレーとチーズガーリックナン一つ。激辛で」
「アイヨー」
雑だが小気味よく返事。本当にこの店の接客は独特だ。緩すぎる。
「一杯程度では収まりませんわ…今宵火がついたカレー欲は…!」
今日はどこまでも激辛で行きたい。明日にトイレでどうなろうともうマリーは構わないのだ。
△ △ △
「ハイカレートナンネーチーズガーリックヨーあとビール」
「ナンの真骨頂はチーズ入りに有り……!アツアツを千切ってのばせば!」
ナンの中に入れられたチーズがたらりたらりと糸を引く。チーズの糸を何回か巻いて引きちぎり、チーズだらけのナンをもって、カレーの上へ。
「伸びるチーズをカレーにドブヅケしてぇ!」
豪快にカレーに漬ける。つけるというか沈めるに近い。
それを引きずり出して口へ運ぶ。
「食べる! そしてビール!」
スパイスの辛さを、ガーリックの鮮烈さを、チーズのまろやかさを、ビールの爽快感が洗う。
「you win!!!!」
勝利確定。もう手が止まらない。本能の、衝動のままにナンにカレーを次々と沈め、引き上げ食らう。
「カレー! ガーリック! チーズ! そして辛さマックス! うまさの竜巻旋風脚ですわ!!」
瞬く間に空になる皿。
「ふぅー、やはりインド料理にハズレ無し……待ちガイルのごとき鉄板戦略ですわ」
トタトタと、店員が一息ついたマリーへなにかを持ってくる。
「ハイネーコレサービスノラッシーネー」
「あ、どうも……」
「ユックリシテネー」
「接客は雑だけど、サービスは丁寧なのよねえ……」
△ △ △
「マタキテネー」
手を振る店員、どうにも子供っぽく見えて困る。
「接客は緩いものの、結局店員の愛嬌が印象に残る店ですわねぇ……しかしこのコロナ禍、あの店も来年にまたいけるのでしょうか」
一寸先は闇。こんな時代ではどうなることか。
「…その前にまず私のほうが来年無事に正月を迎えているのかがわかりませんけれど」
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