ep.16 心慌意乱
十数秒ほど出遅れたせいもあり、互いに全力疾走しているワイアットとマストの距離の差は中々縮まらない。フルデトネーターを奪った男は増幅した身体能力を初めて装着したにも関わらず、最大限引き出しているようだった。その証拠にワイアットの目には男の影など何処にも無かった。ただ、生い茂る短い草木が踏み潰された跡を辿り走っているのみだった。
かつてワイアットが住んでいた居住区には天才や大企業が作り市民に提供した遊び、娯楽の一切が無かった。そこにあったのは頭の悪い人間たちが作り上げた趣味の悪い賭博のみ。その賭博に賭けられる側として参加していたのは薄汚い服を身に纏って盗みを働き続け、犯人の目星が付けられていた頃だった。
そんな中でも彼の身体能力は輝いていたが、それでも何年もの月日を重ねて鍛え上げた肉体が上回るのは当然の事だった。マスト・ディバイドにどうしても追いつけないワイアットからは勝負に負けているという悔しさが滲み出ていた。
かれこれ十分はダッシュしており有限の体力も底が見え始めてくる。イクス使いと言えど体力の限界は必ず来る。戦闘の後なら尚更だった。
しかしこのままガーディアンズかあの男、どちらかの手に渡ることを許してはならないというのはワイアットも理解していたが、それに反比例するように足は止まってしまった。
「くっそ……速すぎんだよ……」
小言を言いながらも一度深呼吸をする。顔から汗が滴り落ちるが、そんなことに構っている余裕もなかった。
身体に新鮮な空気を行き渡らせる為にと、大きく息を吸うと塩の匂いが鼻を通る。近くに海がある証拠だった。
マスト・ディバイドの姿は見えないが、跡を辿ればいつかは出会う羽目になる。そうなった時の為にも今のワイアットにはたった一息の休息が必要だった。
「う、動くな!」
無常にもその休息は終わりを告げた。今更背後を見なくとも背中に銃口を突きつけられているのが分かる。震えた声の主は眼鏡をかけたひ弱そうな男だった。
ワイアットはそのまま手を挙げて自分に抵抗の意思がないことを見せる。
「殺すなら殺せ、そうじゃないなら手早く済ませろ」
「こ、こ、殺せって……命が惜しいと思わないのか……?」
流し目で見ると声どころか頭から足の先までの全てが震えている様子だった。うざったそうな毛量はワイアット自身にその腕があれば今にでも切ってやりたいくらいだった。
「別に」
「……で、デカ男の癖に随分とっ」
「あ?」
「っ……」
出会ってから今までずっと極寒の地にいるような震えを見せる男から、意味不明な煽りを食らうとワイアットは一文字で威圧し返して見せた。目測で約三十センチほど身長差のある小人は軍人、もしくは戦える人間でないのは明らかだった。
「お、おい!」
左足のつま先を少し男の方へずらすと目ざとく気づいた。拳銃をアピールし脅して来るが、ワイアットは構わず動いた。
「撃つぞ……ホントのホントに撃っちゃうぞ!!」
「お前、どこの出身だ?」
「はあ? こんな時に何を…………に、日本だよ」
バスケットボールのディフェンスをしているような立ち姿のワイアットに日本人の男は質問に答えた。ワイアットは首を少し動かしそうなのかと反応を見せる。
「聞いた事あるよ、良い国だって事だけは知ってる」
「そんな漠然とっ……う、うわああ!?」
拳銃を構える相手から武器を奪う作法は習っていた。
カンデラス・マルハリサはワイアットの身を自分の下に置いてから一ヶ月半もの間、戦いにおける戦術、技法等をを記した書物を与えていた。ワイアットに足りないのは知能ではなく知識であると理解していたカンデラスは当の本人が嫌がっていようとも渡し続けていた。
そして読み込んだ末の成果はこうして現れた。
「ひっ……!!」
「形勢逆転だな」
拳銃はいつの間にかワイアットの手にあった。鮮やかな手さばきで速やかに奪い取ると今度は男が銃口を向けられる。
銃の使い方はトリガーを引けば弾丸が出るという事だけ覚えていた。
「誰の差し金だ? お前は何モンだ? ここで何をしている?」
「そんないっぺんに言われてもこま……」
「答えろ! でないと右足を……」
圧迫感のある尋問を続けようとした時、後ろに人の気配が出来る。今度は目の前の男よりも鬼迫も戦意も確かに存在する人間だった。
「コイツの仲間か?なら相手にビビったら負けだって伝えておいてくれ」
「自分から言って」
聞こえたのは確かに女の声だった。目を細めてその正体を確かめようとするが、その答えはワイアットが確認するまでもなく暴かれた。
「ハンナ……!!」
「ハンナ……?」
どこかで聞いたことがある。ごく最近その名を耳にした覚えがある。そう思った瞬間に振り向くと数十分前に出会ったフルデトネーターを奪った男の隣にいた女だった。
「お前っ!」
抵抗するが圧倒的な素早さの前にすぐさま組み伏せられる。イクスによって身体能力が向上しているはずなのに何故とも思いながら必死に足掻く。
「
二の腕を首に巻かれ軌道の確保が難しい中、押さえつけられている四肢の中で比較的自由な左腕から赤黒い血管を手をから出させる。のしかかる女の邪魔、あわよくばそのまま掴んで吹っ飛ばしてやろうとも考えていたが、それすら読まれていた。
「それを」
「うおわあああああ!!」
そういいながら挙動不審の男は数本出した管の全てを切り落とす。ほんの少しの痛みが左腕に及び、それと同時に首にまわされている腕の力は強くなる。
「ぐっ……」
朦朧とした意識の中で女は洸と呼んだ男に何かを命令しているようだったがその内容は聞き取れないまま暗い世界に落とされた。
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