第5話
他の生徒達が遊びに行くだとか部活に行くだとか言っている放課後の校舎を俺は光希と並んで歩く。外を見れば野球部の人達が青春の汗を流しているのが目に映る。
「秋博はさ、部活には入らないのか?」
俺がよそを見ながら歩いていると、光希が何気なく問いかけてくる。
「うん。俺はいいや、苦手なんだよ。誰かと一緒に頑張るとかさ。お前が一番分かっているだろう?」
「まぁな……。秋博は空気読めないし、思ったこと何でも言うし、きっと、上級生を怒らせて部活内の空気を破壊しそうだ。今日の朝みたいに」
こいつにはめられた所為で放課後まで学校に残っているというのに、問題を起こした張本人は一切気にした様子もなく、今朝のことを思い出して笑いを堪えている様子。
「お前の所為なんだからな!」
「違いないな!ハハハ」
俺は手に持った鞄で軽く光希の背中を打つ。ポンッとぶつかるが特に痛いと感じることもないだろう。笑っているから気が付いてすらいないのかもしれない。
バスケで鍛えていることはある。そんなくだらない掛け合いをしていると呼び出されていた職員室に到着した。
「失礼しまーす!」
「失礼します」
光希はこれから怒られるはずなのに、このテンションである。元気な声にかき消されない程度に声を出して職員室の中に入っていく。
俺の前を歩く光希は慣れた足取りで、深冬先生の元に向かう。俺は職員室の中に入ったことがあまりなかったから黙って着いていく。
放課後は部活動があるから顧問をしている先生は出払っているようで、一人しか居なかった。それにしても、先生達の机を見ていると個性が表れるんだなと思う。
深冬先生の仕事机には余計な物が何一つなく、整理整頓されていて、非常に好感が持てた。他の先生達の机なんて書類がこぼれ落ちているし、明らかに仕事には必要ない物まで置いてある。
そんな風に観察していると光希は深冬先生の前で足を止めた。その横に俺もオマケのように並ぶ。
「ちゃんと、連れてきましたよ。こいつも」
ポンッと背中を強めに叩かれて、バランスを崩しそうになる。さっきの仕返しかという視線を送るとそっぽを向いてごまかし始めた。
「ええ、ありがとう。光希君。それじゃ、戻って良いわよ。でも、あまり大人をおちょくる真似はしないようにね」
「はい!気をつけてみます。失礼しました!」
元気よく先生に返事をして、踵を返そうとしている。振り返る一瞬の間。俺は光希が「俺はこれで」と言ったことを聞き逃しはしなかった。
「それじゃ、俺もここで失礼します!」
光希に習って綺麗に180度タ-ンを決めようとしたが冷たい声によって静止させられた。
「何を言っているの?秋博君はまだ用事が済んでないでしょう」
俺はまだ進路調査票を提出すること出来ていなかった。何故か分からないけれど、これを手に取ろうとすると体が急に動きを止めるように命令してきたかのような感覚に苛まれた。だから、この時間まで鞄の中に眠っていたままだった。いっそのこと、「進路調査票なんてずっと鞄の底に眠っていれば良い」なんて思っていた。
ただ、このままでは俺も帰ることが出来ないので、何か引っかかる気持ちなどを全て投げ捨てて、鞄の奥底に眠るA4用紙を力一杯引っ張り出す。
「はい。これです。遅くなってすみません」
教科書の下敷きになっていたから変な折り目が付いているし、引っ張り出す際に少し破れてしまったが、そのまま提出した。ボロボロのA4用紙を見ると、なんだか自分を見ているような気持ちになる。
「ありがとう。確かに受け取ったわ」
先生はボロボロのA4用紙に目を向ける。たった二文字しか書いていない進路調査票。確認するのも一瞬で終わり、机の横に備え付けてある一番下の引き出しに入れていた。
それを確認してから小さく息を吐く。何か小言を言われるのではないかと少し不安ではあったのだが、何も言われることはないようだった。
「それでは失礼します」
頭を下げてから踵を返そうとする。もう用事は無いはずだ。特に用事があるわけではないが、この空気感は得意ではない。一刻も早く脱出するべきだと、心が警告を出しているように感じたのだ。
「秋博君。実は一つお願いがあるのだけれど……」
嫌な汗が頬を伝う。別に暑いわけではないのに流れたのは、深冬先生が放つオーラから来ている物なのかもしれない。
「断ることは出来ますか?」
拒否権があるならすぐにでもそれを行使して、この場から走り去りたい気持ちだった。最後の悪あがきを俺はしてみる。
「この進路調査票ね。結構五月蠅く進路部の人に急かされていたのよ……。でもね……」
深冬先生が語り出した時点で俺に拒否権がないことは明らかだ。進路調査票が遅くなって迷惑を掛けたことも変えることの出来ない事実。ため息をはきながらお願いとやらを訪ねた。
「大丈夫よ。そんな難しいお願いはしないから安心して」
この言葉から始まる時点で俺はもう不安に飲み込まれていた。いっそのこと逃げ出してしまえば良かったと深く後悔が募り始める。
「明日から来る転校生の面倒を見てほしいのよ。別に難しいことじゃないでしょう?」
深冬先生は机にあった書類をクリップでまとめながら言ってくる。
大体、何故俺にお願いするのかが分からない。俺が人とのコミュニケーションに難を抱えていることを知っていながら、俺を選んでいるのだから。
「先生。もっと適任がいっぱい居るじゃないですか……。光希とか上手くやってくれますよ。わざわざ、一番失敗しそうな俺を選ぶのは、どうかしているかと……」
深冬先生は俺の言葉に大きく息を吐いて机の上に書類束を置いて、椅子をクルッと俺の方へ向けた。
「今回に関しては秋博君が適任だと私が判断しました。それに他の子達はこれからテスト期間で慌てふためくのよ。光希君は大丈夫かもしれないけれど、彼には部活があるからあまり時間も無いだろうから」
要するに俺が暇人であるから、丁度良かったと言うことらしい。これ以上食い下がっても仕方が無いから、諦めて受け入れることにした。
「分かりました。出来ることはしますよ。でも、俺なんかがしゃしゃり出なくても他の人達が勝手に面倒を見ると思いますけれどね」
「そこは、秋博君が見極めて助けてあげて頂戴。助けがほしそうであれば、ちゃんと助けるのよ。まぁ、どうしても困ったら相談に来ても良いから」
『あなたのお願いに困っている』なんて言ったら、怒られそうなので、素直に返事をした。用件も済んだようでやっと俺は職員室から解放される。
部屋を出る際に「進路調査票は再提出も出来るからね」と言われた。ごちゃごちゃな紙を提出したから、書き直せという意味なのかとも思ったがどうやら違ったらしい。『大丈夫ですよ』と言って俺は何かから逃げるようにその場を後にした。
一つの重しが肩から降りたと思ったのに、今度は違う重しが積み重ねられていく。
外に輝く赤い夕陽が窓から差し込むことで、床に反射して眩しい廊下を一人で歩いて帰ったのだった。
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