恋のルール★ウルフ
グレープ
第1話 恋されたければ先に話しかけてはいけません
初めてウルフと話したのは、いまにも雨が降りそうに寒い秋の夜のことだった。
「おまえ、おれのこと好きだろ」
ベンチに座って本を読んでいるふりをするわたしに向かって、ウルフは唐突にそう言い放った。
目をあげると、グレーのシャツにジーンズ姿のウルフの長身がわたしの視界を埋め尽くしていた。まくりあげたシャツの袖から筋肉質な腕がみえている。日焼けした肌は夜の闇でも褐色にかがやいている。
心臓が跳ねて思わず「えっ」と声をあげると、ウルフは少しおかしそうに喉の奥でくっと笑った。
「おれのこと、好きなんだろっつってんだよ」
大学の構内にあるカフェの裏口の脇にあるこの木のベンチはわたしの特等席だった。なぜなら、カフェでバイトを終えたウルフの姿をみることができるからだ。正確には、このベンチの横を通り過ぎていくウルフの大きな背中を拝むことができるからだ。
それに、さりげなく彼の視界に入ることができる場所だからだ。
「なに言ってんの。好きじゃないわよ、あんたのことなんか」
さりげなくウルフの視界に入ることは、ここ3か月の間わたしが日々実践してきたノルマだった。話しかけられるまで永遠に続けるつもりだったが、まさかこんな寒い夜に、こんなにも傲慢なセリフで始まるとは思っていなかった。年下のくせに、傲慢な物言いがまたウルフらしい。
わたしは笑みを隠しきれず、バカじゃないの、と言って声を立てて笑った。用意していたセリフとは違うけど、嬉しそうにしてはならないというマイルールの実践としてはぎりぎり合格点だ。
「いや、隠しても無駄だよ。おまえ、ぜったいに好きだぜ、おれのこと」
「なんでそう思うの?」
「なんでって、いっつもおれのこと見てるじゃねえか。昼間だって、学食で目ぇ合わせてくるし。毎晩ここに座ってるのも、おれのことを待ってるんだろ」
「違うわよ。ここが好きなの。座りやすいの。それだけよ」
「ほんとかねぇ。こんなボロい椅子が座りやすいとは思えないけど?」
「良い杉の木だから座りやすいし、読書にぴったりなのよ。うぬぼれないでよね。いやなやつ」
「ふん、頑固なやつ」
ウルフはそう言って、おかしそうに笑った。暗闇に白い歯がきらめいた。まるで夜空にかがやく星みたいに、きれいな歯だった。1時間座り込んでいたせいで冷えた体が一気に熱くなり、わたしはぶるっと震えた。
ウルフを初めてみたのは大学二年生の時だった。わたしが二年生で、彼が新入生。
大学構内のメインロードで新入生の勧誘活動をしていたわたしの前を彼は何度か通り過ぎていった。
長身に引き締まった肉体。日本人ばなれした厚い胸板はさりげなく羽織った地味なダークグレーのシャツでも隠せておらず、ジーンズも靴も色あせていて地味なのに、わたしの目には、彼の姿だけがスポットライトに照らし出されたように目立っていた。シャツの襟もとにかかる少し長めの黒髪。息をのむほどに端正で精悍な顔立ち。前髪から覗く瞳は黒いのに、周囲の明るさによって時々グレーに変化するのは、じつはヨーロッパ系の血が混ざっているからではないかという噂だ。
ウルフが大学のメインストリートを歩くだけで、そこがまるでハリウッド映画の舞台のようにファッショナブルな空間にみえた。
ウルフの隣にはいつも違う女がいた。ロングヘアーだったり、セミロングだったり、カジュアル系だったり、コンサバ系だったりと、いつも違う種類なのに共通しているのは、美女ということだった。そして、その女側からウルフに積極的に話しかけたり機嫌を取ったりしていて、ウルフは冷めた目でそんな彼女をみているというスタイルも共通していた。
「あ!あれ、大学一のモテ男だよね」
ウルフとすれ違うとき、必ず女子たちはそう言う。または、なにも言わずにひそかに頬を染める。誰もが彼の外見の魅力に背くことができないようだった。
けれど、わたしは違った。彼をみるたびに、なぜか苛立った。隣に寄り添う女に向ける冷たい瞳をみるたびに、むしゃくしゃした。胸に抱えている大学新聞を引き裂いてビリビリに破りたい衝動に駆られた。
それほど苛立つくらい彼に惹かれていた、ということに気づいたのは、それから一年ほど経ってからだった。その一年の間にわたしはクラスメイトの誰か(もう名前も思出せない)と付き合って別れたけれど、わたしをむしゃくしゃさせるのはいつも大学内でみかけるウルフの存在だった。
そして、わたしは決めたのだ。
彼を落とす。
わたしに恋させる。
わたしに本気の恋をさせる。
そして、溺愛という沼に突き落としてみせる。そして、わたしの目の前にひざまづいてプロポーズさせるのだと、わたしはひそかに固く決意したのだ。
「わからんな」
「なにが?」
「ぜんぜん座りやすくないぜ、これ」
ウルフがわたしの隣に座って、けだるげに首を回した。木のベンチは冷たい。
「あんたにはわからないのよ。木の良さが」
「ふん」
前を見据えたまま、おもむろにウルフはわたしの手から本を奪った。そして、ブックカバーを剥ぎ取って表紙を眺める。
「ジャック・ロンドン?」
「知ってるの?」
「いや」
「でしょうね。本なんか読まないんでしょ」
そのとき、ブルブルブル、とウルフのジーンズのポケットの中でスマホが振動した。
スマホを取り出してタップして、「めんどくせ」とつぶやく。
「彼女?」
わたしの問いにはこたえず、ウルフは画面をタップしながら言った。
「番号いれといてやるよ」
「は?」
「おまえの番号、ほら」
わたしが番号を言うと、彼はすばやくスマホをタップして、それから、画面をみせた。
氏名欄には『リリィ』と記入されていた。
「え」
わたしの名前、知ってるの?なんで?
尋ねようとするわたしには目もくれずウルフは立ち上がり、そして、誰かと電話をしながら、闇の中に消えていった。
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