第24話 『三賢者の時乞い』②

 マックとシンシアが考えた作戦は、なかなか荒っぽかった。

 公文書が保存されている棟は、魔術庁の入っている建物のさらに奥にあった。棟が丸ごと王宮の古い公文書の保管庫として使われているために、周辺は普段から人通りが少ない。


 公文書というものは、最新のものは部署ごとに保管するが、古くなったものはこうして保管庫に運び込まれるのだ。

 だから古い文書を閲覧する必要がある時にしか、この棟には誰も寄り付かない。

 私たちが目指す古魔術集は、シンシアの下調べによれば建物の最上階から伸びる、円形の高い塔の中にあった。

「よりによって、一番高いところにあんのかよ。ハードル高いな〜」と文句をいうマックをシンシアがなだめる。


 建物の外階段をひたすら五階まで上がると、小さな屋上に出た。

 割れた甕や古い本棚が無造作に放置されていて、王宮の中にしては散らかっている。

 貴人がこないエリアは概してこんなものなのだ。

 屋上の床は陶器のタイルが敷かれていたが、タイルの隙間から雑草が生えてしまっている。放置すればそのうち雨漏りでもしかねない雰囲気だ。

 恐々と屋上を横切り、奥にある塔に向かう。

 夜の湿っぽい風が吹き、私たちのローブを弄ぶ。

 腰より低い位置までしかない、心もとない手すりを見てふと思い出した。


「ねぇ、ここってベンジャミンの塔じゃない? あの、幽霊が出るって有名な」


 声をかけるとマックとシンシアは大仰に振り返った。


「そ、そんな塔の話は聞いたことないわ」

「ベンジャミンって誰だよ」

「そうか。まだベンジャミンは死んでないんだわ。前回の私が就職して何ヶ月か経った頃に、王宮の塔から貴族が事故で転落死したの。それ以来、ベンジャミンの幽霊が出るってもっぱらの噂だったわ」

「その塔がここなの!?」


 こわばる顔で立ち止まったシンシアを、マックが後ろから押す。


「だから今はまだベン君は死んでないから、幽霊も出ないって。そんなことより、こっちに集中しようぜ」


 いろんな意味で周囲を警戒しながら、どうにか塔の近くにたどり着く。シンシアが鍵をガチャガチャと探し、扉を開けて解錠すると、二人で建物の中に入る。マックは見張りをするために、外に残った。

 内部は暗く冷んやりとしていて、入ってすぐの右手に、そこから小さな塔に行くための扉があった。

 三階分の高さのある円形の塔の入口は、幅の狭いドアが一枚あるだけだ。


「風の魔術で鍵を開けるから、待ってて」


 鍵穴の前に膝を突いて、そこを覗き込むシンシアに驚かされる。


「ここの鍵はないの? ……これって、やって良いの?」

「鍵を借りた記録を残したくないのよ。後で面倒なことになるのも嫌だし。この塔の鍵を借りるのは、ちょっと手続きが厳しくて」


 ますますいけないことをしているようで、身構えてしまう。


「だからさっさと忍び込んで、本を見つけて読んだらすぐに退散よ」


 シンシアが魔術を使って風の針を小さな鍵穴に通していき、数分経った頃、カチン! と小気味良い音が穴の中から響いた。

 シンシアは得意げな顔で、私を見上げる。


「どう? 風の魔術も、結構使えるでしょ」

「うん。斬新な使い方で、目から鱗だよ……」


 くすくすと小声で笑いながら立ち上がったシンシアが、ノブを回して扉を開ける。


 中は真っ暗だった。


「火の小鳥よ、暗闇を照らせ」


 私が小さく魔術を唱えると、雀ほどの赤い火がポッと現れ、塔の中をぼんやりと明るくする。

 石を組んだ壁が見え、その階にあるのは掃除道具とデスクが一つと、あとは上へと上がる鉄製の細い螺旋階段だけだった。


「上りましょう!」


 二人で石の階段を、上り始める。

 火の雀は飛びながら、私たちの少し先をいく。

 上の階は窓があり、月の明かりのお陰で真っ暗ではなかった。天井一杯に棚が置かれ、中央には陳列台が置かれていた。

 埃っぽくて、コホコホと咳が出る。下にあった掃除道具を最後に使ったのは、いつなのだろう。

 思わず鼻をローブの端で覆う。


「リストによれば、古魔術集は二の棚の、三十一番にあるはずなの」


 シンシアはそう言って、棚上部に書かれた番号を確かめて移動していく。火の雀が彼女と一緒に、横に動く。二と書かれた棚にたどり着くと、私たちはほぼ同時に三十一番の棚に手を伸ばした。

 借りていきたいが、そうもいかない。

 窓際に移動して本を開き、月明かりに照らして目を凝らす。

 そのミミズがのたうつような字体を見て、少々焦る。

 昔の字体なのだ。読みにくい。おまけに掠れている。

 どうにか二人で『三賢者の時乞い』のページを探す。

 本は黄ばんでいて、紙が脆そうだったが、気遣うゆとりもなく急いでページをめくっていく。


「あった!」


 私達はほぼ同時に叫んだ。

 震える手でページを押さえ、読み進める。字体が古いだけでなく、言葉自体もわかりにくい。

 学院の古典の授業を思い出してしまう。辞書がないと意味のわからない単語や、言い回しがやたら出てくるのだ。

 

「辞書がないと、意味が正確には汲み取れないね」

「任せて。古典は得意なの」


 恥ずかしながら、解読はシンシアに任せる方が安心だろう。

 シンシアはゆっくりと訳しながら音読をしてくれた。


「『三賢者の時乞い』は、」


 ――この魔術を行うには、三人の偉大なる魔術師が力を合わせなければならなかった。

 一人目は「発議者」、二人目は「発動者」、三人目は「起爆者」としての役割を担う。

 この術を管理し、取り仕切るのは一人目の「発議者」だ。

「発議者」はまず、己の全ての魔力を二人目である「発動者」に与える。全ての魔力を貰った「発動者」は三人目の「起爆者」たる魔術使いの心臓を一発で仕留め、その命が散る力を利用して、時を戻す。

 戻せる時間は三人の魔力に比例し、最短で一年、最長で「発議者」の年齢の分だけ、と言われているが、どのくらい戻せるかは、三人には調整ができない。そこがこの魔術の大きな欠陥点であり、使えない魔術として忘れ去られた理由の一つでもあった。

 シンシアは異様に目を見開いて、私を覗き込んだ。


「ね、どこかで聞いたような話じゃない? 一人目の発議者が誰だったのかは分からないけど、――貴女は……時間が巻き戻る前に、剣で王太子様に胸を刺されたのよね?」

「そうだけど……」


 そこまで寒くはないのに、全身に鳥肌が立つ。

 あのリーセルの、最期の瞬間が、脳裏に蘇る。

 そんな私の腕を、シンシアがギュッと掴む。かなりの力だったが、お互い興奮しすぎて加減がわからない。


「王太子様はこの魔術を使ったんじゃない? そして時を戻した。だからこの場合、『発動者』は王太子様だったのよ」

「私の命を利用して、王太子が誰か他の魔術師と時間を戻す魔術を行った、ということ?」


 シンシアは大きく首を縦に振り、ぎらつく目で言った。


「ここを読んで、リーセル。――『起爆者』は誰でも良いわけじゃない。その『発動者』が利用する命には、条件があるんだわ。『発動者』は、【この世で最も愛する者の命】を奪わないといけないんですって。まぁ、なんてひどい魔術かしら。後世に伝わらなくて、当然ね」


 シンシアが言わんとすることが、わからない。彼女はインクの掠れかけた字を指先で辿りながら、畳みかけた。


「目の前で最も愛する者が死ぬ光景を見て、『発動者』の心が砕けるんですって。この術の発動には、その力も欠かせないんだわ」


 最も愛する者?

 私が死ぬところを見て、王太子が自分の心を砕いた?

 シンシアと顔をくっつけるようにして、字を追う。


「術の完成はまだよ。心を砕いた『発動者』は、最後に自分の命も散らすのよ。そうして、時戻しが発動する。――ということは……、多分リーセル、貴女が亡くなった直後に、王太子様も自分の心臓を貫いたんじゃないかしら」


 ゾッとした。あの光景を、思い出して。

 あの時、最後に王太子は、息絶えた私の上で、係官から奪い返した剣を振り上げていた。

 私はもう一度刺されるのだと思った。でも、そうじゃなくて彼は、あの後自分自身を剣で突き刺したということ?

 そして時戻しの魔術が、完成した?


「時間は意味もなく偶然戻ったり、ましてや神様の悪戯で戻ったりしないのよ。十一年前に、失われた魔術で故意に戻されたんだわ」

「うそよ、うそ…」

「つまりリーセル、――前回の貴女は捨てられたんじゃなかったのよ」


 シンシアが両手で私の肩を掴み、前後に揺する。揺さぶられる私の目が熱くなる。

 それはあの時、一番知りたかったこと。

 私は、ちゃんと愛されていた? 王太子は聖女を選んで、私は捨てられたのだと、そう思っていた。

 でも、違った?

 本当に?


「王太子様は、リーセルを助けるために、時間を巻き戻したのよ! 戦場から大急ぎで戻ったばかりの彼には、きっともう――、執行が直前過ぎて、処刑を止めることが不可能だったんじゃないかしら」


 閉じていた記憶の蓋を開けると、民衆の怒号が耳に蘇る。

 彼らは、「犯人」を引きずり出し、罰を与えることを熱望していた。皆の中では、聖女こそが可哀想な被害者だった。彼らの心ない罵詈雑言の一つ一つが、私を処刑場に追い詰める狂気だった。


「わからない…」

「当時の王太子様には、それが貴女を救う唯一の方法だったんだわ」


 私は両手で顔を覆った。


「今更、それが分かっても。もう……殿下は完全に別人で、私を忘れているし」


 私の警護対象である、かつてとは別人のような王太子を、思い出す。

 シンシアはページをめくった。

 再び本に顔を近づけて、読み進める。


「まだ続きがあるわ。――時間が巻き戻っても、この一連の魔術を取り仕切る『発議者』と『発動者』にだけは記憶が残るんですって」


 王太子が覚えているようには、ちっとも見えない。そんな問題以前に、そもそも彼は別人にしか見えない。それに――。


「本当は私には記憶が残らないはずの術式だったってこと? ただ巻き戻るだけの」


 それなのに、なぜ私には記憶があるのだろう。古い魔術は綻びがあるものだから?

 あのとき、何が起きたのだろう。必死に思い出そうとして、はっと胸元を押さえた。

 胸を刺されるときに、剣はまず私のペンダントを貫いたのだ。祖父がくれたお守りの石だ。散った思い出たちが、私の魂を追いかけたのかもしれない。


「もしかしたら、私のお爺様が守ってくれたのかもしれない」


 だがシンシアはそれには答えず、首を捻って何やら唸っている。

 開いた本のページを押したり、紐の綴じ部分を必死に覗き込んでいる。


「……おかしいわ。文章はここで終わっているように一見、見えるけど。これだけだと、なんだか纏まりがないような気もする。それに、見て! 綴り紐全体に、微かに隙間があるわ。――ここ、ページが破り取られているんじゃないかしら」


 私も同じように覗き込むが、よく分からない。


「そうかな? ページ数は飛んでいないけど」

「だからこそ、一見分からないのよ。でも古魔術書は追補ついほが多いの」


 追補とは、後で挿入するページのことだ。通常、全体のページ数は変えず、例えば35ページ目の後に足す場合は追加分のみ35―1、35―2といった風に末尾に数を足していく。


「誰かが、追補分をバレないように取り去ったということ?」


 古文書にはまだ何か書いてあったらしい。

 本来の『三賢者の時戻し』には、まだ続きがあった。 

 何者かが、そこを見られないよう、ページごと奪ったのだ。

 つまりその失われた箇所に、何か重要なことが書いてあったのかもしれない。


「誰が、いつこんなことをしたのかしら?」

「状況からすれば、『発議者』か『発動者』だと考えるのが妥当よね。その人物はかつてこの王宮で書物庫に入り、時戻しの魔術を知った。そして今回も入って、見られたくないそのページを破り捨てたんじゃないかしら」


 私が出した火の雀の明かりが、少し弱くなる。塔の中が暗くなる。


「そろそろ戻りましょう。いずれにしても、読みたいものは、読めたわ」


 シンシアが古魔術集を棚に戻し、私たちは階段を降り始めた。

 下りながら、頭の中は混乱でめちゃくちゃになっていた。

 読めなかった部分には、何が記載されていたんだろう。

 それに、――王太子が私のために、魔術で時間を戻した?

 しかも、誰か他の魔術師の手を借りて。

 全てを覚えていて、時戻しに関わったその何者かは、どこにいる?





 扉を開けて五階の屋上に戻ると、なんとマックがいなかった。

 見張り番をしていたはずなのに。


「なんでいないの!?」


 何かあったのだろうかとシンシアと二人でビクビクしながら屋上を横切る。棟を下りる外階段の近くまで歩いてくると、下からマックが上ってきた。


「どこに行ってたの!? 心臓が止まるかと思ったわよ」

「ごめんごめん! さっき屋上に酔っぱらった男がフラフラ上ってきたんだよ。自殺しに来たらしくって。焦ったぜ」

「えっ、何それ」

「ベンジャミン・トレバーっていう奴」


 奇妙な沈黙が流れた。

 私は思わず呟いた。


「ベンジャミン?」

「恋人に振られて悲しくて、この上から飛び降りようと思ったらしいぜ。まったく、迷惑なやつだよな、ベンジャミン」


 シンシアが口をへの字型にし、奇妙そうな表情で呟く。


「――ベンジャミン?」

「なんでも子供の頃からの婚約者を見捨てて、婚約破棄をしてまで結ばれようとした恋人だったらしいぜ。全く、自業自得だよな、ベンジャミン。振られた恋人の家が見えるからって、ここを選んだらしいぜ。王宮の塔で投身自殺なんて、怖いもの知らずだよな」


 私たちは思わず手すりから王都の街並みを見渡した。

 夜の闇に目を凝らしていたシンシアが、何気なく呟く。


「こんなに暗くてもここからよく見えるのは、あの辺の大きなお屋敷群くらいね。――あの一際大きなお屋敷って、ギディオンの家のランカスター邸じゃない? クラスのみんなが、『ほぼどっかの国の城』って言ってたわよね。だとするとお隣の大きいお屋敷は……ゼファーム邸かしら?」

「暗過ぎてどの家の灯りが見えているかなんて、俺にはさっぱり分かんねーけど」


 塔の周りにベンジャミンらしき人物はもう、見当たらない。気になってマックに続きを尋ねる。


「で、マックはその人をどうしたの?」


 マックは目をグルリと回してから、肩をヒョイとすくめた。


「バカなことはやめろって叱りつけたら、泣き始めちゃってさ。結構イケメンなのに、全く困った奴だよ、ベンジャミン。仕方ないから話を聞いて落ち着かせながら、肩を貸して急いで衛兵の詰所まで送ってきたよ。驚かせてごめん」


 そこまで話をすると、私たちは一斉に大きな声で笑い出した。

 起きたことが無性におかしかった。


「俺ってば、もしや人命救助しちゃった?」


 ベンジャミンの塔に、幽霊が出ることは、もうないだろう。

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