第14話 バラルへの帰省
バラル州の実家に到着すると、玄関から祖父達が飛び出してきた。
祖父とカトリン、アーノルドといういつものメンバーだ。
「お嬢様! しばらくお会いしないうちに、また美人になられて!」
カトリンが私の両腕に手を回し、軽く揺する。その後に続いてやってきたアーノルドが、素早く私の手から鞄を取り上げる。
「やっぱり王都は凄い所ですね。一年ごとにお嬢様が大都会風のハイセンスな女性に、どんどん変身されていきますねぇ」
「アーノルド、前にも言ったけど国立魔術学院は、王都の郊外にあるの。全然大都会じゃないのよ」
苦笑しつつ、なんだかんだ褒められて嬉しい。
祖父はそんな私を見て目を細めながら、言った。
「イーサンは今、いないんだよ。伯爵邸に小姓見習いに行っていてね」
「うん、手紙で読んだよ」
伯爵邸は同じ州内にあったが、とても大きく立派な屋敷だ。将来クロウ家を継ぐイーサンは、貴族の行儀や立ち居振る舞い、そして家の切り盛りを学ぶ為に、伯爵家の世話になっているのだ。
貴族の嫡男は近所のもっと上流貴族の屋敷に学びに行くのが、古くからの風習だ。
翌日、私はバラルの魔術支部に面接を受けに行った。
魔術支部は煉瓦造りの三階建ての建物で、小ぶりではあったがツタが絡まる可愛らしい外観をしていた。なんとなく童話に出てきそうな雰囲気がある。
中を案内してくれた若い男性も、業務説明をしてくれた中年の女性も、とても感じが良かった。二人とも物腰が柔らかで、他の職員たちも落ち着いていて、職場全体が和やかな空気に包まれている。
面接をしてくれたのは初老の男性で、なんと支部長だった。
「うちは王都から遠いから、国立魔術学院の生徒さんが受けに来てくれるのは、何年ぶりだろう!」
面接はお互い終始笑顔で、気さくな雰囲気の中で終わることができた。
とにかく、私はこの支部の平和でアットホームな雰囲気に惹かれた。
そして、その日のうちに内定を貰うことに成功した。
これで祖父達と暮らしながら、魔術師として働く未来が、約束されたのだ。
内定を手に入れたことを報告すると、屋敷のみんなは大喜びだった。
アーノルドは筋肉が喜びを隠しきれなかったらしく、台所の酒樽を振り回して雄叫びをあげ、祖父に叱られていた。
夕暮れ時になると、私は子供の頃にいつもそうしてたように、屋敷の裏手にある両親のお墓に祖父と向かった。
久しぶりに訪ねる父母の墓は、相変わらず祖父の魔術の花に囲まれていた。しばらく来ないうちに、花の数が更に増えたようで、墓石の周囲に咲き誇り、風にそよいで賑やかだ。
「お花がまた増えたのね。お祖父様、これ以上花だらけにしたら、お父様たちが埋もれちゃうわよ」
隣に立つ祖父に、くすりと笑いながら話しかける。祖父は少しの間花を見つめ、黙っていた。
「リーセル、覚えているかい? この花は私がお前たちのお母様とお父様を愛しているから、作れるんだと教えたね」
「ええ、覚えているわ」
「この花はね、愛で出来ているんだ。お前とイーサンのために作り続けてきたんだよ」
祖父は膝をおり、墓石の前にしゃがみこんだ。そうして夕陽を浴びて橙色に輝く一輪の花に手を伸ばす。薔薇に似た、幾重にも重なる繊細な花びらを、指先で撫でる。
「水の花は、思い出という愛でできているんだ。お前たちの両親の思い出だよ。私が覚えている限りの思い出を、こうして少しずつ、残してきたんだ」
「思い出?」
「お前たちは小さすぎて、親のことを何も覚えていないからね。私が死んだ後も、お父様やお母様のことを思い出せるように、伝えられるように、こうして残したんだよ」
「どういうこと?」
祖父は手元に咲く花の茎に触れて、私を見上げた。
「一輪、摘んでごらん」
促されるまま、透き通った魔術の花をつまみ、その柔らかな手触りに気後れしつつも地面から引き抜く。
抜かれた途端、花びらは満開になるように大きく広がり、その一枚一枚に色がのった。
何だろうと目を凝らすと、花びらに小さな映像が映る。透明な花びらの表面に、まるで水面に景色が映り込んだみたいに、人が見える。
よちよち歩く小さな子供が、黒い髪を靡かせながら、芝の上を歩いている。細い腕がその前に広げられ、子供を抱き上げる。
抱き上げた女性は、子供と同じ黒髪で、愛しげに子供に頬擦りをしている。
「お母様……?」
映像はそこで途切れた。
手の中の花は茎がぐにゃりと曲がり、花びらが一斉に萎れる。声を上げる間も無く花は本物の植物のような手触りを持つ固体から、元の姿の水に戻り、私の手からこぼれ落ちていく。
かけられていた魔術が切れ、水に戻ったのだ。
濡れた両掌を茫然と見下ろす私の背を、祖父がそっとさする。
「私が昔見た、お前とお母様だよ」
今見たものを、頭の中で反芻する。私を、凄く愛しげに、優しく抱き上げたお母様を。
お母様は、あんな風に私に頬擦りをしてくれていたのだ。とろけそうに愛情いっぱいに、目尻を下げて。
水が滴る冷んやりとした自分の指先を、熱い思いで見つめる。
「リーセル、心を込めて触ると、水の花には記憶を閉じ込めることが出来るんだよ」
この水の花に思い出を込めていたなんて、全然知らなかった。
祖父の愛の分だけ、この花に思い出が詰まっているのだ。私は感激して祖父に抱きついた。
「お祖父様、ありがとう。バラルに戻ったら、私が毎日水やりをするね」
思い出を枯らさないように。
祖父は頼むよ、と言って私の肩をそっと叩いた。
その晩のクロウ家の夕食は、メニューが何品も並ぶ、お祝いの席になった。
我が家ではこういう時は、侍女も馬丁の少年も含めて、皆でテーブルを囲む。
古めかしく広い石組みの食堂には、大きなテーブルが並んでおり、いつもは人の少ないクロウ家ではそのだだっ広さが寂しかったが、今夜はとびきりのテーブルクロスやナプキンが使われ、カトリンが森で摘んできた花々が花瓶に生けられ、とても華やかな雰囲気だった。
食べ物の量に目を輝かせた馬丁少年が、物凄い勢いでパンを口に入れている。
祖父はシチューを食べながら、しみじみと言った。
「リーセルも来年は学院を卒業か。早いなぁ」
ワインを飲んだカトリンが、ピンク色のバラの刺繍がされたナプキンで口元を拭いながら、感慨深げに言う。
「おまけに天下の国立魔術学院をご卒業した魔術師におなりとは、本当にこのクロウ家の誇りです」
そう褒めつつも、私の皿に野菜のソテーをたっぷりと載せるのを、忘れない。
アーノルドは同意するように大きく頷きながら、パンをかじる。
その隣で、馬丁少年が激しく咳き込んだ。パンを喉に詰まらせたらしい。急いでカトリンが背をさすり、それでも解消されない様子なので、見かねたアーノルドが少年の背を一発、手のひらで叩いた。その勢いで少年の口からパンの塊が飛び出す。
祖父は私にローストビーフを切り分けてくれてから、しみじみとした口調で言った。
「来年からまた、みんなで一緒に暮らせるのを、楽しみにしているよ」
あたたかな気持ちで、あたたかい食事を頬張る。
最高の夜だった。
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