第103話『懐かしの場所』

カメラマンを振りきり、クレマチスストリートの片隅のベンチで涼をとっていた玲音レオは、その肩に再度手が置かれたことに驚いて振り返る。

その先にはジェンミがにこやかに立っていて、玲音は胸を撫で下ろした。

そして近くの店に入ろうと考えた二人の脳裏に、同じ店の名前が浮かぶ。


「着いたよ。懐かしの『dimディム hideハイド』! ご感想は?」


ジェンミは玲音の様子をうかがうように振り向いた。


薄暗い路地裏に目立たない看板が立ててあるそのたたずまいは、まるで時間が止まっていたかのように当時のままで、立ち止まった玲音はおもむくまま辺りをまじまじと眺めた。


「いや……この外観、全く変わってねぇから……」


「ナンテ顔してるのさ!? なになに? 青春時代にタイムスリップしちゃったとか!? えっと……当時の彼女は……なんて名前だっけ?」


覗き込むように顔を近づけて茶化してくるジェンミを押し戻す。


「やめろ! 入るぞ」


「ははは、いざ、出陣!」


「大袈裟な……」


呆れたそぶりをしつつ、玲音は先頭に立ってなつかしい手すりをさすりながら、その階段を降りていった。

薄暗い店内には昔と変わらない位置にカウンターがあり、そこには店主と見られるガタイのいい男性が立っていて、こちらに視線を向けた。

先日ジェンミから聞いていた通り、彼の奥さんであろうアイリッシュ系の小柄な女性が笑顔で迎えてくれる。


好きな席に座っていいと言われ、玲音は迷いなく一番奥のカーテンに手をかけた。


Mayここに I sit座って hereいいか?」


玲音がそう聞くと、彼女は不可解な表情を見せる。


Sureもちろん, butでも whyなぜ? Howどう didして youあなたは knowここを that知って spaceいるの?」


玲音はその女性に、昔この店の常連だったと告げた。


「へぇ! ここって、個室だったんだ?!」

ジェンミが眉を上げる。


「まぁ、カーテンで仕切られてるだけだけどな」


「意外と広いね。アリサと来たときには、ここのスペースには全く気付かなかったよ。なるほど、隠れ家的要素ってワケね? なかなかムーディーじゃん。いったい誰と来てたのさ? なんか……いやらしいんだけど」


ニヤニヤしているジェンミに、玲音はムッとしてにらみ付ける。

「は?! バカ言うな! 大勢で集まってただけだ。学生の溜まり場なんだから」


「ふーん?」


カーテンの外から声がする。


May入っても I comeいい in?ですか


ガタイのいい店長が入ってきて、飲み物をサーブしながら以前の日本人オーナーについて話をしてくれた。

強面こわもて風貌ふうぼうとは相反あいはんして気さくな彼は、この前ジェンミが有紗アリサと共に来ていたことも覚えていて、前オーナーが日本で出店したというスポーツバーの住所も教えてくれた。


「なんだか落ち着く空間だね」

グラスを持ち上げたジェンミは室内を見回した。


「まあな。でも俺はわりとカウンターに一人座って、オーナーと話し込んでたことが多かったかな」


玲音の遠い目を横目に、ジェンミはグラスをあおる。

「へぇ、ボクの知らないレオが居たってワケだ?」


「お前を誘ったことも何度もあったはずだぞ。なのに結局一度も来なかったよな。なにしてたんだ?」


ジェンミはバンとグラスを置いて、眉をあげた。

「ええっ?! なにって?! ボクがダブルメジャー大学複数専攻してたことぐらいは知ってるよね?!」


「そりゃまあ……」


「かなり大変なんだよ? 課題だってexam試験だって通常の倍なんだからさ。大学ではそっちの友達とか教授との付き合いもあったからね。その上、レオのおりもしなきゃならないわけだし……ホント、ボクの大学生活はかなりハードだったよ!」


「迷惑そうに言うなよ!」

玲音が睨み付ける。


「あはは。それはそうと話を戻すけど、どういう経緯いきさつでクレマチスストリート猛ダッシュすることになったのさ? 普通、走って逃げたりしないでしょ?!」


玲音は顔をしかめる。

「いや……それが、そいつが俺にむかって〝モデルになれ〟だの〝イメージにぴったり〟だのって、執拗しつように引き留めて大声で騒ぎだすから……このままだと有紗に見つかるかもしれねぇと思ってさ」


「ふーん、そりゃ危機一髪だね」


「おい! 他人事ひとごとみたいに言うなよ! あそこにお前が来てたら、マジでヤバいことになってたかもしんねぇぞ」


「確かにそうかもね? レオ、Niceナイス Runラン!」


「はぁ?! バカにしてんのか?!」


「まさか! それよりさ、今日はランドルフのモデルの選定会議なんでしょ? そうそうたる有名モデルもかなりな人数、名を連ねてたはずだよ? なのにそれを差し置いて、カメラマン直々じきじきに〝イメージにぴったりだー〟なんてオファーされたワケでしょ? 正直、レオはそれについてどう思うわけ?」


「別になんとも……とにかく逃げなきゃヤベェことになるって思っただけだ」


ジェンミはため息をつく。


「フン、そんなことだろうと思ったよ。レオは出世欲しゅっせよくとは無縁むえんだもんね。でもさ、イメージぴったりの男が、実はランドルフの御曹司だった、なんて、かなり笑える話だけどね?」


「うっせー」


「本来なら、ビジネスチャンスさながらに、先陣せんじん切ってアピールするべきなんじゃないの? 御曹司が自らのブランドのモデルだなんて、話題性はピカイチだよ? いっそのこと、ランドルフのマスコットボーイとしてキャラクターを確立させちゃえばいいのに! アイドルデビューからのハリウッドスターも、夢じゃないかもよ?」


玲音は辟易へきえきとした表情をジェンミに向ける。


「つまんねぇ冗談はやめろ! 母親や伯母おばにも居場所を言ってねぇのに、んなこと出来るわけねぇだろ! それよりお前、会社から急に呼び出しって……今日は何してたんだ?」


ジェンミは涼しい顔のままスナックに手を伸ばす。

「ああ。トレンドのリサーチに付き合ってたんだ。矢神ホールディングスのフロリダ支社のreceptionistレセプショニストの子がさ、markerマーケター志望で、次の社内プレゼンに挑戦するらしくて……」


「は? 女かよ! なら戻ってこなくていいだろ!」


「そういうわけにはいかないよ! なんせアリサのことなんだから」


「はぁ……気が多いと大変だよな?!  ガチのストーカーやってる場合かよ。よく身が持つな?!」


呆れた玲音は乱暴にグラスを取り上げると、バサッとソファーに倒れ込んだ。

揺れたカーテンの隙間の向こうにちらっと動く人影が見えて、目を見張る。


「ん?」


玲音はさっと表情を変え、ソファーから身体を起こした。


「あれは……」


玲音の言葉にジェンミはその視線の先を追う。

そしてほんの少し開いたカーテンの隙間から見える、店の入り口に目をやった。


「あ!」


ジェンミが小さく声を上げた。

その様子に、玲音は声を落としたまま問いかける。


「なぁ、あれがエプコットで声をかけてきたカメラマンか?」


玲音の問いに、ジェンミは大きく頷いた。

「うん。間違いない」


「やっぱりそうか……」


二人の視線の先には、つい先程玲音とニアミスしたカメラマンの姿があった。


「ん?」


その後ろから、もうひとつ人影が出てきて、二人はさらにカーテンの隙間に視線を注ぐ。


「あれ? 誰か一緒みたいだ。女だね。でも……アリサとは服装が違う……」


ジェンミがまた声をあげる。


「あ!」

「え?!」


玲音も同時に認識し、首をかしげた。


「あれは……なんでまた?」



第103話『懐かしの場所』 - 終 -

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